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初期J-Rapが分かる貴重な証言と緒川たまきが恋した瞬間

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日本語ラップが好きで、女優の緒川たまきが好きだ。

ということで、連休中に緒川たまきが若い頃にパーソナリティをやっていた、NHKの情報番組「土曜ソリトン SIDE-B」のyoutubeを見ていたところ、1995年に放送された「ラップ特集」を発見した。

そこに出ていたスチャダラパーとビッケがけっこう日本語ラップの最初の頃を知るうえで、重要なことを言っていたので、それについて書いてみたいと思う。

「ルールを知らずに野球をやっている感じ」だった日本語ラップ

ヒップホップが日本に入ってきて、最初に起きた対立が「J-Rap」VS「日本語ラップ」だった。

それは1996年の日本語ラップの金字塔的なイベント「さんぴんCAMP」の冒頭で主宰者のECDが「J-Rapは死んだ、俺が殺した」と叫んでいることからも明らかである。

では、J-Rapとは誰なのか。それがスチャダラパーであり、ビッケのいるTOKYO No.1 SOUL SETだった(放送の中で「僕らが言った言葉じゃない」と語っていたが)。

日本語ラップ側の言い分のひとつが「彼らは韻を踏んでいない」ということであり、その結果として、NYにいたブッタブランドのデブラージが日本のシーンをみて「ルールを知らずに野球をやっている感じだった」と回想する状況を生んでいたのだ。

まだ当時のシーンは小さく、活動の場所も限られていたため、違う考え方を持つ人たちが同じステージに立つことも多く、彼らは「邪道」と言われていたという。

そういう背景を知ったうえで、この番組を見ると面白い。

番組内で彼らの語った言葉とは?

インタビューでは近田春夫が「ロックにはメロディーがある。でもロックにラップはない。ヒップホップにはラップもメロディーもあって自由だ」と語り、ちょうど「DA.YO.NE」のヒットの直後だったこともあり、若い頃のGAKU-MCもインタビューで登場している。

当時のライブ映像も流れ、シャカゾンビとTOKYO No.1 SOUL SETが同じステージに立っていたり、さらに会場は明るく、当時の客層には女性が多いこともわかった。

高野寛と緒川たまきというおっとりした二人のMCと噛み合わないスチャダラパーとビッケ。

特にラップとは、ヒップホップとは、という話になると、みんなの口が重くなる。というのも「僕らは邪道なので」という居心地の悪さがあるからだろう。

韻について高野寛が、「教授(坂本龍一)は日本のラップは韻を踏んでない、あれはラップといえるのかな」と言っていた、という話をするが、スチャダラパーの方は「韻はゲームのルールみたいなもん。踏んだ方が強いみたいな。そんなの聴く側からすればどうでもいい話」と言い切り、ビッケも「韻を2つぐらい踏むと恥ずかしくなる」という。

また「聞こえ」を非常に重視している、と語り、言った言葉が「ちゃんと聞こえてる?意味分かる」と周囲に聞いているという。

1995年といえば、マイクロフォンペイジャーが1stアルバムをリリースし、キングギドラが「空からの力」をリリース。さらにブッタブランドがアメリカから帰国した年である。

先鋭化する日本語ラップに対して、ラップ特集の番組で「ユルさ」を強調するスチャダラパー。この構図は月日が経った今見ても厳しいものがある。そりゃ、ハードコア路線の人は怒るだろうと。

寿司が海外でブームというから行ってみたら、ヘンテコな寿司を出してて「これは寿司じゃねぇ!」って日本人が怒るのと同じ感覚が当時の日本語ラップ側にはあったのだろう。

ただ、その気持ちが分かる一方で、あの頃の日本でヒップホップを広めるには、まずこの形から入った方が正解だったよなぁとも思う。

つまり、カリフォルニアロールで薄く広く浸透してから、伝統的な寿司が登場する、というか、まずは現地に慣らしてから行くのが、結局日本に広めるうえでは合っていたのかな、と思う。

ちなみに彼らの主張をまとめると以下のようになる。

・韻は踏まない(聞く側にはどうでもいい)

・自分たちは邪道である

・ちゃんと聞こえるか、伝わるかをすごく気にしていた

ちょっとダラダラした映像だが、空気感も含めて日本語ラップ対J-Rapを考えるうえで重要な内容だと思う。

おまけ:ビッケに恋する緒川たまき

さて、そういう貴重な証言でした、という話以外に、僕を驚かせたのが緒川たまきのビッケに質問する時の表情だった。

文学少女、緒川たまきと、ラップに文学性を感じさせるビッケ。好きにならないわけがない。だらだらした若造スチャダラパーの解答が終わったところで食い気味に「それでビッケさんは?」と聞く緒川たまきの顔はまさに恋をしている顔だった。

日本語ラップファンならずとも、緒川たまきファンなら必見の映像である。

コメント

  1. DJ FUCK THE J RAP より:

    それは違うと思う。
    と云う言葉が誕生したのは俺の知ってる限りだと94、5年深夜番組の一つのコーナー内にあったブラザーコーンが司会してたが発祥だと思ってる。
    覚えてる限りだと素人ラップコンテストがあって、それからブラザーコーンを中心に取り巻きやダンサー&あばずれ等如何にも深夜枠にあるバブリーな感じのリカコがいそうな雰囲気)マイクリレーをやってたのが記憶にある。(確か)ZINGIやGAKU MC? マミーD?(記憶が間違ってたらサーセン)も出てたと思う。ブラザーコーンに媚を売りながら。そこで優勝したのがEDUとか云うグループでKISS MEとか云うもろペイジャーのTWO NIGHTのパクリ曲。DISCO上がりの糞ボケどもがYooooo Jaaay RAAAAP!!!とか叫んで盛り上げてた印象だった。当時10代だった俺は日本語RAPにのめり込んでいた事もあって情報源も無かったから仕方なく見てた。毎週見てくうちになんかきな臭さを感じ見ていて気持ち悪かったし、しったかHIPHOPで一稼ぎにしようといううさん臭さがブラウン管からびんびん伝わってまだ世間知らずの俺でもそんな事は感じとれた。
    こんなデタラメなカルチャーでほんと大丈夫なのか??
    そんな時、怒り心頭で穴蔵からマスメディアに登場したのがアサヤンの<<<雷>>>
    一瞬しか写らないで優勝とか云う意味不明な編集で疑問が残ったがその一瞬で俺自身に雷が落とされた。もちろん連中の存在は知っていたからこれは現場に行かねばと思い、マンハッタンでフライヤーをゲトりそのまま西麻布イエローへ。
    <亜熱帯雨林>怒り狂った連中が牙を剥き出しにしてマイクにかじり付き叫んでいた。
    証言は本来アカペラの曲、俺から云わせりゃアカペラで聞けって感じ。それがオフィシャル。GAMAは過小評価されがちだけど当時はフローがぶち切れててバッチリイケテタ。暗夜行路はデビュー出来なかったけど、運良く亜熱帯雨林は全出席で最前列で連中の怒りに賛同してた。心臓を鷲掴みにされながらやっぱり本物はいるんだって感じていた。やはり本当に語り継がれる嘘の無いイベントであった事は間違いない。

    話が脱線して申し訳なかったけどあの発言はブラザーコーン中心としたうさん臭い連中にに向けての一撃だと俺は思っている。

    ホントに日本語RAPが汚れてない嘘の無い時代は3ピンまでだね。

    B-BOYパークは行った事も無い。今流行っているフリースタイル何とかも興味無いね。
    あの黄金時代をサポートしてたREAL B BOY HEADZは誰もサポートしてないと云う事を忘れず。

    • 執筆:きなこなん より:

      DJ FUCK THE J RAPさん

      コメントありがとうございます。

      熱帯雨林行ったんですね!うらやましい!僕はさんぴんの翌年から聞き始めて、クラブなんて行けない人間だったので、全部後追いとフロントとかの情報だけですね。ただ、新譜はずっと聞いていたので、流れだけは追えている感じです。こういう文章ももっと適切な人が書くべきだなと思いますが、誰も書かないから、なら自分で書こうと書いています。さて、違います、の件はJ-Rap=スチャダラたちではない、ということですかね。そうなんですかね。さんぴんのビデオを見ると明らかにLBに対して「これたちは小鳥じゃない、つまりビッグバード」とかデブラージが喧嘩を売っている感じなので、まぁこれはそうなんだろうと思っていました。また、実際、スチャダラやビッケが邪道だ、と言われたのはやはりマイクロフォンペイジャーなどのハードコアなラッパーたちからだったと思います。とはいえ、確信はないので、そっちのブラザーコーンなどかもしれないです。たしかスチャダラもコーンを「あそこんちのピザはもう食わねぇ」ってディスってましたので。アサヤンの雷は僕も見ました。異様な感じでしたね。こないだツイギーの本を見たら、雷とマミーDとソウルスクリームもいたそうです。もう一回みたいのですが、映像が見つからないですね。いずれにしても、熱い意見ありがとうございます。またこれからも書こうと思うので、見に来てもらえるとうれしいです。