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「家族最後の日」(植本一子著)は家族の破壊と再生を描いている

植本一子さんの『家族最後の日』を読んで、マジかと思ったのは、夫のラッパーECDのガンが発覚した後に、ECDも一子さんも「ネタになる」と話し合うシーンだった。

二人とも文筆業もやっている。だからと言って、そういう思考になるのか。ECDが大好きな僕としては、いや奥さんが「ネタって言い方は、、」とも思う。

でも、やっぱりこういう所も含めて、この人の本は赤裸々であり、リアルである。「こう書くと薄情だと言われるかも」という部分も全部書く。

だからこそ僕はこの人の本を読むのだろう。

家族ってなんだろう?

今作のテーマは家族である。タイトルが「家族最後の日」とあるように、ハッピーな話よりも悪い話が多い。

自分の母親との絶縁、義理の弟の割腹後の飛び降り自殺、それ以来、頻繁に自宅を訪れるようになる義理の父親を疎ましく思う気持ち、そしてECDという大黒柱がガンになって入院。それによって生じる父親不在の状況。

まさに「家族」とは何かを考える話である。

よくテレビのCMで家族はステキな存在として描かれている。しかし、そんなのはウソっぱちであり、ステキじゃない家族の実情を描いているのが本書である。

特に印象的だったのは、ECDが退院した日に、家族の感動の再会を撮ろうと、カメラマンが1日密着した後に言った「家族って意外とバラバラなんですね」という言葉。それぞれ携帯を見たり、本を読んだりしているのを見て、そう思ったらしい。

この言葉が今回一番残った。確かに我が家もみんなバラバラなことをしていることの方が多いのだ。

「家族はバラバラ」というのを象徴するもうひとつの場面が、子どもの運動会だ。

運動会といえば、「家族の仲の良さをアピールする場」とも言えるイベントだが、父親のECDは病院を退院して見て、また病院に戻り、一子さんは仕事で見れたり見れなかったり。やはりここでもバラバラな様子が描かれている。

最後もハッピーエンドではなく、すんなりと終わる。そりゃそうだ。ECDのガン治療は今も続いている。

ではなぜこの本を書いたのだろうか。何を描きたかったのだろうか。

そもそもこの「家族最後の日」という不吉なタイトルは何を意味しているのだろうか。

最初に聞いた時は「最後=終わり」だと思っていた。しかし、読み終わって感じたのは、彼女はこの本で「家族」のパブリックイメージを破壊したのかったのではないか、ということだった。

もうサザエさんみたいな家族は幻想に過ぎず、もはや「生きづらさ」「しがらみ」のひとつとなっているように思える。一人残された親の面倒をどう見るのか、大黒柱が病気になったら、どうするのか。母親が本当に嫌いになったらどうするのか。

そういう問いかけのように思える。

つまり、ここで描かれているのは、家族というイメージの「破壊と再生」なんだと思う。

幻想の家族なんていない。リアルはこうだ。それでも「やるしかない!」(本書でECDのガンが発覚した後に何度も一子さんが言った言葉)のだ。

本書は『かなわない』の続編である。順番的にはあちらを読んで、次にこっちを読むのが正しいと思う。『かなわない』では「赤ちゃんが生まれました」というキラキラしたワードの裏にあるドロドロとした実情を赤裸々に描いたが、本書では家族というパブリックイメージに対して、嫌いだ、などの感情も包み隠さずに書くことで、やはりリアルな姿を描き出していると思う。

やっぱりこの人の「赤裸々な言葉が持つ力」は、他の本には無いものであり、間違えなくオンリーワンである。

余談だが、渋谷で行われた「家族最後の日」の写真展も行った(一子さんは知り合いと話していた)。普通に写真を見て帰ってきたが、すっかり痩せてしまったECDの写真に衝撃を受けた。僕は昔よく下北沢でたこ焼きに並ぶECDや、踏切を待つレスラーのようにがっしりしたECDを見かけていただけに、余計に哀しかった。だが、こうやって弱っていく様子もきっちり写真として残してもらえるのは、写真家と結婚した特典であり、うらやましいなと思った。

興味をもった人は、ぜひ『かなわない』と合わせて読んでみてほしい。