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次々に名曲を生み出す「魔法使い」PUNPEEの足跡をたどる

テレビ番組「フリースタイルダンジョン」が始まって以来、2017年現在も、専門ラジオ局の開局やラッパーの本が多く出るなど、日本のヒップホップ界では相変わらず明るい話題が増えている。

その一方で、停滞感があるのも事実である。やはり一部の人しか盛り上がって無いのである。

だからこそ、このタイミングで求められているのがヒット曲だ。みんなが口ずさめるような時代を代表するメガヒットが求められている。では、その曲は誰が作るのだろうか? 僕は稀代のトラックメイカーであり、ラッパー、プロデューサーでもあるPUNPEE(パンピー)だと思う。

ジブラは知っててもPUNPEEを知らないという人もいるだろう。だが、2017年4月現在、一番多くの人に届いているラップといえば、TBSで放送されている「水曜日のダウンタウン」のオープニングのラップだろう。そのラップとトラックを担当しているのが、PUNPEEである。

また、2017年1月に宇多田ヒカルの『光』が全米iTunesチャートで日本人アーティストとして最高位となる第2位を記録した、と話題になったが『光』は2002年に発売されたものであり、今回リリースされたものはPUNPEEがリミックスした楽曲『光 (Ray Of Hope MIX)』だった。つまり、彼はリミックスという形で全米2位を獲っているのである。

「板橋区のダメ兄貴」として東京の中でもイケてない地域である板橋区(僕の実家も板橋区!)を代表し、さらに「一般人」という意味の業界用語である「パンピー」を名乗るこの男こそ、いま一番マスに届く曲を作れる男だ。

そんな彼の生涯を過去のインタビューなどを元にたどってみた。

文京区の下町・巣鴨で生まれる

PUNPEEは、昭和59(1984)年3月26日、巣鴨の一心病院で生まれる。血液型はAB型。

昭和59年は、マドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を歌い、グリコ森永事件で世の中がお菓子の毒に怯え、「風の谷のナウシカ」が上映された年だった。

「おばあちゃんの原宿」で知られる巣鴨で少年時代を送ったPUNPEEだが、1996年、小学校4年生の時に家庭の事情で板橋区の団地に引っ越しをする。

文京区と板橋区の距離は近い。板橋区の場合、都営三田線と東武東上線がメインの路線となるが、東武東上線の始発は池袋であり、近くにあるビッグシティといえば池袋になる。

山手線でいえば池袋の隣が大塚になり、一心病院は大塚駅のすぐ近く。その大塚駅の隣が巣鴨なので巣鴨から板橋区といっても電車でいえば2駅ぐらいの距離だ(池袋は豊島区だが)。

だが、文京区と板橋区は同じ23区でもかなりランクが違う。

文京区は東京大学もある教育レベルの高い治安の良いエリアであり、子育てしやすい街ランキングでも上位に入るところだ。

一方の板橋区は埼玉県との境目にあり、大きな荒川の土手があり(花火大会は東京一)、印刷所などの工場が多く、有名なのは高島平の団地と大山の商店街「ハッピーロード」があるが、全体的に23区の中では地味なエリアである。

小学校4年生の時に、文京区から板橋区に引っ越したPUNPEE。こうして幼なじみのいない町に引っ越すと、兄弟仲が深まる。小さい頃からお互いを知っている唯一の存在になるからだ。

PUNPEEには3歳年下の弟がいた。後にPSGというグループで一緒に活動するs.l.a.c.k.(スラック、現5lack)だ。この二人の絆に深さに引っ越しの影響はあったと思う。

不良の多い中学校に入る

やがてPUNPEEは小学校を卒業すると、地元の中学校に入った。

彼は入学後、当時好きだった「スラムダンク」のメガネの部員、小暮にシンパシーを感じてバスケをやるがすぐに辞めてしまった。

部活をやらない学園生活。しかも、そこは不良の多いことで有名な学校だった。不良が多い環境では、どうしても強者と弱者に分けられる。

「いじめられっ子と仲が良かった」というPUNPEEだが、当時、かなりの量のゲームをもっており、「ゲームをいっぱい持っているやつ」として不良にも知られていた。

プレステを貸しては壊されたりしながら、不良たちの中で生き延びる術を身につけていく。この当時、不良たちと良好な関係を築いていた彼は「まぁ、こいつはパンピー(不良じゃない一般人)だから」という扱いを受けていたことが、後のPUNPEEという名前につながったという。

そんなゲーム好きだった彼だが、この他に当時好きだったのが音楽とアメコミだった。

父親の影響で音楽好きに

音楽好きになったのは父親の影響が大きいという。彼の父親はビートルズ、さらにソウルやレゲエも聴いており、家には幼いころから大量のレコードがあった。

「父親が毎朝かけている音楽とコーヒーの匂いが混じり合った記憶が残ってて。子供のころは朝からレコードがかかっているのがイヤでしたね。針をずらして音止めて怒られたりしてた」という家庭環境で育ったため、小さいころから日常の中に音楽があった。

やがてビジュアル系バンドのサポートメンバーとなり、ステージにも立つようになる。また、中学校時代には、当時テレビでDJ KRUSHのプレイを見て、バンドにDJの音を取り入れようと、ターンテーブルを購入している。

さらにこの時期に日本語ラップにも出合っている。

当時の彼はよく弟と一緒に近所の公園にスケボーをやりに行っていたが、そこで年上の人がかけていた音楽が、SHAKKAZOMBIE(シャカゾンビ)の「虹」や「空を取り戻した日」などの名曲の入ったアルバム『HERO THE S.Z.』だった。

気になった二人はアルバムを購入。そこから少しずつ日本のヒップホップも聞くようになっていた。

アメコミの作り込まれた世界観に魅了される

PUNPEEのアメコミ好きは有名である。

そのきっかけについて本人は「小学生とか中学生の時にX-Menがアニメでやったり、タートルズがやってたりした世代なんで、けっこう普通に見ていました」と当時の様子を振り返っている。

その後、原作であるコミックを読むようになり、1つの作品を2年半かけてつくるような作り込まれた世界にのめり込んでいく。特に好きな一冊として悪役を倒すヒーローたちのその後を描いた名作「ウォッチメン」を挙げている。

現在はアメコミ業界でも知られる存在となり、すでに2冊の本も監修。近年はアメコミ系のトークイベントにも出演している。

高校で軽音楽部に入る

やがて高校に入ったPUNPEEは軽音楽部に入部。JUDY AND MARYのようなバンドでベースとギターを担当していたが、オーディションの日に寝坊してクビになってしまい、その後は自分で音楽をつくるようになる。

どんな音楽を作るか悩んだ時に参考になったのが、Beck(ベック)の「Midnite Vultures(ミッドナイトヴォルチャー)」だった。そのサンプリングと演奏を混ぜたスタイルに刺激を受け、楽器をやっていた経験を活かしながら音作りを始める。

最初はインストを中心に作っていたが、次第に弟と二人でラップを入れたMDなども制作。そして、高2~3ぐらいの時に、「ヒップホップを聞いている同級生がいる」と後にPSGでグループを組む、GAPPER (ガッパー)と出会っている。

高校卒業後は大学に進学するも1年で退学。そして2002年に板橋録音クラブ(IRC)を弟とGAPPER、また現在は辞めてしまったほかの2名とともに結成し、バックDJ、トラックメイカーとして活動を開始した。

UMBの東京大会で優勝を果たす

大学を辞めフリーターとなった彼は、板橋のレンタルビデオ店でバイトをし、大量に映画を見てヒップホップを含めたさまざまな音楽を聞き、そしてノルマを払ってステージに上がり、ライブを行う日々を送っていた。

2002年にIRCを結成してから3年の月日が経った。

相変わらずノルマ払ってライブをやる先が見えない状況。それが変わるきっかけになればと、彼はフリースタイルバトルへの出場を決意する。

この頃のバトルの状況を振り返ると、1999~2001年まで当時の日本一を決める大会だったB-BOY-PARKでKREVA(クレバ)が3連覇を果たす。

その翌年にMSCの漢が優勝するが、2003年にはバトルの審査を巡ってトラブルが起こり、翌年からは縮小傾向となる。2005年は会場を両国に移して再開。この大会は僕も現場で見ていたが、晋平太とCOMA-CHIが激しく争っていた。また、当時はカルデラビスタが圧倒的に上手いと思ったのを覚えている。

その一方で、2005年からULTIMATE MC BATTLE(UMB)がLibra Recordsの主催で開催され、出場者の面子からこちらの大会が事実上の日本一決定戦となっていく。

そんな時代にPUNPEEは「何かこの状況が変われば」とバトルに出たのだ。初めてのバトルは池袋のクラブbed(よくNippsが入口にいた)で行われた。

最初のバトルは「1試合目で緊張しすぎて腰が抜けてしまって、2回戦で負けてしまった」という残念な結果だったが、2006年、22歳の時にはUMBに出場。強敵、KEN THE 390に勝利し、東京大会で優勝する。

そして2007年にはPUNPEE、S.L.A.C.K.、GAPPERのそれぞれの頭文字をとった「PSG」を結成。

2009年には世界的なサンプラーメーカーAKAIが主催する「AKAI PROFESSIONAL PRESENTS SAMPLER BATTLE GOLDFINGER’s KITCHEN 2009」に出場し、圧倒的なパフォーマンスを披露。優勝の栄冠を手にする。

さらに、2009年には「PSG」としてデビューアルバム『David』を発表。これがジブラやクレバなどの現役のラッパー、専門誌から高い評価を受ける。

PUNPEEが板橋録音クラブを結成したのが2002年。PSGとしてデビューしたのが2009年。ここまで7年の月日が経っている。

その間にフリースタイルバトルでの優勝などもあったが、その肩書きほどの活躍はしていない。ヒップホップ専門誌のblastにデモを送っても通らない日々。しかし、このくすぶっていた、と思われがちな時間こそが、その後の活躍にとって大切な時間だった。

まずPUNPEEを一言でいうと「センスが良い」となる。では「センス」とは何か?それは「膨大なデータベースから適切なものを選びとる力」だと思う。

つまり、前提として必要になるのが膨大なデータベースなのだ。

そう考えた時、PUNPEEが下積み時代に見ていた膨大な映画、音楽はすべて彼の血肉となっていったのだ。

もちろん、時間をかけて積み重ねれば全ての人が成功を手にするわけではない。

ただ、後にあれだけの名曲を生みだせた理由を「天才」や「センスが良いから」という一言で片づけないで分析すると、この時期にストックしたデータベースとトライ&エラーの積み重ねこそが、生きていると思う。

それを感じさせるのが、彼の作品の特徴の一つである膨大な過去の作品からのオマージュである。それはライムスターやKダブシャインなどのヒップホップレジェンドのリリックの引用だったり、「水曜日のダウンタウン」のラップであれば、かつてダウンタウンが歌った曲「エキセントリック少年ボーイ」からの引用でもある。

分かっている人からすれば「お、これを持ってきたか」となる、きちんと90年代からのヒップホップの文脈を理解した作品作りを可能にするのは、全て膨大なデータベースがあるからであり、それを実現できたのは板橋区蓮根のビデオ店LINKでの「次の客が来るまで1時間ぐらい空く、ひたすらヒマな時間」を始めとする、ヒマ人として過ごした時間だろう。

この「ヒマ人」という言葉は通常はネガティブな意味でとらえがちだが、彼のリリックの中でたびたび登場するワードであり、「エジソンもアインシュタインもヒマ過ぎてイマジン」というように、「ヒマだったあの頃の時間」こそが彼の発想の源泉になっているのだ。

枚数限定CDが即完売

2009年に「PSG」のデビューアルバム『David』によって注目を集めた彼らは、2010年にタワーレコードでインストアイベントを行うと、大勢の人が詰めかけた。

本人はその状況を「なんか知らないところでファンが増えてるんだなぁ」と思っていたが、着実にファンは増えていった。

また、個人の音源としてはライブ会場などで限定でいくつかのMIX CDを発表した。2010年には、関係者向けのMIX CD『Mixed Bizness』を1000枚限定で発表、即完売。2011年には2nd MIX CD『BIRTHDAY BASH MIX』を発表。さらに2012年には3rd MIX CD『MOVIE ON THE SUNDAY』をディスク・ユニオンで2000枚限定で発売、こちらも即完売しており、現在オークション価格2~3万円で取引されている(いずれも入手困難だが、2017年4月現在、神保町のレンタルCD店「ジャニス」では借りることができる。たいてい借りられているが)。

こうして枚数限定CDの価値が上がる一方で、それをレコード会社から再発売するつもりはないという。

その意図について彼は 「なんか自分はそういう売り方が好きなんですよね。ビースティ・ボーイズがライヴ会場で、シングル・カットしていない曲のインストだけを毎回レコードにして売ってるのとか、すげぇ粋だなって思ってましたし。そういうのが好きっすね。リスナーを振り回したりして、リスナーはたぶん迷惑してるんすけど、数百枚しか発売されない盤を手に入れたら、真剣に聴くと思うんですよ」と語っている。

TVCMやテレビ番組の仕事も増えていく

2014年、PUNPEEの元に「レッドブル」のテレビCMのオファーが届く。そして「ナポレオン編 日本版」のラップを担当することになった。

さらに、同年にはプロデューサーが彼のファンだったことから『水曜日のダウンタウン』 のオープニングのラップとトラックを担当することになった。

この経緯についてPUNPEEは「代官山で知り合った藤井さんという人とバーカウンターにいたら、『俺、テレビ番組作ってるんだけど、音楽やってくれない?』と言われた」とあくまで知り合いがたまたま声をかけてきた、という風にインタビューで語っているが、プロデューサーの藤井さんは自著『悪意とこだわりの演出術』の中で違うことを言っている。

藤井さんは自らを「16歳のとき『さんぴんCAMP』には行けなかったけど、年末の『鬼だまり』には行けました」というヘッズであることを語ったうえで、「『水曜日のダウンタウン』のメインとなるいくつの楽曲はPUNPEEというヒップホップアーティストに作ってもらいました。僕が彼のファンであったことはもちろん、番組内の楽曲に一貫性を持たせられるのでオファーしました」と語っている。

つまり、藤井さんは最初からPUNPEEのファンであり、『水曜日のダウンタウン』のスタートに合わせてオファーしていたのである。そのオファーの背景にあったのは、youtube上にあった彼のクオリティの高い楽曲だった。

大ファンの宇多田ヒカルに認められる

PUNPEEを語るうえで欠かせないのが、宇多田ヒカルとの関係だろう。冒頭で書いたように、彼がリミックスした宇多田ヒカルの曲が全米2位になっている。

その関係性のきっかけは、PUNPEEが2014年の12月4日にインターネット放送局の「DOMMUNE(ドミューン)」で 「宇多田ヒカルのうた」というタイトルでリミックスを放送したことが発端となっている。

彼はそこでDJをやりながら「本人が見てるわけないけど、見てることを想像して汗が止まらない」と言っていたが、これが宇多田ヒカルの関係者の目に止まり、2016年12月には宇多田ヒカルが出演するネットイベント「30代はほどほど。」で宇多田ヒカル本人の前でDJプレイをすることになる。

この流れについては本人は「DJ YANATAKEさんという、昔から宇多田さんをクラブミュージック方面からサポートしている方がいるんですけど、俺がファンだと公言してるのをその人が聞いてねじ込んでくれたんです」と語っている。

とはいえ、ファンなら誰でも出られるわけではない。ここでも「DOMMUNE」における極上のDJプレイがあっての出演決定だった。

そして、このファンとして行った活動が2017年1月、全米2位になった「光 (Ray Of Hope MIX)」として結実するのである。

加山雄三とも共演を果たす

宇多田ヒカルと全米2位を獲得する一方で、もうひとつ注目すべきプロジェクトがある。それが2015年に発表された加山雄三の「お嫁においで」をリミックスした「お嫁においで2015」である。

この企画は、カレー屋まーくん(DJとしても活動)という人物が加山雄三のマネージャーと知り合いであり、ふと彼が加山雄三のリミックスを作ったら面白い、と思いつき、声をかけたのが以前にイベントで一緒になったPUNPEEだった。

PUNPEEは自分みたいなダメなラッパーが嫁に来ないか、と言ったら?と想像して等身大の自分を投影したラップを作り上げ、見事に過去の名作をリメイクし、さらにPVでは加山雄三本人とも共演を果たしている。

こちらは発売と同時に高い評価を受け、アナログ盤には一時はプレミアが付くほどの人気となった。

その一方で、彼自身のアルバムを待ち望む声も多い。

正直、youtube上にある曲をまとめるだけで、十分に素晴らしいアルバムが出来ると思う。

だが、彼にとってアルバムは「ウォッチメン」のような作り込んだ作品であり、現在は他の人のオファーが増えている状況のため「自分はそんなに器用ではないので、どっかで客演の仕事をストップさせないと、そういう作品はまだ作れないかなぁ」と語っている。

これからのPUNPEE

「水曜日のダウンタウン」の藤井プロデューサー、宇多田ヒカル、加山雄三とも共演を果たし、さらにヒップホップ界では、ライムスター、ブルーハーブのボス、SEEDA、般若などの大御所が彼にオファーをしている。そんな彼の状況を見ていると、ブレイクしてもっと多くの人に知られるのは時間の問題とも言える。

そんな彼にいま求められているのが、アンダーグラウンドで溜めこんだ熱気をそのまま詰め込んだような、それでいて、みんなが口ずさめる「アンセム(集団を代表する歌)」だと思う。

過去、ヒットチャートを賑わすようなヒップホップのヒット曲は、1994年の小沢健二とスチャダラパーによる「今夜がブギーバック」と1999年のDragon AshとZEEBRAとACOによる「Grateful Days」だと思う。

しかし、1999年の「Grateful Days」が発表された時にヒップホップ専門誌でECDが「あれは俺たちの文化を盗んだ『盗人の音楽』だ」と怒ったように、ヒップホップ界が盛り上がると、ヒップホップの外側の人が美味しいところをとっていく状況が2度続いた。

盗人の音楽という言葉が正しいかったのか、いまになってヒップホップの歴史や許容量から考えると、了見の狭い話のように感じるが、当時の感覚はそうだった。

つまり、ジュースでいえば果汁100%とそうでないものがあるように、過去の作品は小沢健二などその他の要素が60%ぐらい入ってて売れたのであって、決してヒップホップ味100%で売れたわけではないのだ。

そう考えると、今度こそヒップホップ味100%で、この熱気をそのまま表現するヒット曲が登場してほしいと思う。

そして、冒頭に戻る。では誰が作るのか。それはやはりPUNPEEだと思う。彼こそが日本のヒップホップを取り巻く状況を変えるキーマンだと思う。

彼の作るトラック、メロディ、独特な発音。古館伊知郎がPUNPEEがつくった「ファンタ」のCMの「ニューファンタ」の言い方を例に、「耳に残る言葉、聞いたことない言葉に聞こえる抑揚の作り方」をテレビ番組の中で何度も褒めていたが、確かに彼はそれが抜群に上手いのだ。

時間はかかるかも知れない。でも、そろそろ彼の曲が日本を席巻する日が来ると思う。期待して待ちたい。

ソロアルバムが一般に出回っていないPUNPEEだが、youtube上には多くの楽曲がある。

おすすめの曲ベスト5

『MOVIE ON THE SUNDAY』に収録された作品。2017年4月に放送された古舘伊知郎の「トーキングフルーツ」でも、音がどう聞こえるのか、すごく考えると語っていたが、このタイトルの「Renaissance(ルネッサンス)」も最初は「ネッサン」って聞こえていたぐらい、新しい抑揚でそれだけにクセになる一曲。間違えなく名曲。

1989年生まれのトラックメーカー「STUTS」の作品にラッパーとして参加した2016年の曲。「太極拳のじじいがむっくり起きるその前に」という言葉が耳に残る一曲。そして名曲。あとおじさんになったPUNPEE役の人がすごい似てる。

ご存じ加山雄三の名曲をフックにPUNPEEが緩めのトラックとラップでリメイクした作品。最初の方の部屋でアメコミとツイギーのレコードがあるのが気になってしょうがない。こちらは演技も悪くない。

名作『花と雨』によってヒップホップ界で独自の地位を築いたSEEDA。彼とPUNPEEが楽しそうに演技しているPVが印象。演技はダメだけど味がある。この曲の元ネタは確かシャカゾンビも使っていたと思う。


テーマは大したこと歌ってないんだけど、本当に良い曲。ここでもワードと言い方が面白いのがけっこうある。フローとは違う「進化かてーいでの」とか。一番クセになる曲。

Punpee Mix

ここに『MOVIE ON THE SUNDAY』のPOPSTARなどの名曲もほぼ入っている。

おまけ

ヒップホップ界を代表する頭脳派の対決。


もう何度でも聞いていられる動画。作業中のBGMにもぴったり。

菅田将暉がラッパーに大変身!ファンタCM&メイキング集

菅田将暉にダメ出しするPUNPEE。やっぱり最後のニューファンタがかっこいい。

【参考文献、インタビュー】
街ものがたり
PUNPEEのもっと詳しいインタビューが載っている。

クイックジャパンvol.126
過去、現在を語りながら、これからヒップホップが生き残る道を語っている。

『悪意とこだわりの演出術』藤井健太郎
PUNPEEのことが出てくるのは少しだが、ヒップホップ的な番組作りの話とか面白い。

パンピー好きなら読まなきゃなアメコミ

PSGのアルバム。こちらも名曲が多い。

PUNPEEが語る極私的名盤

thefuturetimesインタビュー

BEAT SCIENTISTS 〜HIP HOPのおとづくり〜 VOL.1 feat. PUNPEE
音楽的な背景から音作りの話をけっこうしている。

miyearnZZ Labo「PUNPEEとRHYMESTER『Bitter, Sweet & Beautiful』制作を語る」

本人のブログ

ビデオ店の名前とかはここから。