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年収3600万円なら明治政府に入りたい!~武士の会計簿

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この本の始まりは、作者が探していた資料を神田の古書店で購入する場面から始まる。

ずっと探していたその資料とは、猪山家という加賀藩の会計を担当していた一族の江戸時代から幕末維新を経て、明治まで続く家計簿だった。

それを丹念に見ていると一族の歴史がよくわかる。

高給取りでありながら、金遣いも荒かった家族が家財道具を売り払う話や、武士の小遣いが月5,840円だった話。武士の支出でどれだけ儀式の費用が多いか(年収の1/3)など、驚くべき内容が続く。

なかでも面白かったのは、幕末維新によってその才能を買われ、幕府の中枢に入っていくあたりのお金の動きである。

年収でみる幕末維新

明治維新が起こした政治的な変化は多く語られるが、経済面ではどうだったのか? たとえば年貢をもらっていた武士は、明治維新後も同じようにもらっていたのか。

それが本書ではしっかりと書かれている。

明治維新とは言ったものの、そもそも革命軍たちは、資金などなく、江戸城を奪えば大判小判があるだろう、ぐらいしか考えていなかった。
(実際には残されていなかったので、のちに徳川埋蔵金伝説が出てくる)

そんな彼らが戦さを進めるにあたって目をつけたのが、この猪山家の当主である、猪山成之だった。

「新政府は「元革命家」の寄り合い所帯であり、当然、実務官僚がいない。例えば1万人の軍隊を三十日間行軍させると、ワラジはいくら磨り減って何足必要になり、いくら費用がかかるのか、といった計算の出来る人材がいないのである。このような仕事には成之のような『加賀の御算用者』がうってつけであった。加賀百万石の御算用者は『日本最大の大名行列』の兵站業務を何百年も担ってきたのである」

革命軍の軍事のトップだった大村益次郎に気に入られ、軍事の会計を担当することになった成之。革命軍は資金が無かったので、成之はわら半紙に「大村益次郎」と書かれた紙をもって、豪商からお金を調達することもやったという。

こうして裏方として活躍した結果、明治7年、海軍省出納課長である成之の年収は「1235円」になった。これは「今の感覚でいえば3600万円」となる。

これはかなりの高給取りだ。その一方で、明治維新後も金沢にいて、世の中が変わっても変化に対応できず、地元の金沢製紙会社雑務懸りになった親戚の年棒は48円だった。これは現代の年収に直すと「わずか150万円ほど」となる。

これだけ収入に差が出てしまうと、成之のもとには親戚から「なんとかうちも新政府に就職したいから口をきいてくれ」という依頼が殺到することになる。それもすべて応えることはできず、親戚の就職活動は数多く失敗している。

よく西郷さんが、いろんな人に就職をあっせんしてくれと頼まれて、口聞いていた、という話は残っているが、これだけの収入の差があれば当然であろう。

それにしても、明治維新後の格差社会ぶりには驚くばかりである。

結局、武士だ、高ようじだ、金なんて不浄だ、とか言っていると没落していき、一方で黙々と会計を学び、息子たちに伝えた一族が財をなしていく(成之は結局不動産経営を始めていった)。

「経済」という視点で見た明治維新後の栄枯盛衰は、現代においても通用する内容が満載だった。

江戸、幕末あたりの歴史好きで、ありきたりの歴史本に飽きた人には、なかなか興味深い一冊だと思う。