|きなこなん式 https://kinakonan.com Thu, 03 Mar 2022 13:46:31 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.8.9 日本語ラップのECDの功績 https://kinakonan.com/ecd/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=ecd https://kinakonan.com/ecd/#respond Thu, 03 Mar 2022 13:39:40 +0000 https://kinakonan.com/?p=3084

プロレスラーのようながっちりとした体格の人が下北沢の踏切に立っていた。

しばらく見ていたら「あ、ECDだ」と気づいた。その後も何度か下北沢の踏切ですれ違い、ある日はたこ焼き屋さんの行列に並ぶ姿を見かけたこともある。15年ぐらい前の話だ。

そんなECDが亡くなったのは、2018年1月24日。ぼくが日本語ラップを聞き始めたのは、1996年だから22年間この人を追い続けたことになる。結局、ライブに行くことはなく、CDを聞き、小説を読み続けただけだった。

ぼくとECDの接点はそれぐらいだ。だが、彼から受けた影響という点では、かなり大きいと思う。特にその生き方、しっかりと怒り、NOと言う姿勢から学んだことは大きい。一方でECDという存在を失ったことでヒップホップは生き方からエンタメにより寄っているように思える。

「昔ヒップホップは心の叫びだったのに」「いまは金儲けの手段」という言葉がツイッターで流れてきた。

日本語ラップが心の叫びだった時代のECDの貢献について、しっかりと書き残さなくてはいけないと思う。彼がいなければ日本語ラップの歴史は変わっていた。それだけは断言できる。


ECDの三大功績

日本語ラップの歴史を掘っていくと、初期のキーマンは間違いなくECDだったことが分かる。

ECDがやったことは一貫している。自分が評価する人を周囲に宣伝し、それをきちんと形に残す。これをECDは繰り返していた。

ECDが行った3つの功績のうちの1つめは、ブッダブランドがN.Yで活動しているときに、彼らの音源を聞き、当時ECDが所属していたエイベックスの自分の担当者に彼らを紹介し、すぐに録音をしたこと。つまり、ブッダブランドと日本をつないだのは、ECDだった。

そして、そのブッダブランドのすごさを世間に紹介するためのイベントを企画し、さらにそれをドキュメンタリーのように撮って記録に残した。それが「さんぴんCAMP」だった。

また、名古屋の地で一人でラップスキルを磨いていたTwigyが東京で初めてラップを披露した夜にステージを降りてきた彼の腕を掴んで真っ先に褒めたのが、ECDだった。

それまでTwigyは、自分のラップのスキルがどの程度なのか把握できておらず、なんとなく「東京の奴らはもっとすごいだろう」と思っていたという。それがECDの評価で一変したのだ。Twigyという天才をヒップホップの世界に引っ張り込んだのだ。

ブッダブランドを世に出したこと、さんぴんCAMPを主催したこと、そしてTwigyを真っ先に評価して、ヒップホップの世界に引き込んだこと。この3つは、初期のヒップホップを語るうえで、本当に欠かせない。それが無かったら歴史が変わっていたぐらいの出来事だと思う。

余談だが、さんぴんCAMPでECDは出演者一人一人に直接連絡をしてブッキングをしていったという。その中で、Twigyだけが「この喧噪に飲まれたくない」という理由で出演を拒否し、一時的に日本を離れた。そんなTwigyの代わりに名古屋代表として出演したのが、当時18歳のTOKONA Xだった。


ラッパーECDをどう評価するのか?

僕が日本語ラップに出会った1996年頃。まだ日本語ラップのプレーヤーは数えるほどしかいなかった。それはブッダブランドなどが曲の最後に仲間の名前を呼ぶ際の人数でも把握することができる。20人前後。当時の中心人物の人数はそんなものだった。

そんな中で、ECDの立ち位置はずっと特殊だった。1996年、他のラッパーが20代半ばのころにECDはすでに30代中盤だった。自分が年齢を重ねて分かるが、30代半ばで20代半ばの人たちと一緒にステージに立って、活動を続けていくのはなかなか辛い。単純にノリが合わない。

あの頃はヒップホップのアルバムが出る機会も多くなかったので、外資系レコードショップを3店舗ぐらい回れば、たいていの新譜はカバーできた。そうして新しい人の曲を聴き続けていくと、本当にうまい。目に見えて日本語ラップが進化していく。

小学生のころ、足が速かった人が中学校に行ったら、そんなに足速くなかった、と気づくように、ラッパーが増えるにつれて、ECDのラップスキルには疑問符がつくようになった。

それは本人も自覚していた。自著の中で彼は「雷のステージを見ながら、自分が時代遅れだとはっきりと感じた。マイクを渡されたぼくはステージにダイブすることしかできなかった」と書いている。

ヒップホップには大きな波が来ていた。みんながその波に乗って進んで行っていた。だが実は途中で溺れて海の底に沈んでいった人もいる。沈みそうになりながらも必死に食らいついている。それがぼくが見えていた当時のECDだった。

だが、今なら分かる。それはダウンタウンの松本人志がお笑いの世界を塗り替えた時に、タモリがつまらない、と言われた時と同じだということを。

新しい価値基準が生まれると、そのモノサシに沿って人は判断する。フリースタイルが流行れば、フリースタイルが上手い人が評価され、そうでない人は評価されなくなるのと同じだ。

だが、そもそもラッパーは完璧である必要はなく、不完全性こそがラッパーの魅力だったりする。

顔が良い、ラップが上手い、フリースタイルもできる、特徴的な声をしている、トークも行ける、人柄が良い、それらを満たした人が評価されがちだが、本来ヒップホップはそんな音楽ではない。1個飛び抜けていればいいのだ。とんでもない個性。そこを見るべきなのだ。

その点で、ECDはメッセージ性と声の良さが飛びぬけていた。

特に声はすごかった。ある日、ニュースでデモの映像を流していた。僕は画面を見ていなかったが、一人だけ特別に良い声の人がいると思ってテレビを見ると、そこにECDがいた。

また、ECDの家庭内Youtube「石田マンション物語」のこちらの動画で、子どもがジュースが欲しいと駄々をこねる始める中で、ECDが「買わないよ、買わないっていった」というのだが、この声は本当に良い。ただの日常の場面なのに、不思議とラップに感じる。

1分15秒ぐらいのところ
https://youtu.be/wbonxSQ4FLM

時代を少し戻そう。ヒップホップが大きな波に乗る中で、ECDに決定的なことが起きた。そして、彼は深い海の底に沈んでしまう。

それは日本語ラップの歴史として考えても、大きな溝を生んだ出来事であり、その時、ECDが言ったことは、今もぼくの心に深く刻まれている。

ドラゴンアッシュに対して「盗人の美学すらない」と怒る

日本語ラップの歴史をざっくりというと、
1、東京を中心としたシーンの立ち上がり
2、トコナ、ブルーハーブなどの地方からの刺客
3、キックザカンクルーなどのラップ人気の裏で、MSC、SCARSなどの不穏な空気と降神などの登場による内面を語る時代
4、気づくと特殊な生い立ちや環境をスキャンダラスに語らないとラップってできないのかな、という流れができる
5、ラップがインフラのように当たり前になっていく時代

とかなり、おおざっぱだけど、そういう大きな流れがある。

いま振り返ると、1と2はまるでラジオのパーソナリティとリスナーのような関係だったと思う。

パーソナリティは話し手ではあるけど、実はリスナーも込みで番組は成立している。リスナーは内輪ネタ的にパーソナリティをいじり、「おまえらやめろよ~」と返すことで番組を盛り上げていく。それは壮大な共犯関係のようなものであり、内輪ネタであればあるほどその結束は強まっていく。

昔クラブのライブに行ったら、周りの人が順番にステージにあがってラップをして、「あれ、この人も出演者なんだ」と思っていたら、結局、僕以外は全員出演者だったことがあった。

当時はインターネットも無いので、ヒップホップの専門誌と、雑誌のヒップホップコーナー、You the Rockの不定期のラジオ「ナイトフライト」が情報源だった。

東京の人たちが最新の音楽を全国に届け、それを聞いた地方の人たちがもっとすごい曲を出して、東京の人たちが評価する。そうやって切磋琢磨しながら前に進んで行った。

だが、それは小さなコミュニティであり、Youtubeもツイッターも無い時代に、そんなやりとりなど知らない人は全く知らない閉じた世界だった。

それを大きく揺るがしたのが、ドラゴンアッシュの登場だった。

ドラゴンアッシュは、先ほど書いたヒップホップのコミュニティの外からやってきた存在だった。日本語ラップが積み上げてきた手法だけを取り入れて、彼らの音楽を作った。それは一つの手法であり、音楽を独占するなんておかしな話なのは、百も承知している。ただ、ヒップホップコミュニティの中の人にとって、これは面白くないことだった。

毎号ジャンプに掲載された「ドラゴンボール」を読んでいたら、それとそっくりな「ドラゴンキッズ」というアニメをマーベルが公開して、世界で大人気になったようなものだ。え?オリジナルはドラゴンボールなんだけど、ん?なんだ、これはジャンプの人は許可しているのか?となるのが自然だろう。

いまぼくの手元には、その当時の1999年7月号のヒップホップ専門誌「Blast」がある。その紙面では、ドラゴンアッシュの登場について、その是非をライター陣がそれぞれの視点で書いている。

「ドラゴンアッシュを称える文脈に不快感を覚える」「『ヒップホップか否か』以前に考えるべき問題がある」「『日本語ラップ=かっこいいもの』とのアピールは収穫」という文章が並ぶ。

総攻撃とは言わないが、否定的な感はぬぐえない。

だが、やがて彼らの曲は素晴らしいセールスを記録する。共演したジブラも一気に有名になる。お金の匂いが一気に強まったからか、ドラゴンアッシュを叩くラッパー、ライターはすぐにいなくなった。

後に、キングギドラは「公開処刑」という曲で手ひどくKJをディスるわけだが、最初からそんなの分かっていたのに、ちゃんと印税をもらってから、叩くというジブラ特有の「軽さ」が出ているなと思った(ジブラの「軽さ」がヒップホップにたくさんの恩恵をもたらしたことも事実だけど)。

そんな中で、一人激怒している人がいた。それがECDだった。

彼らは俺たちの文化を盗んだ。「盗人の美学」という言葉があるが、それすら無い、ともう紙面から湯気が出てるぐらい怒っていた。

怒るECD、ドラゴンアッシュの素晴らしいセールスに近づく人たち。距離を取るけど、黙る人たち。とりあえず、ECDの怒りに同調する人は見つからなかった。

ちなみに、このドラゴンアッシュを総攻撃した号では、ブルーハーブが初インタビューを受けている。

そして数年後に同じ雑誌の巻頭インタビューに登場した彼らは「東京どうした、弱くなったな、blast(専門誌の名前)もドラゴンアッシュの時はあんだけ攻撃していたのに、いまはどうした」と語っていたのが印象に残っている。

また、10年後ぐらいのダ―スレイダー主催ライブで、ジブラ特集をやった時にグレイトフルデイズをかけたらヘッズがだんまりをして、ダースが「おまえらの気持ちも分かるぜ!」と言ったのもよく覚えている。

結局、ドラゴンアッシュの曲は、大きな踏み絵だったと思う。意外にも多くの人は踏まずに避けて歩いた。たまたま踏まなかったふりをしながら、避けて通った。その踏み絵をガシガシに踏んで、なおかつ火を付けるぐらいの勢いだったのが、ECDだった。

ぼくは今もあの時のECDを思い出す。それはECDという人を象徴しているからだ。

全員が空気を読んで黙る中で、一人でも怒り続ける。声は届いていない。それでも声を出し続ける。

それは後に原発のデモに参加した時も「まぁECDはそうだよな」と思った理由の一つでもある。あの人はポーズとか、メリット、デメリットではなく、「ちゃんと怒る人」だったのだ。

ずいぶん前にECDと長いことイベントをやっていた人にインタビューをした時に「石田さんは優しかった、静かな人だった」と語っていた。普段は静かで優しくて、怒る時にちゃんと怒る人。それがぼくの中のECD像だ。

やがてアルバムでラップをしなくなってきたあたりから、彼はアル中になり、エイベックスを出て、インディーズに活動の場を移すことになる。

そして小説を書く

そのあともずっとECDのことは気になっていた。インターネットでもECDは何かで発信していたと思う。トコナが亡くなった時も最初の情報はネットのECDの発言だった。

ユウザ・ロックの掲示板「友情BBS」なのか、2ちゃんのHiPHOP板なのか。記憶が曖昧だけど、ECDの動向は把握していて、アルバムが出れば買ったりしていた。

特にお気に入りだった曲は「Rock in my Pocket」だった。「ポッケにロック/ロック石ころ/これだけありゃなんでもできる」というフックは、ECDの生き方そのものだと思った。

梶井基次郎の檸檬ではないが、ポケットに小さな石を持って「これだけあればなんでもできる」と鼻息を荒くするECD。最高にかっこいいと思った。

とはいえ、そんなに売れているわけでもなく、経済状況はどうなっているんだろうと思った頃に「働けECD」というブログを発見した。

そのブログはすごく不思議なブログで、日記ではなく、ずっと家計簿が載っていた。ラッパーの家計簿。唯一無二の記録。書いていたのは、ECDの結婚相手の植本一子さんだった。

ECDは、ラッパーとしての収入は数万円で、舞台の仕事で稼いでいた。ただ、それも月16万円。家賃が11万円。子供もいる。すごい綱渡り。ECDは毎日レシートを一子さんに渡し、彼女がそれを文章にする。またコーラを飲んでる、と言われ、またレコードを買ってる、と奥さんに愚痴られる。めちゃめちゃ面白い。

そんなECDは、小説を書いていた。文学賞の賞金50万円目当てだったと語っているが、家計簿を見ると納得。その小説は「en-TAX」という雑誌に掲載されていて、初めてECDの小説が掲載された時には、その文才に驚いてしまった。

内容は自伝に近く、自分の生い立ちから現在までを書いていたのだが、すごいドラマチックなわけでもなく、淡々と書きながら、冷静に丁寧に言葉を紡いでいく。何か賞を取るような、そういう作品ではなかったと思う。でも、ECDは小説を何冊も書きながら、まるで森の中に立派な秘密基地を作るように、しっかりと自分の世界を築いていった。

ECDとは何だったのか?

ECDがさんぴんCAMPで「J ラップは死んだ 俺が殺した」と叫んだ1996年7月7日から26年の歳月が流れた。

過去を俯瞰してみた時に、ECDとはなんだったのだろうかと考える。そもそもそれがこの文章を書くきっかけだ。

ラップとは何か?日本でヒップホップをやる意味はなんなのか?

ECDは近田春夫という、日本語ラップの最初期の人物に師事していた人だから、それを考えないわけにはいかなかったと思う。

そして、その前に山崎晴美という人と出会っていることも大きいと思う。

この文章を書くために、山崎晴美のことも調べた(彼が編集していた伝説の雑誌「Jam」「Heven」の迷宮に迷いこんだりもした)。

山崎晴美は、ステージで痙攣してぶっ倒れるなどの過激なパフォーマンスをした人で、音楽的には当時の最先端にいた人だった。

山崎晴美はパンクの人であり、パンクの思想は、反権威主義、不服従、そしてこの世界をぶっ壊すことが目的だった。

ECDの生き方を見ると、どちらかというとパンクのDNAの方が強く、パンクの思想で、ラップをしていたんだと思う。

そして、ECDを語るうえで欠かせないのは、やはり「ロンリーガール」だろう。

この曲が生まれたころ、僕は都内の男子校に通っていた。中学卒業以来、女子と接する機会が無いまま月日が流れ、ある時「トゥナイト」でブルセラショップは見た時は震えたのを覚えている。

いま同級生の女子はこんなことになっているのかと。当時は渋谷区に住んでいたが、センター街は怖くて近づけず、映像ではルーズソックスを履いた女子高生が群れで歩いていた。

そんな時代に「ロンリーガール」は生まれた。あの頃、女子高生は特別な存在であり、彼女たちのシンボルである安室奈美恵は天下を取り、何か事件が起こるとワイドショーは女子高生に意見を聞いた。

そんな時代に、「いや、あなたたち飼いならされてるだけだ 立ち上がれ」とECDはラップしたのだ。良いルポルタージュは数年後に読んだ時に古いと感じれば感じるほど、今を捉えているという。それと同じように今聞くとなんとも思わないが、当時はすごく特別だった。ミスチルが「君が好き~」と言っている時に、ECDはセンター街のことをラップしたのだ。ラップは今を語るのだ、ということが明確になった瞬間だった。

そう考えると、ECDは日本語ラップ初期の道しるべのような存在だったのだと思う。

そんな彼の曲の中でも「トニモンタナ」は特別な一曲だと思う。

曲名の「トニモンタナ」とは、ラッパーのバイブルと言われている映画「スカーフェイス」の主人公。薬を売って、金、車、女を手に入れる。そんな映画だ。トニモンタナ=ラッパーの憧れと言っていい。

そしてECDは曲の中で「トニモンタナ/トニモンタナ/トニモンタナにはなれなかったんだ」とラップし、「ヒップホップ/ごめん落ちこぼれ」と吐露する。

そして、彼はその曲の中で「自分で作って売ってる音楽」とラップする。

日本語ラップの道しるべだった彼が、最後には自分で音楽を作って売っていた。それはもしかしたら、ラッパーの最終地点かもしれない。芸能人が次々と事務所を辞めるように、ラッパーもやがて音楽事務所を辞め、自分で音楽を売り出すだろう。

そうなった時、人々は気づくと思う。ECDはインディーズではなく、パンクの精神の一つとしてDIYで音楽を作って売っていたんだと。

そう、彼は最後までヒップホップの道しるべだったのだ。

ECDがつないだもの

ECDは、残念ながら2018年にがんで亡くなってしまった。

だが、彼が生み出したものを受け取って紡いだ人物がいる。

それは結婚相手だった植本一子さんとラッパーのPUNPEEだと思う。

PUNPEEとECDの直接の関係は、あまり詳しくないが、映像としては反原発関係のライブでラップするECDの後ろでDJをする若き日のPUNPEEが残っているので、面識はあったのだと思う。

PUNPEEとECDについて、強く印象に残っているのは2つある。

1つは、PUNPEEがECDの闘病中にテレビに出た際に、さんぴんCAMPの時のECDと同じジャージを着て、番組のエンディングではジャージの前を開けたところ、「ECD IN THE PLACE TO BE」と書かれていたこと。つまり、テレビを通して、闘病するECDを応援したのだ。

2つめは、彼の2018年のワンマンライブでECDの盟友である、イルシットツボイさんと共演し、ロンリーガールを作った時の機材を使って演奏した後で、ロンリーガールの歌詞を現在の若い女性に置き換えてラップしたこと。この曲は未発表だが、その歌詞は女性に対して「立ち上がれ」という思想を受け継いだ歌詞であり、本当に素晴らしかった。

また、アルバムのミキシングをツボイさんに依頼したのも、PUNPEEなりにECDのバトンを受け取ったように感じてしまった。

もう一人の植本一子さんもすごいことになっている。

ECDの家計簿ブログを書いていた時から、妙に読ませるものがある人だなと思っていたが、その後、彼女は『かなわない』という日記文学の金字塔を生み出す。

ECDも包み隠さず書く人だったが、一子さんはもっと包み隠さず書く。喜怒哀楽、愛情も怒りも全部書く。自分がどう思われるかなんて関係なく、とにかく書く。

小説家だって、文学者だって、どこかで作家としての影武者みたいなものを作って、それを表に見せながら、作品を書いている。

だが、彼女はもう「そのまま」なのだ。作家としての親鳥であるECDがそうやっていたから、それを見ていた自分もそうやったら、なんかすごいの生まれた、ということなのだろうか。

手法はECDと同じだが、ECDが本質的に静かだからか、淡々としている一方で、彼女はずっと刺激的だ。その内容に共感したり、反発したりしながら読む人の感情を揺さぶることができる数少ない作家だ。

ツイッターで一番良いのは、賛否でいえば、否が3割ぐらいあるのがベストらしいが、彼女の作品はまさにそんな感じ。強めの否の人もいるだろうが、熱烈なファンも生み出すほど、すごいエネルギーをもっている。

ぼくはすっかりファンになり、気づけば彼女の本はすべて手に取り、個人出版した本も入手するほどハマっている。間違えなくECDのバトンを手渡しで受けとった人だと思う。

また、彼女はもともと写真家であり、ECDの良い表情の写真をたくさん残している。ぼくはその写真が好きだった。

ある時、表参道で彼女の写真展があったので足を運んだが、ECDの写真が一枚もなかった。ちょうど一子さんとぼくの二人しかいなかったので、ECDの写真は無いんですか?と聞こうと思ったが、彼女の中でいまは無しだから、写真が無いんだろうな、と察して何も言わなかった(それぐらい嫌いな時期がはっきりした人)

ということで、自分の中で植本一子さんとPUNPEEがECDのバトンを受け取った人だと思っている。

人が死ぬのは2回。その人が死んだ時と、その人を知っている人が全員死んだ時。そういう意味では、ECDは亡くなったが、一子さんとPUNPEEが活動をしている限り、僕らはECDの魂を感じることができるのかもしれない。

彼が亡くなって、5年の歳月が流れた。でも、彼の功績を、彼の足跡を、そして残してくれた音楽や文章を風化させてはいけないと思う。特に文章はもっともっと評価されてほしいと思う。

彼が闘病中に作れたTシャツには「ECD IN THE PLACE TO BE」の文字が書かれていた。ECDはここにいる。どこにいるのか? それは彼の残した音楽、小説、そして生き方に影響を受けたすべての人たちの中にいるんだと思う。

「これだけありゃなんでもできる」。そう僕たちは、小さな石ころひとつで、なんでもできるんだ。

https://youtu.be/sBRuNCt_Wbw

]]>
https://kinakonan.com/ecd/feed/ 0
TBSラジオ「空気階段の踊り場」が サイコゥ過ぎるからぜひ聞いてほしい https://kinakonan.com/odoriba/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=odoriba https://kinakonan.com/odoriba/#respond Mon, 04 Oct 2021 07:59:34 +0000 https://kinakonan.com/?p=3057

2021年キングオブコントで優勝した、空気階段。彼らのネタを見て興味を持った人にぜひ聞いて欲しいものがある。それは彼らが2017年から4年以上続けているTBSラジオ「空気階段の踊り場」だ。

色々な芸人ラジオを聞いているが、特にこの半年ぐらいは他と比較しても群を抜いて面白いと思う。そして、この番組の素晴らしい点は、ラジオクラウドというアプリで初回から聞くことで、一組の若手芸人がキングオブコント優勝という頂点に立つまでの軌跡をたっぷり味わえる、極上の成長物語になっている点にある。

仕事が無くて、お互いバイトの話ばかりして、月の収入が6万円でおちこむ水川かたまり。一方のもぐらの借金は金額を聞くたびに増え続ける。そんな中で「俺たちの仕事は芸人だろ。一発逆転があるだろ」といったかたまりの言葉は、いまとなっては胸が震えるほどかっこいい。

そこで今回は、これまで「空気階段の踊り場」を聞いてなかった人、聞いてみたいけど迷っている人向けに、踊り場を楽しむためのポイントを3つ紹介したいと思う。

もぐらとかたまりは「どちらがヤバいのか?」という視点で聞いてみる

借金があり、ギャンブル、風俗が好きなクズ芸人の鈴木もぐら、慶應大学出身のまともな家庭に育った芸人、水川かたまり。

番組スタート当初、優劣をつければ、優秀な方がかたまりであり、劣っている方がもぐらだった。

最初の頃のラジオの名物コーナーは「サラリーマンじゃない人の声」と題して、街にいる求職中の方に直撃するコーナーだった(#27の「生駒の奇跡」がすごい)。

基本的なスタンスとしては、求職中のダメの人を「いや~深い!」という言葉で擁護するもぐらに対して「この人ダメだよ」と普通の人として非難するかたまりという分かりやすい構図がそこにはあった。

だが、それがひっくり返る瞬間が来る。それが#29「マザコン発覚」の回だった。

それまで、もぐらを「うるさいデブ」「借金あるくせに」と言っていたかたまりだが、この日の放送でマザコン疑惑が浮上、その後の放送で再度マザコンじゃないか、と問い詰められると、「おかあさんも僕もマザコンじゃないと言っているから僕はマザコンじゃない!」という、マザコン確定ともいえるセリフをいう。

ここで善と悪がひっくり返るのだ。「かたまりの方がやばくない?」という疑念がリスナーの頭の中にうずまいていく。

この後も、担当を辞めるマネージャーへのプレゼントをかたまりだけがあげて、もぐらに一言もいわない、など、どちらがまともか論争は、たびたび浮上する。

二人の言い合いを聞きながら、次第にかたまりの言葉が頭に入ってこなくなり、もぐらの感覚の方が正しい時の方が増えていく。

だが、やっぱりもぐらがおかしい時もある。

こうなると、どっち派という話ではなく、今回はもぐらが正しい、今回はかたまりが正しいなど、答えはその都度違っていく。

「どちらがヤバいやつか」という問いは、ケンカ(遅刻したやつが新幹線でじゃがりこを食うななど)や番組内での裁判など様々な場面でそれが露見するが、このどちらが正しいか、というのは、このラジオの幹となる永遠のテーマであり、ずっとリスナーに問いかけているものだと思う。

ぜひあなたも裁判官になった気分で、聞きながらどちらが正しいのかをジャッジしてみよう。その視点があると「踊り場」をさらに楽しめると思う。

もぐらの生い立ちがすごい

メインである二人の恋愛の話の前に、ラジオだから聞けた話という意味では、もぐらの生い立ちの話は外せないだろう。

もぐらは、もともと自分のことをペラペラ話す男ではない。だが聞かれれば隠さず答える。例えば昔の苗字は「白鳥」だった、親が2回結婚していて、父親が2人いる、などの細かいエピソードがラジオでちょこちょこと登場する。「なんか複雑な家庭なんだろうな」ぐらいに思っていたが、次第にその全体像が見えてくると、想像以上のハードモードであることが判明する。

箇条書きでまとめると以下のようになる
・2歳の時に一人目の「白鳥のおやじ」の車が半ドアで走行。ドアが開きもぐらが道に落ちて腕を複雑骨折する
・父親が家に女性を連れ込んでいる現場に居合わせる。「仕事だ」といったので、母親に父親がいかに仕事熱心かを伝えるために言ったところ、浮気が発覚し、両親が離婚。
・その後も1人目の「白鳥のおやじ」は近所に住んでいて、たまに遭遇する
・2人目の父親は背中に絵が描いてある「本職の方」
・家に娯楽が無いので、母親は夜空を見上げてUFO鑑賞。妹ともぐらも一緒に鑑賞する。
・学生時代は卓球部に所属。卓球がかなり上手く、エキシビジョンマッチで地元を訪れた福原愛ちゃんと対戦
・廃部寸前の将棋部に入ったが、顧問のせいで大会に出られず
・高校生時代から学費などを自分でバイトして稼いで払う
・稼いだお金で銀杏ボーイズの追っかけをして全国のライブにいく
・大学の入学金などはパチスロで勝った金で支払う
・パチスロの規制が厳しくなり、稼げなくなったことから大学を中退になり、お金が良い風俗店の店員になる
・NSCに入りたいと言ったら風俗店の店長が入学金と東京までの旅費を出してくれる
・かたまりと出会い空気階段を結成する
・芸人になった後も歌舞伎町の風俗案内所、カラオケバー、恵比寿のキャバクラの裏方として働く

ラジオで語られた断片をつなぎ合わせるとこんな感じになる。

断片的な話が多いがまとまって話した回もあり、具体的に挙げると、#144「もぐら幼少期」#117「もぐら将棋部の思い出」#103「駆け抜けてもぐら~僕と銀杏の青春時代」#209「平和寮の思い出」がそれに該当する。いずれも神回であり、彼の語りの上手さが存分に出ていると思う。

ということで、小さいころから人生ハードモードだったもぐら。

ただ、彼は高校時代から自分でバイトしてお金を稼ぎながらも、しっかり大阪芸術大学に進学にしている。鬼越トマホークのYoutubeでも語っていたが、学校の成績は500点満点中、常に400点を超えるほど学力優秀だったのだ。さらに将棋の腕は芸人の中でもトップクラスという噂もあるほど強い、ということは、先の展開を読む力にも長けている(この洞察力がかたまり恋愛時のもぐら探偵に表れていると思う)。

後に風俗、ギャンブル世界にどっぷりと浸かることから、根っからのクズと思われがちだが、決してそんなことはなく、むしろ人生の分かれ道でいえば、もっとヤバい道があったかもしれないのに、そちらに行かずに、むしろ常識人であり、クズ側にいたからこそ、彼らの気持ちもよく分かる、懐が深い人間になったと思う。

特にそれを強く感じたのが、ラジオでかたまりが「面白いネタを作ってるんだから面白ねと言われた時にヘコヘコする必要はない」といった時に「それはもちろんみんなそういう気持ちはあるよ。でも、ありがとうございます、っていうんだよ。感謝と感謝で成り立っている日本社会だろ、感謝の心を忘れちゃだめだよ」と言ったシーンだった。

感謝と感謝で成り立っている日本社会なんて言葉があるのか知らないけど、きっともぐらもどこかで誰かに言われた言葉であって、それが胸に刻まれているから、口に出たのだろう。

そして、その言葉はぼくにとっても不思議と胸に残っている。謙虚さと処世術を兼ね備えた素晴らしい言葉だと思う。

余談だが、もぐらが働いていた歌舞伎町の案内所は「思い出の抜け道」という場所にあり、僕の友人のお店がそこにある関係で、すごく馴染のあるエリアだ。その案内所の場所は、案内所の人も店の外にいて、その近くには客待ちをするガールズバーの女性やおっぱいパブの店員、ホストなどがみんな道路に溜まっていて、おしゃべりをしている、いかにも歌舞伎町の交差点という場所だった。

ちなみに彼が優勝した夜、その場所を通ったら、いつもより多くの人が集まり、路上には人だかりができていた。もちろん、空気階段の優勝とは無関係で、緊急事態明け最初の週末だからだろうが、まるでみんながお祝いしているように、笑顔でお酒を飲んでいる姿がステキな光景だった。

空気階段の恋愛がすごい

「空気階段の踊り場」において、恋愛の話は非常に大きな要素となっている。

番組スタート当初は「素人童貞」であり、合コンに行く予定があったのに、急に自分が太っていることが怖くなり、ドタキャンするほど自分に自信がない男だった、もぐら(#20「心に石を積む男」で自分のことをどう評価しているのかが語られている)。

好きな人と同棲するも、キングオブコント敗退の夜に酔って家をめちゃくちゃにして、彼女に振られた、かたまり。

上手くいかない二人だが、そんな二人の恋愛はやがてラジオのコンテンツへと昇華していく。

それを裏で操っていたのが、プロデューサーの越崎さんであり、作家の永井さんだった。この番組のすごさを語るうえで、裏方であるこの二人の存在はかなり大きい。

鬼越トマホークのYoutubeチャンネルに出た、人力舎の岡野さんは「5年後のために媚びるべき芸人」として、空気階段と裏方の2人を合わせた4人の名前を挙げている。

その理由として「(空気階段の)ふたりで決めていると、かたまりのプロポーズとか離婚とか絶対ラジオにしようとしない」と語ったうえで、ラジオの方向性を決めているのは、裏方の二人だと語っている。

それが真実かは分からないが、少なくとも放送開始当初は、自分の恋愛について「(好きな人が)聞いてるかもしれないから、触れないでくれ!」と言っていたもぐらが、好きな人に振られ、2人目の時にはラジオで愛の告白をするようになったのは、「ドキュメンタリーラジオ」で行くという決心があったからであり、それを決めたのは、裏方の2人の説得があったのかもしれない。

その告白が上手くいき、初めて彼女ができて、ラブラブのまま結婚。さらに2人の子どもまでできたもぐらに対して、かたまりの方は波乱万丈である。

番組的に大きな事件となったのは、やはりかたまりの号泣プロポーズだろう。

プロポーズするつもりが無かったかたまりに対して、公開放送でのプロポーズをセッティングするディレクターの越崎さん。ここがこのラジオの分かれ道だったことは間違えない。

結果としては振られてしまったが、それでもこの放送は大きな反響を呼び、空気階段のラジオはすごい、という評判を決定づけた回となった。

だが、かたまり恋愛をエンタメ的に楽しむという意味では、かたまりの隠密恋愛行動が、もぐら探偵によって次々と暴かれる、古畑任三郎のような展開の方も十分魅力的である。

例えば#110「かたまりは元カノと飯にいくタイプ」では、同窓会というテーマで話し出したかたまりの話から、もぐらの追求が始まり、結果として、かたまりは元カノと奥渋に行ったことを聞き出し、本当に下心が無かったを問いただしたことで、かたまりが意外と下心をもって暗躍するタイプということが明らかになる。

そして#119「かたまり元サヤ」では、うその北海道エピソードトークをする、かたまりに違和感を覚えたもぐらが追及すると、元カノとあっていたことを告白。

そうして、復縁を経て結婚した彼女だったが、#191「屁のこき逃げ」で11カ月で離婚したことを報告。

#210「ミニーちゃん」では、またももぐら探偵の追及により、離婚後の3カ月後で新しい彼女が出来たことがバレてしまう。

かたまりの恋愛といえば、号泣プロポーズが代名詞のようになっているが、むしろリスナー的には、不用意な発言、例えば「ディズニー+に入ったんだ」「ディズニー好きだっけ?誰かの影響?」みたいな感じでしっぽを掴まれて、もぐらの追及で告白する、この一連の流れが全部最高のエンターテインメントであり、極上のドキュメンタリーなのだ。

それでも語りつくせない踊り場の魅力

ここまで3つのポイントを中心に踊り場の魅力を書いたが、語りつくした感がないのは、それだけ魅力的だからだろう。

最後にここに注目というポイントを3つだけ紹介しておきたいと思う。

1、もぐらの語り、演技力がすごい

これは踊り場で展開されている、すべての内容の根底にあるものだと思うが、とにかくリスナーメールを読むもぐらのナレーションが上手すぎると思う。

最近だと神回だった#228の「真夏の果実を聞かせて」で、作家の永井さんが「笑うつもりだったけど、もぐらくんの語りが上手すぎて泣いてしまった」と言っていたが、この回が素晴らしすぎてスポンサーが付くほど、素晴らしい回であり、同時にもぐらのナレーションの上手さが存分に発揮された回だと思う。

この他には、北野映画みたいな話を募集するコーナーの中でも珠玉の名作である#150の「芥川賞級のメール」と「河童と小銭」の話、#170「白鳥の親父と再会」の語りも本当に素晴らしく、芸人の枠を超えて、日本全体を見渡してもかなり上のレベルだと思う。

普通にラジオを聞いていると気付かないかもしれないが、ぜひ意識して聞いてみて欲しいポイントだ。

2、岡野さんがすごい

ラジオを聞いていると分かるが、空気階段の二人はけっこう頑固であり、ケンカになると譲らないところがある。そんな二人のラジオに唯一ハマったのが、クズ芸人でおなじみの岡野陽一さんである。

岡野さんは、もぐらを追及する時は、かたまりの弁護人として、かたまりを追及する時はもぐらの援護射撃として登場し、見事な裁きを見せる裁判官だ。

ぼくは他のテレビなどで見る岡野さんよりも、正直、踊り場の岡野さんが一番笑う、面白過ぎる。

そして、もぐらと岡野さんがやっている「くずパチ」というYoutubeも本当に面白い。

この岡野さんが定番カレーのトッピングのように、少し空気変えてくれる素晴らしい存在なのだ。

3、選曲がすごい

この半年ぐらいの「踊り場」の何が凄いかと言えば、その選曲である。

選ぶ曲が良い、というのもあるが、何よりもエピソードトークと完璧にリンクした曲を流すのだ。特に凄かったのが、平和寮時代の友達と会って、当時の話を聞いた後のエレカシの「俺たちの明日」だった。

色々と話しているうちに、ああ、みんな色々な場所でがんばっているんだな~としみじみしたところで、この曲の出だし「さぁがんばろうぜ、お前は今日もどこかで 不器用にこの日々ときっと戦っていることだろう」のところで思わず目頭が熱くなってしまった。

その他にも、夜中にブルーハーブと刃頭の「野良犬」がフルコーラスで流れた時には、心底驚いてしまった。

また#141「Quick Japan」では、PUNPEEがフリースタイルに現役で出ていた時代についてもぐらが熱く語っており、ヒップホップへの愛がいかに強いかを感じることができる。

かたまりも高田渡やフィッシュマンズなど、素晴らしい選曲を聞かせてくれている。

1つ残念なのが「ラジオクラウド」のアプリでは、曲を流すことができない点にある。

空気階段のラジオの内容と曲がリンクすればするほど、それはラジオクラウドでは届かなくなる。radikoでは曲ありで聞くことができるので、最近の放送はradikoを推奨したいが、それもタイムフリーは1週間と短い。

やはり放送中、あるいは放送直後にradikoで聞くのが一番なのだ。

選曲が良くて、絶対に曲ありで聞いた方が良い”芸人”ラジオは、本当にすごいと思う。

いつも思うのは、エピソードトークで自然に入ったのに、曲が用意されていること。話の途中で曲名を書いたメモを渡すのか、事前に用意しているのか。そんなことが気になってしまうぐらい、エピソードトークと一緒になった選曲が素晴らしいので、ぜひ聞いてみてほしい。

そして伝説はつづく

空気階段がキングオブコントで王者になったことで、「空気階段の踊り場」は伝説のラジオになったと思う。だが、伝説は続く。いや、普通にラジオは続く。すばらしい過去回も聞ける。

テレワークのお供に、移動中のお供に、いつでもいいから、ぜひ空気階段の踊り場に耳を傾けてみて欲しい。胸が熱くなり、目頭が熱くなる瞬間がいくつもあるはずだ。

そんなドキュメンタリーラジオをこれからも聞いていきたいと思う。

]]>
https://kinakonan.com/odoriba/feed/ 0
アルピー平子に学ぶ「あちゃー」で乗り切る処世術 https://kinakonan.com/hirako/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=hirako https://kinakonan.com/hirako/#respond Mon, 10 May 2021 14:14:00 +0000 https://kinakonan.com/?p=3037

テレビで聞いた言葉が、ずっと耳に残ってることがある。

最近一番残っているのは、アルコ&ピースの平子が言った「そこで、あちゃーって言ってごらん、あちゃー5回でCM1本決まるよ」だった。

これは2021年5月3日にアベマTVで放送された「しくじり先生俺みたいになるな お笑い研究部」で出てきたコメントだ。

お笑い研究部は、若手芸人にベテラン芸人である、オードリー若林、澤部、吉村とアルコ&ピースがアドバイスをする、というアベマオリジナル番組(たまに地上波でもやる)。

その回は、ラフレクランの西村という、元アナウンサーで、学生時代に一軍だった完璧人間がなぜ売れないのかを探っていく、という流れだった。

慶應大学出身で、ミス慶應と付き合っていたという西村は終始、自信満々。

「お笑い以外にも全才能が僕に集中している」と語るなど、自分への自信を隠さない中で、クラスの3軍代表であるオードリー若林が「おめぇみたいなやつがクラスにいたら殺しているよ」と吠える。

そんな中で若林は「大きい括りでいったら、西村と平子さんは同類だよね」とアルコ&ピースの平子に話しかける。

その流れもあってか、他のメンバーの言う事には反発する西村も、平子のいうことはよく聞く。

ある流れで笑いが起きた後に「でも違うんです」と語りだす西村に、周りがみんな「違うんです、じゃないんだよ」と怒る中で、平子が口を開く。

「西村くん、おれはこれを尖りのエンタメ化って呼んでいるだけど、そういう時は『違うんです』じゃなくて『あちゃー』っていうんだよ。あちゃー5回でCMが1本入ってくるよ」という冒頭の言葉を言ったのだ。

番組は爆笑に包まれたけど、この言葉は実は深いと思う。

いや、その時は深いような気がして記憶していただけだった。だが、後になって気付いた。

これは実は人から好かれる重要な要素である「かわいげ」を作る、一番簡単な手段ではないだろうか。

もう少し詳しく説明しよう。

失敗しても笑われる人と笑ってはいけない人の違いとは

アルコ&ピースの平子は、お笑いに関しては天才的な部分があると思っている。ぼくはラジオも聞いているし、Youtubeチャンネルも見ている。一度吉祥寺で息子といる姿を見たことがあるが、やさしいお父さんという感じでステキだった。人としても、芸人としても大好きな存在だ。

そんな彼だが「アメトーーク」で有吉が言ったように「あいつはずっとかっこつけてるだけ」というのも真実だと思う。

フリとオチ、ボケる、つっこむ、スベる、その全部をやらずに「かっこつける人って微妙にダサくて面白い」という笑いをテレビの中で演じ続けるという、不思議な立ち回りをしている人だと思う。

とうぜんのようにそんな人だと多くの人は気付かず、面白いけど、テレビには上手く適応できていない、数年前まではそんな印象を受けていた。

だが、そんな平子がいつしか覚醒し、テレビの露出もグッと増えていっている。

一体どこにその転機があったのか。その理由について本人は「千鳥とオードリーにテレビを教えてもらった」と語っている。

何を教えてもらったのか。

それこそが「あちゃー」であり、もっと分かりやすく言えば失敗した時の「かわいげ」だと思う。

例えば、知り合いが転んだ時を想像して欲しい。転んだ瞬間に声を出して笑っても平気な人と、なんとなく笑ってはいけない人がいると思う。

笑われるなんて嫌だ、と思うかもしれないが、実は笑われる人の方が良好な人間関係ができていると思う。失敗も許容される人間関係が出来ているから笑っても平気なのだ。

一方の笑ってはいけないと思う人は、周囲にバリアを貼っているタイプの人に多いように思える。ちゃんとしている、スキを見せない、というと聞こえは良いが、周りとの距離は一向に縮まらず、失敗も笑ってもらえないような人間関係はなんだか窮屈だ。

特に芸人という職業においては、いじられやすい前者であるべきだが、たまに後者の失敗を笑ってはいけないように思える人がいる。

この後者の芸人が、かつての平子だったのだ。

それに対して「そうじゃない、失敗したらそれをそのまま見せればいいんだ」ということを、平子に対してやり続けたのが、千鳥とオードリーだったと思う。

印象的なのが、千鳥の番組「キングちゃん」でロケの最中にスベリ続ける平子が「おれ、もう今日はダメだわ」とギブアップ宣言をしても、もう一度やらせる。案の定失敗して、またすべってしまうが、それがいつしか笑いに変わる。その体験を通して、平子は「失敗も笑いになるんだ」と気づく。

さきほどの転ぶ人の例えでいえば、転び方次第で笑いは生まれるのだ。

そんな平子のたどり着いたマジックワードが「あちゃー」なのだ。

世の中には、失敗したら笑ってもらえない。「ちゃんとしなきゃ」という鎧を着て生きている人がいる。でも、実はその人は、人との距離が縮まらず、人知れず悩んでいるかもしれない。

そんな時に「あちゃー」が効くのだ。失敗して「あちゃー」としている人を憎むことは無い。しかも、このフレーズは女子が言っても、おじさんが言っても、絶対的にかわいいワードなのだ。

そう、実はこれ「おじさんの処世術」としてもすごく役に立つと思う。

おじさんの処世術としての「あちゃー」

男性は年齢を重ねると、黙っているだけで「怒っている」と思われるそうだ。

実はただ、ボーっとしているだけなのに、あの人怒っている、なんておかしな話だが、周りにはそう見えるらしい。

そこのギャップは意外と大きい。男性は30代後半ぐらいから、若者という枠から外れ、おじさんという場所にいつしか移動していく。それはまるで春の太陽が出ている時間が少しずつ伸びていくように、ゆっくりと確実に移動していくのだ。

そして、気付くと「黙っているだけで怒っていると思われる気難しいおじさん」が出来上がる。ただ、ボーっとほおづえ付いているだけなのに。

そのギャップを埋めるのが「あちゃー」なのだ。ちょっと発言に失敗した時、変な空気になった時に「あちゃー」と言えるかどうか。

それが楽しいおじさんと面倒くさいおじさんの分かれ道になるのだ。

「お笑い研究部」の中で、平子は西村にこう言っている。

「難しいことはない、頭に手を乗せて、その重さで傾くだけ」

動作は非常にカンタンだ。

なんだか、最近若い人と距離が出てしまったな、とか、どうも周りの人との距離が縮まらない、と思っている人。

そんな人はぜひ「あちゃー」を試してみてほしい。

これが言えれば、みんなとの距離はグッと近くなるはず。

もっと言えば、このフレーズは失敗が許されない、不寛容な時代に大事な言葉ではないだろうか。

もう僕は「あちゃー教」を作りたいぐらいだ。とにかく普及させたい。失敗が許されない、こんな世の中だからこそ、怒りを中和する魔法の言葉「あちゃー」を一人でも多くの人が使いこなせば、もっと世界が平和になる気がする。

さぁ、みんなもやってみよう。

「あちゃー」

ね、カンタンでしょ。

]]>
https://kinakonan.com/hirako/feed/ 0
心がやばい時の処方箋マンガ「ちひろさん」 https://kinakonan.com/chihirosan/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=chihirosan https://kinakonan.com/chihirosan/#respond Mon, 03 May 2021 01:08:26 +0000 https://kinakonan.com/?p=3031

本やマンガをたくさん読んでいると、ワクワクする本、泣いてしまう本、しんみりする本など色々ある。でも、それらが並ぶ本棚の一番奥に、みんな「殿堂入り」という名の金庫を隠していると思う。面白かった!と絶賛しながら、実はそこに入れる本はそれほど多くない。生涯で10作品あるか、というところだと思う。

今回紹介する「ちひろさん」は、そんな中でぼくの本棚にある奥の金庫にしっかりと置かれた作品だった。

何が特別なのか。それについて書いてみたいと思う。

ちひろさんの内容とは

ちひろさんは、町のお弁当屋さんのアルバイト店員である。本名は別の名前で、ちひろ、というのはかつて風俗で働いていた頃の源氏名だ。

お弁当を買いに来る町の人は、彼女が風俗で働いていたことを知っている。でも、ちひろさんはカラリとした感じでお客さんと接する。

決して愛想が良いわけではない。むしろ口が悪い、でも、気付くとみんなちひろさんが好きになっている。そんな女性の話だ。基本は1話完結で、彼女の日常が描かれている。

でも、この本のAmazonのレビューには「死にたくなったら1冊ずつ買って読んでます」という言葉が書かれていた。ぼくはそれを読んで「分かる」と思ってしまった。

なぜこの作品に「死にたい」という気持ちを無くす力があるのだろうか。

それは彼女の生き方を支える幸福論にあると思う。

ぼくたちは何かと競争して生きている

ぼくは1978年生まれの42歳だ。僕と同じ年の芸人にオードリーの若林がいる。彼の最近の言葉で、妙に残っている言葉がある。

それは2021年3月号の「文學界」という雑誌で、「暇と退屈の倫理学」という読みやすくて面白い哲学書で一躍有名になった、哲学者の國分巧一郎さんとの対談の中での発言だった。

「振り返ってみると、なにかいろいろなことを細かく切って競争させられ、それで盛り上がるようなことばかり目についた。僕は生涯を通して、それを仕組んだ犯人を捜しているような人間なんです。真犯人に『仕組んだのはあなたですよね?』と言いたい一心で本を書いているのかなと思ったこともあります」

彼の感じた感覚は、同世代だからか、すごく共感できる。僕らは競争させられ、それを誰かが高みから見ている感覚が僕らの世代にはずっとあるように思う。

日々成長を目指し、スキルを向上させ、結果を残し豊かな生活を送る。

その幸福論でいった時に、豊かで無い人は努力が足りない人となる。

でも、本当にそのモノサシ1個で人間は生きているのか。

そのモノサシでダメだな、となった人はミジメな思いをしなければいけないのか。

そうではないと思う。そうではないことは分かるけど、でも、違うモノサシを提示することもできない。

そうなった時に新しいモノサシの一つとして登場したのが、好きなことに夢中になっている人だと思う。

自分の「推し」を見つけて、元気をもらって、グッズを買って楽しむ。「推し」「沼」そんな言葉を目にする機会が増えている。彼らは確かに幸福そうだ。でも、それらが無い人はどうなんだろう。

日常は元気に過ごしている。でも、満たされているわけではない。もっと良い何かが、もっと素晴らしい何かがあるんじゃないだろうか。そんなぼんやりとしたモヤモヤを抱えながら、日常を過ごしている人は多いのではないだろうか。

そんな人に、「そのまま」でいいんだよ、と教えてくれるのが、ちひろさんだと思う。

ちひろさんの名言の奥にあるもの

ちひろさんの中で一番好きなシーンは働いているお弁当屋さんの奥さんと二人で旅行に行った時の夜のシーンだ。

奥さんは長い入院を経て、ようやく退院し、ちひろさんと二人で旅館に泊まる。

その夜のちひろさんのセリフ。

「これいいねって言ったら それいいねって笑ってくれる
 そうだよね?って言ったら そうだねって返ってくる

たったそれだけが欲しくて こんな遠くまで来ちゃいました」

この言葉が沁みて沁みて仕方なかった。

年齢を重ねれば重ねるほど、人との差異ばかりが目について、若い時のように「行こうぜ」「おー」なんて世界は皆無になる。

何かをするためには調整が必要であり、納得いかないことを飲み込むことも多くなる。夫婦だからって、友達だからって、なんでもぴったりと重なるわけではない。近いは近いがやはり立場や視点でズレはある。

説得する時も検索結果を見せて、Youtubeの動画を見せて納得してもらう。手段はハイテクになったが、本当に欲しいのは、シンプルに「いいね」「そうだね、いいよね」っていうやりとりができる人。そういう人がそばにいるだけで幸せだと思う。

そう、ちひろさんはセリフはやけに沁みるのだ。

ちひろさんは、ちひろさんの日常を生きている。その中にふと、さっき書いたような競争社会を信奉する人、あるいは競争社会から降りようとする人が現れる。

一つ例を挙げると、電車に飛び込もうとしたサラリーマンをちひろさんが止める回がある。ちひろさんは潮干狩りに行く途中であり、そのサラリーマンはちひろさんと潮干狩りに行く。

まだ心が定まらないサラリーマンとちひろさんの会話がまた絶妙だ。

サラリーマン「他のやり方(電車に飛び込む以外)でなら 死んでもいいってことですか?」

ちひろさん「しょうがないじゃない そんだけしんどいんだったら 
何があったか知らないけど死んで楽になりたいくらい苦しんできたってのはわかるわ 
またどっかで死ぬってんなら止めない でも電車は止めるな」

そして二人は潮干狩りを楽しみ、帰り道にサラリーマンがちひろさんに質問する。

「ちひろさんは本気で死のうとおもったことありますか?」

「愚問だな 何回もあるにきまってるでしょ」

そして、サラリーマンは家に帰り、ラストシーンは砂抜きをしたあさりの味噌汁をお弁当屋さんで振る舞う。ちひろさん。かっこいいな~とほれぼれしてしまう。

ちひろさんとタモリの哲学とSlow Living

コロナ禍で世界中の人が、家の中にいる時間が増えている。そんな中で欧米で静かなブームとなっている思想に「Slow Living」というものがある。

ものを消費しないで、あるものを大切にして、そして何よりも「いまに意識を向ける」ことがその中心的な考え方だ。

その言葉聞いて思い出すのが、タモリが「夜タモリ」で言った名言。

「夢があるやつは、嫌いだ。夢があるやつは夢が叶った状態が最高の状態であって、いまはそうじゃない状態だと思っている、つまり、いまを否定している」という言葉があるけど、それがずっと心に残っていた。

これはスキルを磨き、成功する世界に向かって競争を強いられている人々への強めのアンチテーゼだと思う。

じゃあ、今ってどうなの?ダメな状態なの?それよりも夢なんて持たずに、いまが最高だと思って生きた方が良いと思うよ。タモリの言葉は、Slow Livingの「いまに意識を向ける」という言葉にも通じる。

消費の先にあるのは、より良い暮らしであり、そうなると今が良くない暮らしになる。ずっと何かに憧れているけど、満たされず買い物をする。僕らはいつ幸せになれるのか。

そんな人たちにもう一つの幸せを提示してくれるのが、ちひろさんなのだ。

例えば、あるエピソードの中で同じ元風俗嬢の女性がちひろさんを訪ねて来て、健康や美容の商売で成功しましょうよ、とちひろさんを説得するシーンがある。その中で、彼女は気付かずに地雷を踏んでいき、最後にちひろさんは「酒がまずくなる」と店を出る。

「失礼があったら謝ります、なんで急に?」と言った同僚にちひろさんはこう言い放つ。

「結婚できず、風俗にいられず、お弁当売りでもやるしかなく あなたの見ているちひろさんって ずいぶんとかわいそうな女なのね 成功して幸せになればいいわ それがあなたの思うフルスイングなら―――」

ちひろさんの生き方は、やっぱりひとつの幸福論の提示だと思う。

ちひろさんが見せてくれるのは、成功を目指す太めの道とは別の、その外側にある、もう一つの道であり、そこはきっと舗装がされていないでこぼこな道だろう。雑草も生えて、猫がいて、ホームレスも排除されない、そんな道だ。そして、この作品が読者に投げかけているのは

「こっちにも道があるよ、道は一本じゃないよ」という、優しいメッセージなのだ。

僕らは幸福になるために生きているのに、いつまで経っても幸福にはなれない。それは個人の問題ではなく、構造的に幸せに到達できない仕組みになっていることに多くの人が気付いてきたんだと思う。

そんな時代に「ちひろさん」はとっても優しく、寄り添ってくれるのだ。

かつて各家庭に「家庭の医学」があったように、心がやばい時の処方箋として、ぜひあなたの家に「ちひろさん」を常備してみてはいかがだろうか。

]]>
https://kinakonan.com/chihirosan/feed/ 0
蛙亭のイワクラの才能は天才・松本人志に匹敵すると思った理由を書いてみた https://kinakonan.com/kaerutei/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=kaerutei https://kinakonan.com/kaerutei/#respond Mon, 12 Apr 2021 05:45:26 +0000 https://kinakonan.com/?p=3018

ある日、バーで隣に座った初対面の男性と意気投合して、お笑いの話をしていた時にふいにその人が「いや~蛙亭のイワクラの才能は、松本人志に匹敵するでしょう」と言った。

その言葉を聞いた時、思わず息を飲んでしまった。

実は私もまったく同じことを思っていたが、まだ口には出せずにいたからだ。

ずいぶん前にテレビの番組で大泉洋が松本人志に「つまらない」と言われる場面があった。

それに対して大泉洋はこう言い返している。

「あなたがそれを言っちゃだめよ。あなたがお笑いの世界をぜんぶ作り変えたんだから、あなたがつまらないと言ったら本当につまらない人になっちゃう」

そう、松本人志はお笑いの世界を作りかえた男である。

その人の才能に匹敵する、というのはいくら飲みの場でもなかなか口に出せるものではない。

だが、その一方で、たまたま会ったお笑い好きの2人がなぜ同じことを思ったのか。

お笑い第7世代は確かにすごい。

だが、それはダウンタウンになりたかった第6世代の若手たちが到達できないままでいる中で、別のベクトルの笑いを生み出したことに対する、すごいであって、ダウンタウン、特に松本人志と戦って勝てる要素なんて、みんな持ち合わせていなかった。

そのお笑いの歴史の中で、イワクラさんには匹敵するのでは、と思わせる何かがあるだけですごいと思う。

では、なぜそう思ったのか。その答えについて考えてみたいと思う。

何を見てそう思ったのか?

そもそも何を見てそう思ったのか。それは2020年9月にゴッドタンで放送された「自首」というコントだった。現在は、蛙亭の公式Youtubeでも見ることができるネタだ。

このコントの何が特別なのか。

それは一言でいえば「飛躍する力」だ。お笑いの世界では「ぶっ飛んでいる」という誉め言葉があるが、それは思考をただズラすだけではなく、飛距離があることを意味する。

もう少し詳しく説明すると、お笑いにおけるボケを「間違えること、なおかつ面白いこと」と定義した場合、例えば結婚相手のご両親への挨拶で、彼氏が「お父さん、娘さんをください!」と言って「ちょっと待って、私はお母さんです」と言えば、お父さんとお母さんというズラしになる。これは間違えているが、面白くはない。

その一方で「お父さん、娘さんをください」の答えが「いや、ちょっと待ってください、私は通りすがりトレジャーハンターです」と言えば、それはズラしではなく、飛躍となる。

でも、なぜトレジャーハンターが出てきたのかはよく分からない。そこに必然性と連続性は無くなる。つまり、ボケに大切なのは「飛距離」と「着地するポイント」だということが分かる。

そう考えた時に、蛙亭の自首のコントの凄さは、ちょっと飛びぬけていると思う。

まず出だしで、警察官(イワクラさん)がいて、そこに男(中野くん)が「僕を捕まえてください」と自首にやってくる。

ここで見ている人が事件の予感を感じる。「どうしましたか?」と聞く警察官に対して、男は「花と○ックスをしました」と答える。

ここからはほぼ男の一人語りとなる。てっきり花と交わる下品な話が始まるかと思いきや、好きな花を嫉妬させるために別の花と寝たという想像以上に耽美な世界。嫉妬をやかせるために別の花と寝た彼の中には確かに罪悪感があるだろう。だが、それは警察が取り締まる犯罪ではない。

いや、そもそも花と交わるってなんだ。そして、なぜ彼の服は濡れているのだろう。

警察官のイワクラさんは、そんなクレイジーな彼の言葉を最後まで聞き、彼の言葉を否定するわけでもなく彼の本命であった「紫のアジサイにも謝ってください」と伝え、男は交番を去り、最後は空を見上げ「雨が上がっている」という。

つまり、彼の服が濡れていたのはそれまで降っていた雨のせいであり、アジサイが最もキレイに咲く梅雨時の6月に彼は花と交わったことが分かる。

どうでしょう。この作品性の高さ。ある種の文学性さえ感じさせる。

私と隣に座ったお笑い好きの方が見終わった後に「松本人志に匹敵する才能」と感じたのがこのコントだったのだ。

警察、自首という設定の先に「花と○ックス」が出てくる飛躍力。

それこそが蛙亭の凄さだと思う。

蛙亭の凄さは「転」にある

その視点で蛙亭のコントを見た場合、登場の時点で笑いをとるケースもあるが、それよりも起承転結の「転」の強さが際立っていると思う。

その中でも特に特別だと思うのが「罪」というコントだ。

罪の中身は以下の通りだ。

悪そうな男(中野君)がたばこをポイ捨て

警察官登場

「何が悪いの?捕まえる?」と悪びれない男

警察官がいきなりピストルを撃つ

「何するんだ」と男

実は警察官は「蟻の生まれ変わりで、お前のポイ捨てで両親が焼かれて神様にお願いして人間に生まれ変わって復讐に来た」と告げる

男がびびる

本物の警察が来て、蟻の生まれ変わりは「いつも見てますからね」と告げて去る

男が残りされて「ポイ捨てアカン」と言って終わる

通常だと警察官がピストルを撃ったところが「転」になる。

物語にピストルが登場すれば、それは撃たれなければならない、というドラマの鉄則の通り、ピストルは放たれる。そして物語が展開するかと思いきや、本当の「転」は警察官だと思った人が「元蟻」だったともう一度展開する。

これだけの跳躍力は、他の芸人を見渡しても匹敵する人はいないと思う。

同様に凄いのが「スポブラ」というコントだと思う。

女の子が男の子に「スポブラって知ってる?」と聞く

動揺する男

「見せてあげる」と言って服をまくるとそこにはダイナマイトがあり、担任と母親が不倫をしているから、教室ごと吹っ飛ばすと女の子

固唾を飲む男の子

「いいからスポブラ見せろよ!」と叫ぶ男の子

スポブラを見せてもらい、「これが僕と妻との出会いだった」という締め

個人的には、これが蛙亭の最高傑作だと思う。

ダイナマイトと男の性への興味なら、性への興味が勝つ。それをこれほど明快に表現したコントはない。

そして、拳銃、ダイナマイトという仕掛けの登場により、物語を展開させたと思わせておいてから、もうひと展開させる力は本当に特別だと思う。

蛙亭のコントはぜひ「転」の跳躍力に注目して見て欲しい。

中野くんという逸材

次にネタを書いてない方のツッコミの中野くんについて書いてみたいと思う。

少し中野くんから話は逸れるが、僕は中学生の時にバスケ部だった。

その時に伸長が185センチというだけでレギュラーの人がいた。下手くそだし、練習しても成果が出ないタイプだったがずっとレギュラーだった。

バスケの才能があったわけではない。だが、バスケに必要な高身長という要素は兼ね備えていた。存在そのものに価値があったのだ。

それと同じことが蛙亭の中野くんにも言える。ラジオやYoutubeなど蛙亭の素が見える部分を全部見ているので、もう結論を出していいと思うけど、中野くんは別に面白い人でもないし、面白いことをしようとも思っていない。いわゆるお笑いIQが高い人でも天然の人でもない。

だが、その特別な声とフォルム(特に裸)。そして最近の「爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!」で明らかになったのは、ネタはイワクラさんが作っているが、実はほぼ設定だけに近く、セリフなどの細かい演技は中野くんのアドリブで生まれている。つまり、エチュード(設定だけあってアドリブで演技すること)の能力が飛びぬけて高い、ということである。

その結果、中野くんという人間そのものは面白くなくても、声の出し方や裸の奇妙さによってステージにいるだけで笑いが起きたり、キャラを入れた演技で笑いが起きるなど、面白いことをやろうとして失敗する人よりもよっぽど大きな笑いを得ることができるのだ。

中野くんのお笑いIQは高くないかもしれないが、その代わり見た目、声、演技という部分でお笑いの神に愛される要素は満載なのだ。

かつて「バファリンの半分はやさしさでできている」という言葉がTVCMで流れ、その「やさしさ」とは抽象的な言葉ではなく、実は「胃が荒れるのを緩和する薬だった」という話があるが、蛙亭のすごさがイワクラさんの書くネタにあることは確かだが、その毒の成分が強いネタを中和して、多くの人に届くポップさを付与しているのは、中野くんの存在にあることは間違いないだろう。

松本人志と蛙亭のイワクラの話

さて、冒頭に戻って、蛙亭イワクラさんの才能は、本当に松本人志に匹敵するのか、について考えてみたい。

それを考えるためには、松本人志の笑いについて考える必要がある。

「ごっつええ感じ」を見ていた人なら分かると思うが、松本人志の作るコントは確かにすごかったが、その一方で出発点は、既存のフォーマットを使ったものが多かった。

それは例えば、料理番組の調理台、アシスタントの女子、若くて調子の良い男性、そしてプロの料理人、というフォーマットの中の料理人がぶっ飛んでいるキャッシー塚本が一番分かりやすいと思う。視聴者からすれば見慣れた場面、設定の中にぶっ飛んだ人がいる。

子連れ狼やボクシングの国歌斉唱など、あるあるの光景が破壊されている様を見せつける、その圧倒的な破壊力こそが、松本人志のコントが持つ魅力だった。

一方のイワクラさんは、ナイツのラジオに出た際に、憧れの芸人の名前で、ダウンタウンを挙げず、「吉本新喜劇で見た芸人さんたち」と答えており、影響を受けていなそうな様子。

つまり、松本人志の影響などを受けずに、オリジナルであの世界を作り上げているのだ。

その源泉となっているものは、一体なんなんだろうか。

蛙亭と空気階段に共通すること

その理由の一つは、作品がメッセージを伝えることから始まっている点にあると思う。

「罪」でいえばそれは「ポイ捨てあかん」であり、「摘む人」であれば「女性は騙されないように気を付けよう」というのがメッセージとなる。

摘む人は、女性の部屋に入り込んだ下心のある男が「あれ、この部屋が盗撮されている動画を見たことがある、僕の部屋に逃げよう」と言って女性を連れだすが、実は全部男が考えたウソというコントである。

これはイワクラさんが同じ話をテレビで見て、女性が騙されないように注意してもらおうという注意喚起のために作ったという。

このメッセージありきでコントを作るのは、蛙亭と同じぐらいブレイクしている空気階段についてもいえる。

彼らの有名なクローゼットというネタは「浮気はダメ」というメッセージから始まっているし、キングオブコント決勝のネタである「定時制高校」は、終わった直後に水川かたまりが「愛のすばらしさを伝えるために作りました」と語ったように、メッセージありきでコントが作られているのが、その特徴だ。

つまり、世の中にメッセージを伝えることが目的であり、コントが手段なのだ。

そして、そのメッセージを伝えるコントの中に「切なさとか色々な感情を込めたい」とイワクラさんはいう。

だからこそ彼らはネタ中に笑いを取るための無駄なふざけ合いのようなことをしない。

それは笑いを取るためには必要かもしれないが、メッセージを伝えるうえではノイズとなるからだ。

それが良いか悪いかは分からない。ただ、その結果、演技に集中して、作品性が高まり、それが特別な印象として多くの人の心に残っているのだろう。

さて、冒頭の質問である、蛙亭イワクラさんは松本人志に匹敵するのか、という問いだが、その答えはNoであり、Yesともいえる。

お笑い芸人、テレビスターとしての力量でいえば、圧倒的にかなわないだろう。

だが、コントにおける飛躍力という意味では、ひょっとすると凌駕できるのかもしれない。

現状では、あの「自首」における輝きは一瞬のきらめきだけかもしれない。だが、この先の話でいえば、まだ可能性はあると思っている。

まだ掘り切れないイワクラさんのヤバさを蛙亭のラジオで垣間見る

なぜそう思うのか。それは蛙亭のラジオやYoutubeでの素のトークを聞けば聞くほど、イワクラさんのヤバさは、まだまだ深いところにあると感じるからだ。

特に凄かったのが、ポッドキャストで配信しているラジオである。

当初のラジオのコーナーで「絶対いけるけど行ってはいけない女」というものがあり、最初はイワクラさんが読者のメールに対して「ああ、こういう女はダメですね、絶対ヤバいです、行っちゃだめです」と言っていた普通のコーナーだった。

だが、ある時、なぜこんなに行ってはいけない女が分かるのか、という話から実は自分自身が行ってはいけない女であり、行ってはいけない女=イワクラであることが判明。

そこから芋づる式に、イワクラさんがいわゆる「重い女性」であることが明らかになっていったのだ。

現在はコーナー名も「イワクラ」になり、男性に対して重すぎる女の人の投稿が次々に届く恐ろしいコーナーになり、イワクラさんはそれに対して「これはイワクラですね」「これはイワクラじゃないです」と謎の仕分けをしている。

中野君は、このコーナーを「怖い、怖い」と言っているが、僕はこのコーナーを聞きながらワクワクしている。

イワクラさんが異性に対して、異常なほど突っ走れる力は、ある種の客観性の無さであり、それは世間の常識からすると危険だが、笑いを作っていく、という作業においては、このバランス感覚の欠如こそが、独創性に繋がるのだ。

これまで「ヤバいやつのふり」をしながら、実はまともな芸人はたくさんいた。

だが、彼女の場合は、どうやら本当にヤバいようだ。それでいて、家庭環境などの育ちは普通であり、お笑いマニア的なところも無いので、非常に常識的なところもあり、その結果が「ポイ捨てやめよう」などの驚くほど普通の着地点になっているんだと思う。

「普通」と聞くと、悪いように感じる人もいるかもしれないが決してそんなことはない。実はこれはいま売れるために非常に重要な要素なのである。

その例としてマジカルラブリーのM-1優勝をあげてよう。

僕は前回の出場時が不評で、今回優勝できたのは、導入の普通さが要因だと思っている。

前回は「野田ミュージカル始まるよ~」という奇妙な出だしで観客を置いてけぼりにしたが、今回は「フレンチのマナーを学びたい」「満員電車が揺れる」など、そこそこオーソドックスな導入だったことで、とりあえず、みんな入口には入ってくれたと思う。

個人的には、見る側が昔より異物を受け入れる力が落ちているように思うが、だが、そんな現代の笑いにおいては起承転結の「起承」のあたりは普通な方が、お客さんは安心して見ていられると思う。

そこから急に展開する、その展開力こそが重要であり、その点で展開力に優れた蛙亭が今の時代に評価されるのは当然だといえるだろう。

終わりに

この蛙亭の文章は、冒頭のバーの一件があった2020年9月には書き始めていたが、まったく終わらず、出来上がったのは2021年4月になってしまった。

最初はイワクラさんが「ヤバい」「ぶっ飛んでる」「すごい」ということを書いていたが、そこには意味が無いと思い、ずーっと観察した結果、やっぱり「転」の力が凄いのでは、と思って、そこを中心に掘り下げてみた。

最初は仮説であったが、「爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!」で、即興でコントをやった後にイワクラさんが「もう少し起承転結の転の部分で『実は超能力が使える』みたいな展開ができればよかった」と語っていた時に、やはり「転」を強く意識しているんだな、と確信を持ったから書けたと言える。

2021年4月現在、お笑いファン的には、蛙亭は「注目のコンビ」ぐらいの位置づけだと思う。

ここから伝説まで到達できるかは、次の3つの要素だと思う。1つはキングオブコントで結果を残すこと、もう1つは伝説になる単独ライブをやれるか、あとはラジオスターになれるかだと思う。

もはや座組コントで伝説を作る時代ではなくなった。上記の3つを足掛かりに、どうか長く長く蛙亭のコントが楽しめる世界になって欲しいと思う。

とりあえず、ラジオと公式のYoutubeはいつでも聞けるので、気になった方は、ぜひそこから楽しんでみてはいかがだろうか。

]]>
https://kinakonan.com/kaerutei/feed/ 0
オードリー若林が過小評価されているのでその凄さを3つのポイントで解説します https://kinakonan.com/wakabayashi/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=wakabayashi https://kinakonan.com/wakabayashi/#respond Fri, 14 Aug 2020 04:49:26 +0000 https://kinakonan.com/?p=2981

2020年現在、オードリー若林が絶好調である。

けっこうテレビで見るなと思っていたら、2020年の上半期出演本数ランキング2位を獲得するという偉業を達成している。毎日テレビに出るいわゆる「帯番組」を持たないのに2位というのは、凄いことである。

その一方で、彼のどこが凄いかについては、あまり世間で認知されていないように思える。なんとなくテレビに出ている。そんな印象の人も多いのではないだろうか。

見た目がかわいい、清潔感がある、というのもポイントだと思う。

だが、それだけではない。彼にはほかの芸人には無い、特別なポイントがいくつかあるのだ。

私は若林という芸人について語る場合、3つのポイントがあると思っている。

1、「フリ」の能力が高い
2、自分の言葉で話す
3、短編小説のように情景を語る

この3つを道しるべに、若林という芸人がなぜ特別なのかを書いてみたいと思う。

「フリ」こそが大事

最初の特別な能力である「フリ」について説明しよう。

若林自身も笑いについて語る時に「あのフリが」や「フリの部分で」など、「フリ」というフレーズを良く使う。フリは若林のお笑い教科書第1ページ目に書かれる言葉だ。

このフリの説明について、たまたま本人が2020年6月13日のラジオで春日に説明していた例があるのでそれを紹介したい。

「こないだ品川の駅で大学生ぐらいの若者の集団がいてさ、こっち見て何か言っているのよ。そのうちの一人が近づいてきて声をかけてきてさ『あの~イカ二貫って言ってもらえますか』と言われたのよ。千鳥さんの。で『いや、それ俺のじゃないのよ』って言ったことがあったのよ。でもここで彼がフリとして『大ファンなんですよ』って一言言ってから『イカ二貫って言ってもらえすか?』と言えば『いや、俺のじゃないわ!』と言えるのよ。これがフリなのよ」

という即席のフリ講座があった。

オードリーに千鳥のネタを言ってもらう、というボケだけでは笑いは生まれず、その前に「大ファンなんです」というフリを入れることで、「いや、ファンじゃねぇじゃないかよ!」というツッコミができて笑いが生まれるのだ。

つまり、フリとは一回違う方向に振ることで笑いを生み出す手法のことである。

これは明石家さんまもけっこう頻繁に使う手法である。

さんまが「いや、そんなんで俺がびっくりするわけないやろ」と言った後で、「ワォ!」と驚く。

料理が出てきて「どうかな、たいして美味しくないでしょ」と言ってから食べて「美味しい!」という。こちらは、くりーむの有田が頻発に使う手法だ。

お笑いの教科書の基礎の基礎であり、スラムダンク風に言えばダンクではなく、レイアップ。地味だけど確実に点を取る方法だ。

もしも芸人の五角形のグラフがあるとすれば、若林はこのフリのスキルが圧倒的に高いのだ。

このフリについて「ヒルナンデス」で共演するウッチャンナンチャンの南原さんから若林が言われた言葉が、彼の方向性を決定づけたと思う。

それは「フリとオチでは、オチで笑いが起こるからみんなオチに注目するけど、実はフリが大事で、どうフルのかってことを追求すると笑いの幅が広がる」という趣旨の言葉を聞いて、ひどく感動している。

言葉というのは、いくら素晴らしい名言であっても、自分の中に共鳴するものが無いと感動しない。

南原さんのその言葉に感動した若林が思ったのは、発見ではなく、フリこそが大事、ということの再確認だったのだろう。ダンクのような派手さはないものの確実に笑いが取れるフリ。彼はこの「フリ」という武器を手に躍進していく。

その前に、そもそも若林はどのようにフリの能力を磨いたのだろうか。

そのことについて書いてみたいと思う。

春日ボケていない論争

2020年1月、オードリーのラジオで、若林が「春日はボケていない」と主張した時があった。

そもそもボケとは何か。それは「わざと間違うこと。そしてそれが面白こと」である。

ボケ=面白いこと、みたいなイメージがあるが、そうではなく、わざと面白い間違えをして、ツッコミがそれを訂正して笑いが起きる。それが漫才の基本構造である。

ナイツのヤフーをヤホーと間違えるボケが一番分かりやすいだろう。間違えているけど、確かに「Yahoo」はヤホーと読める。間違えているけど、面白い。

そう考えた時に、春日はボケてはいない。若林がその論争の時に言ったのは「春日は面白いけど、変な言い方をしているのとアクシデントが起きているだけ」なのだ。

最近のラジオでもボケを「それはウソだから」と語るなど、春日は根本的にボケというものを把握していない。

そんな人とコンビを組む。これは苦行である。ボケというのが、笑いの弾丸だとすれば、春日はずっとピストルを腰にぶら下げて突っ立っているガンマンなのだ。

そんな男と同じ舞台に立つ。待てど暮らせどボケは出てこない。卵を産まないニワトリを飼っているようなものだ。だが、春日という存在は面白い。スター性もある。

そんな若林がたどり着いたのが、春日にピンクベストと七三分けというキャラクターを付与し、キャラ芸人として存在を際立たせ、自らはフリの技術を向上させることだったのである。

ラジオでよく聞かれるパターンの一つに以下のようなやり取りがある。

若林「生意気だなって言われるかもしれないけどさ。ずっとテレビ局でご飯食べているから飽きてきてさ」

春日「生意気だな」

この●●って言われるかもしれないけどさ、というのがフリであり、同時にツッコミの答えであって、それを春日が「●●だな」となぞるだけで笑いが起こるのだ。ボケれない春日のための最大級に丁寧なフリである。

このボケない男と一緒に笑いを起こす、という難題を20年近く繰り返してきたからこそ、若林は、相手が答えるだけで笑いが起こるフリの技術を習得したのだ。

その光景は私には、野球のバッティングコーチの横でしゃがんでボールを投げる人を思わせる。コーチはバンバンと外野にヒットを打ち、意気揚々と「ほら、どうした!」と選手たちに声をかけている。だが、実はコーチがヒットを打てる陰で、しゃがんでボールを投げる人の正確さことがそのヒットの秘訣なのだ。この人が地味だけど、正確に打ちやすい位置にボールを投げ続けているのだ。来たボールを打つコーチが春日で、ボールを投げるのが若林だ。

春日というスター性と可能性だけを持った男と組んだことで最強のフリを身に着けた若林は、もはや「無敵のフリ師」といえるだろう。

そして、実は打ちやすい位置にボールを投げる技術があれば、バッターは春日でなくても、誰でもいいのだ。たとえ素人でもバットにボールを当てられる球を投げることができる。つまり、若林がいれば素人でも笑いが確実に生まれるのだ。

その結果、「素人がメインで、ちょっと面白いか分からない、展開が読めない」という番組で若林がファーストチョイスで起用されるのだ。

激レアさんを連れてきた。おどぜひ、そして、アイドルとしては異常なほどお笑いIQが高い集団である日向坂の番組、日向坂で会いましょう、も若林のフリがあって成立している部分があるのだ。

これからテレビで若林と素人が絡む番組を見る時は、ぜひその点に注目してみてほしい。

自分の言葉で話すということ

次に若林の言葉について読み解いてみたいと思う。

人には2通りの人間がいる。誰かから聞いた情報を話す人と、自分の言葉で話す人だ。

そして残念なことに誰かの言葉で話す人の方が世間の受けは良い。特に若い時にはそうだ。

若者の言葉は切れ味はあるけど、軽い。そこに重みを付与するのが、誰かの言葉を話すことなのだ。

「アインシュタインも言ってましたけど」といえば、それはただの若者の言葉ではなく天才数学者の言葉になる。

一方で自分の言葉で話す人は、若い時は苦労が絶えない。その言葉は軽く、紡ぎだすスピードもゆっくりだからだ。だが、その言葉に耳を傾ける人が増えた時、その状況は逆転する。

若林は「社会人大学人見知り学部卒業見込」と「ナナメの夕暮れ」という2冊の本で、その状況を変えたと思う。

この2冊で彼は、自らのファンの中心となる層を生み出したのだ。その玉は世間の人には見えないほどの小さな玉かもしれない。だが、雪だるまを作る時の最初の小さい玉のように、彼がそこで投げかけた2つの小さな玉が大きくなり、若林の支持層は増えたのだと思う。

彼が2冊の本で投げかけたのは、世間の当たり前に対する「違和感」の表明だった。

それが一番象徴的なのが「幸せ」についてだったと私は思っている。

私は若林と同じ1978年生まれで、今年42歳だから分かるが、若い時の飲み会がつまらないのは、飲み会は「おじさんのため」のものだからである。

そして、世間と呼ばれるものや当たり前と言われるものも、その時に決定権を持っている中心的な層である40~50代ぐらいの人の価値観でしかないのだ。

だから、僕らの世代が学生時代にテレビで見てきた幸せは、すべて「バブル世代」の価値観、つまり金を使えば使うほど幸せだとされる世代の価値観だったのだ。

高い料理屋に行き、美味いごはんを食べる。広い家に住んで、高い車に乗る。高いワインを飲んで、ゴルフをして寿司を食べる。

でも、それは本当に幸せなのだろうか、というのが、若林がこの2冊で表明したことのように思える。いや、それはその次に出された旅行記に見せかけた自分語りの本「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」においても(タイトルで分かる通り)根底に流れるものは同じだと思う。もちろんはっきりとは言わない。世代間格差を語るでもない。ただ、彼は違和感を語っているだけだ。

だが、そこにはバブル世代の価値観を押し付けられながらも、自分なりの幸せを模索して葛藤する氷河期世代の彼の姿が見て取れるのだ。

若林は、2020年8月のラジオで「お金を使わないで楽しいことをすると、ざまあみろと思う」と発言し、春日が「え、何に?」という聞くと「経済に」と答えている。かつて若林が自ら運営していたブログ「どろだんご日記」の有名な一節「やれやれ資本主義」というフレーズにもあるように、経済や資本主義に対する異議申し立てが、そこには存在するのだ。

それをもっとも象徴しているのが、以下の文である。

春日は売れない時代から幸せだった、という話の後で彼はこう綴っている。


その頃には、春日のそういう精神性は羨ましいを通り越して、ぼくの憧れになっていた。なぜかというと、テレビに出てお金をある程度もらえば幸福になれるとぼくが信じていたからだ。

確かに、前より生活に困ることはなくなった。でも、幸福感はさほど変わらないんだ。春日はずっと楽しそうで、若林はずっとつまらなそうだった。

「社会人大学人見知り学部卒業見込」より

バブル世代の価値観の中で生きていくけど、彼らの語る幸福と上手く馴染めない氷河期世代。多様化した時代を生き、幸せになるためには、自分が何をしている時が幸せかを知り、それを満たすしかない。誰かの幸福を借りても、幸福にはなれないのだ。

同書の中で彼は、なぜ先輩との飲み会でお酌をしなければいけないのか、おごってもらっているから?なら割り勘ならいいのか、と悩んでいる。当たり前のことを「そういうもの」と割り切れない男。メンドクサイと言われがちだが、そんな彼の葛藤がやがて自分の言葉として、世の中に放たれていく。

さらに、彼のキャリアもその言葉に重みを加える。

売れない極貧の20代と、2008年以降の売れっ子の時期、その喧噪が去り、注目されない時期を経て、安定してテレビに出てMCになっていく、というお笑い芸人が通るべき、すべての道を経験したからこそ、彼の言葉に多くの芸人が耳を傾け、特に年下の芸人は「そういう時期ってどう過ごしたんですか?」と質問するのだ。

そして、苦労しながら芸能界を生き残ってきたからこそ、多くの芸人の悩みに共感できるし、優しい言葉をかけてあげられるのだ。

テレビ東京の佐久間プロデューサーは若林を「生き様芸人」と呼ぶ。まさにその通りで、若林は、クレバーな印象があるが、本当に不器用でその生き様をさらしながらテレビの世界で生きている。だからこそ、彼の言葉は深いところに刺さるのである。決して名言を連発するようなタイプではないが、ちゃんとした深さのある芸人だからこそ、「やっぱそうだよね」という共感の一言が優しく染みわたるのだ。

情景で心境を語る能力

最後は「情景で語る」である。情景とは「人間の心の働きを通して味わわれる、景色や場面」のことである。

これはテレビでは出現せず、ラジオでのみたまに登場する。

そして、これは私自身が若林という存在を急激に意識した時の話になる。

時期的には「たりないふたり」でコンビを組む、盟友の山里亮太が結婚し、相方の春日も結婚し、自らは結婚を意識しながら、彼女との関係を深めているころの、オードリーのラジオのトークだった。

「春日と山ちゃんが結婚して、みんなにどうなの?って聞かれるんだけど、最近思い出すのが、小学校の時のこと。おれは近所にある高いビルの壁にボールを当てて、落ちてくるボールを誰がキャッチするのかを競う遊びを友達4,5人とやっていたんだ。そしたら、だんだん人数が減っていって、ある時、いつもの遊び場にいったら俺一人だった。みんな何やっているんだろうと思って次に日に学校で聞いてみたら、中学受験をするから塾に通っているというんだよ。その日、家に帰って親に受験したい、と言って塾にいったんだ。あの頃のことを最近思い出す」

いかがだろうか。これはエピソードトークとは一線を画す、もはや短編小説の世界だと思う。

この場合の小説とは何か。それは「物語という形でしか伝えられないことを書く」ことである。

「みんなが結婚して寂しいよ」なんて簡単な言葉ではなく、みんなで楽しく遊んでいたのに、いつの間にか自分だけが取り残されていたあの日の思い出。その情景を通して、今の自分の心境を伝える。

この若林の特別な能力を絶賛しているのが、オードリーのラジオの放送作家である、藤井青銅さんである。青銅さんは、ウッチャンナンチャンのラジオを担当し、伊集院光を育て上げ、そして、ラジオパーソナリティのオーディションで若林と出会うと、これからはオードリーを育てる、と伊集院に語った人物である。

オードリーがM-1を取るずっと前に、彼の才能に惚れ込んだ重要人物である。

その彼が若林がブレイク前に語っていたエピソードの中で、大好きだと言っているのが「夏、仲間とネタ作りに区民プールに行き、『向こうまで潜って泳げたら売れる』とみんなでそれを繰り返すけど、結局プールで泳いだだけ」という話だという。

これもまさに短編小説のような話だと思う。芸人のエピソードトークは、基本的に笑いへの疾走であるはずなのに、若林のエピソードトークはもう少し複雑で、そこには隠し味のように悲哀が含まれているのである。

若林も好きな村上龍の本で「料理小説集」という作品がある。この本は「登場する料理が美味しい」ということを「美味しい」という言葉を使わず、物語を通して伝えることでもっと的確に伝わる、ということを証明するための小説集になっている。若林のエピソードトークもそれに近い。

「辛かった」「悲しかった」「悔しかった」という言葉ではなく、ある一場面を切り取ってその時の心情を語ることで、聞き手に自分の心境をよりリアルに伝える。これは本当に特別な能力であり、かなり高度な技術だと思う。その葛藤の様子は、ある意味で自分語りであり、そこに心の動きを乗せることで、相手を共鳴させる「話す文学」と言っていいのではないだろうか。

まとめとおまけ

さて、3つのポイントを通して若林の魅力を語ってみた。

ボケない春日といることで磨き上げたフリの能力と、葛藤を繰り返して獲得した「生き様芸人」としての自分だけの言葉、そして、情景で見せる「話す文学」という能力。この3つこそが、若林が特別たる所以だといえる。

いや、若林の魅力はそこではない。かわいいところだ、清潔感のあるところだ、というのも間違いではないだろう。藤井青銅さんはオードリーの魅力をウッチャンナンチャンと同じ「清潔感」にあると語っている。

それはテレビに出るうえで非常に大事なポイントだ。だが、それだけでいまの安定した人気を語ることはできないだろう。

やはり彼の魅力は、先述の3つのポイントにあると思う。

だが、ここまで書いても、若林の魅力が上手く伝わらない人もいるかもしれない。情景とか言われても、、と。

そんな方にお勧めなのが、とにかく若林が出る番組、ラジオを全部聞く、なんならnoteの有料会員にもなってみるのがおすすめだ。

なぜそんなことを書くのか。それは、彼の本当の楽しみ方は、番組を横断して続けられる自分語りにあるからだ。

「俺はさ~」なんて分かりやすく自分を語ることは無い。そこにあるのは生き様の断片だけだ。激レアさんのオープニングトークや、セブンルールのYoutubeの動画、たりないふたりでの山ちゃんへの叫び、ラジオのフリートーク。その端々に彼の生き様が刻まれているのだ。

そして、その断片を拾い集めてテロップにしているのが「日向坂で会いましょう」だ。

そのテロップには、若林が最近テレビで言った印象的な発言がことごとく登場する。

そうした楽しみ方は、ただ出演しているテレビが面白い、なんて話ではない。もっと壮大な、まるで大河ドラマを見ているような感覚になってくる。テレビ業界、芸能界という世界で葛藤しながら邁進するオードリー若林という人間の物語を堪能する。それこそが彼の楽しみ方だと思う。

さて、気付いたら長く書いてしまったが、とにかく一人でも多くの人に、オードリー若林という芸人の凄さと彼の魅力が伝われば本当に幸いである。

]]>
https://kinakonan.com/wakabayashi/feed/ 0
大悟の笑いの秘密がよく分かる「千鳥のニッポンハッピーチャンネル」がすごい! https://kinakonan.com/daigo/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=daigo https://kinakonan.com/daigo/#respond Thu, 23 Jan 2020 02:18:40 +0000 https://kinakonan.com/?p=2971

千鳥の笑いの中毒性はなんだろう、とずっと思っていた。

漫才はもちろん「キングちゃん」や「相席食堂」において、彼らは抜群の面白さを発揮している。

ドキュメンタルで松本人志も言及していたように、のぶのツッコミは、現在のお笑い界のトップクラスだろう。

一方、芸人らしい芸人として、酒、たばこを愛し、志村けんに愛された男、大悟の面白さというのは、ちょっと異色だ。

お笑いを、計算と天然に分けると、大悟は天然ではないと思う。計算でやっている。だが、その計算とは、近代お笑いの基礎となる「緊張の緩和」「フリと落ち」の2つだけでは説明できないものがあるのだ。

そこから僕は大悟のお笑いの「ブラックボックス」は一体なんだろう、と思っていた。

そして、その答えはアマゾンプライムビデオの「千鳥のニッポンハッピーチャンネル」でやっと答えが分かった。

その答えについて書く前に、まずは番組について説明しよう。

大悟がめちゃくちゃなことをする番組

「千鳥のニッポンハッピーチャンネル」とは、千鳥が日本をハッピーにする、というコンセプトのもとに、大悟が作った映像を、ノブとゲスト2人が見る、というスタイルになっている。

大悟が作った映像について、のぶは事前に聞いておらず、さすがのツッコミを連発していく。

ちなみに現在のエピソード9までの内容は

・トレンディードラマ(1,2、3)

・大悟が除霊をする(4、5)

・ドキュメンタリードラマ(6、7)

・グルメ番組(8,9)

・お笑いサミット(10)

という内容になっている。

それぞれツッコミどころが豊富にあるのだが、ずっと見ているうちに中毒のように面白くなっていく。気付いたら、また千鳥の世界に引き込まれてしまう。

それはくっきーのようなサイコな世界とも違う、大悟の独特の笑いに引き込まれてしまうのだ。

日本人は繰り返しが嫌い

「音楽的にみると日本人は繰り返しが好きではないのかもしれない」

そのフレーズは、小泉文夫さんという、1960年代から1970年代に活躍した民俗音楽専門の学者が書いた「音楽の根源にあるもの」に書かれていた。

この話は非常に示唆に富んでいると思う。そして、これは音楽の話だけではないと思う。

よく海外サッカーのニュースなどで10年前、15年前の小野伸二や中村俊輔のスーパープレーを褒められることがある。そういったものを見ると、ヨーロッパの人々は昔の栄光、かついての良かったプレーを繰り返し語ることで定着させることに熱心だな、と思う。

翻って日本で、15年前の外国人プレイヤーのスーパープレーを褒めることはない。それは「繰り返し」を嫌う文化の差なのではないか。

黒人音楽はその根底に、同じ音を繰り返しながら変化させることでグルーブを生み出していくというものがある。それはブルースであり、ジャズであり、ヒップホップに共通する要素だ。それに対して日本人は、ヒップホップに対してもメロディーを求める傾向がある。そこには、日本人の「繰り返しを嫌うDNA」が関係あるのかもしれない。

だが、大悟の笑いは違う。この「千鳥のニッポンハッピーチャンネル」では、徹底した繰り返しが何度も行われる。

例えば、大悟とスタッフのやりとりでは

大悟)これから行く洋食屋のエビフライはあるか?

スタッフ)はい、洋食屋なのであると思います。

大悟)そのエビフライには頭が付いているのか?

スタッフ)いや、そこまでは確認してないです

大悟)それは電話で確認した方が良くない? エビの頭が付いているなら付いている、と店員は言うし、付いてないなら付いてない、って言うから

スタッフ)そうですね。

大悟)そうやろ。エビの頭が付いてないのに、付いているとは言わないだろ、ウソになるからな。だから、エビの頭が付いているときは付いているというし、付いてない時は付いてないというから。それが2匹だと多分付いてないよな。1匹だと付いていることが多いよな。

と頭がおかしくなるほど、エビの頭のくだりを繰り返すのだ。

ノブもゲストのこじるりも「なんなのこれ?」「何の会話?」「いつまで言うの?」というが、何度も何度も繰り返すのだ。

反復がもつ中毒性。つまらないフレーズをずっということで、いつの間にか面白くなってしまう、修学旅行の夜のような不思議な笑い。

それを大悟はひたすら追求しているのだ。

決して爆笑する笑いではない。でも、教科書に沿った笑いとは違う。唯一無二の笑いがそこにはある。

千鳥のすごさ、というのはノブの天下逸品のツッコミと、大悟の人間力が生み出すコメントにあると思っていた。そして、その底は、まるで深い深い井戸のように、ずっと見えなかった。

だが、自らが企画して、好き勝手やった映像を見たときに、初めて大悟のすごみが分かった。

自分が「面白い」と感じることに視聴者を引き寄せる力が半端ないのだ。そして、そこでグルーブを生み出せる。絶対負けないにらめっこのチャンピオンのように、面白くなかったはずの表情をずっと見ているうちに、気付くとこちらが笑ってしまうような強さがあるのだ。

又吉の「読み解く力」もすごい

この番組を見て感心するのは、大悟のすごさだけではない。

もう一つすごいのが、又吉の「読み解く力」だ。

例えば、大悟が作った「ロングロード」というトレンディドラマで、志村けんの腰につける白鳥が登場して、視聴者がみんな「え~」となっている時に、「白鳥は渡り鳥だから、ロングロードというタイトルとかけているんですね」とか、ストーリーの中の1話分にまるごとヒロインが登場しなければ「彼女がいないことで、逆に彼女の存在感が増した」とか、主人公が働く会社が、ラブホテルのシステム部分を作っている会社であることから、「恋愛がうまく行くことによって利益が出る会社だから、社員の恋愛を応援するんですね」など、設定1つ1つを考察して、なんとなく正解っぽい答えを導き出してしまうのだ。

ノブが「そりゃ、芥川賞とるわ!すごいな!」と言うが、本当に又吉の読み解く力のすごさには驚かされる。

そんな大悟の独特の笑いと、又吉のすごさを感じられる、「千鳥のニッポンハッピーチャンネル」はけっこうお薦め。

気になった方は アマゾンプライムビデオでぜひ見てみてください。

]]>
https://kinakonan.com/daigo/feed/ 0
復活する時効警察の過去作品はいま見ても面白いので見どころを紹介する https://kinakonan.com/jikoukeisathu/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=jikoukeisathu https://kinakonan.com/jikoukeisathu/#respond Wed, 25 Sep 2019 23:10:57 +0000 https://kinakonan.com/?p=2960

2019年10月からテレビドラマ「時効警察」が12年ぶりに復活する。

ぼくはこのドラマが大好きなので、この機会にぜひ過去作品を見返してみませんか、という話なのだが、せっかくなので今から見返す時に、ぜひここに注目してほしい、という5つのポイントをお伝えしたいと思う。

楽しそうな職場ドラマはここから

楽しそうな職場ドラマといえば、オダギリジョーの出ていた「重版出来」とか、「アンナチュラル」「空飛ぶ広報室」など野木亜紀子作品に多いが、もっとも楽しそうなのは、時効警察の時効管理課だろう。

頼りないけど、趣味で時効事件を調べているちょっと変わった霧山(オダギリジョー)と、一緒に捜査をする三日月くん(麻生久美子)。この二人がいれば、もう時効警察である。

二人の関係は、霧山に片思いをする三日月くんと、それに気づかない霧山という、「美味しんぼ」の山岡と栗田さんパターン。これが一番視聴者を引っ張れる。美味しんぼなんて山岡が栗田さんの片思いに気付くのは、60巻ぐらいである。

そして、同警察署には、キョンキョンのお相手である豊原功補、名バイプレーヤーの光石研さん、そして、女名バイプレイヤーとして注目株の江口のりこさんが揃っている。さらに三木さんの奥さんのふせえり、そして元お笑い芸人の緋田康人。この二人は、ビシバシステムというお笑いグループの旧メンバーと新メンバー。全体をまとめる上司が岩松了という不思議な味のあるおじさん。これが同じ職場にいるのである。

ただ、席に座っておしゃべりしているだけでも面白い、すごいメンバーである。

そして、彼らはたまに「いま流行っているテレビ」のモノマネを職場でやりまくる。見ている我々もついつい真似してプクーちゃんというキャラの真似をして「プクー!」と言ったりしてしまうのだ。

楽しそうな職場にどっぷりと浸かり、登場人物のキャラクターを楽しむ、それが時効警察の醍醐味だろう。

脚本・監督を誰かを当てながら見る

時効警察の魅力は、脚本・監督にケラリーノ・サンドロヴィッチ、園子温、三木聡というかなりクセが強いメンバーが揃っている点にある。

三木さんは「亀は意外と速く泳ぐ」「インスタント沼」などで知られる映画監督でもあり、さらに「ダウンタウンのごっつええ感じ」の放送作家の経験もあることもあり、変な世界観を作り上げるのが上手い人。「ごっつええ感じ」の頃の松本人志のコントの特徴は「フォーマットはみんなが知っているものなのに1個だけおかしい」というのがある。

一番わかりやすいのは、料理研究家のキャシィ塚本のコントで、料理番組というフォーマットに沿っているけど、先生が異常、という構造になっている。

三木監督もそれに少し近くて、全体的に普通なようで出演者の笑い方がおかしかったりと普通のようで、ちょっと変なポイントが細かく入ってくる。

ケラリーノサンドロヴィッチ作品は、もうトリックなんてどうでもよくて、奇妙な変な物語に仕上げて、その作品の魅力にやられてしまう。多め亭(なんでも多めに出てくる定食屋)とか、早め亭(なんでも早めに出てくる定食屋)など、魅力的な設定がどんどん出てくるけど、振り返ってみるとトリックと呼べるのか?という内容の時は、ケラ作品。

園子温監督作品は、振り返ってみると、名作というか、泣ける作品、情緒的な作品が多いと思う。好きになった人が実は犯人とか、そういうベタだけど、良い作品が多い。

という感じで、全体のトーンは、三木監督が決めたけど、そのあと、みんな自由にやっている感じがすごく良い。

ちなみに復活する時効警察では、「勇者ヨシヒコ」の福田雄一監督も参加するので、非常に楽しみだ。

意外といま有名になった人が出ている

時効警察は2006年。続編の帰ってきた時効警察は2007年の放送されている。今から12年前のドラマだ。当時は気付いてなかったが、今見ると、「え!この人が出てるの?」という人が意外といる。そこで僕の方で気になった5名(5組)を紹介しよう。

1、満島ひかり(帰ってきた時効警察第3話)

事件の最初に殺される助手役として出演している。この回は園子温監督の回であり、2007年に園子温の映画「エクステ」に満島ひかりが出ているので、その関係でキャスティングされたのだろう。すぐ死ぬ役なので、ほとんど演技らしい演技はしていない。

2、吉高由里子(時効警察第6話)

こちらは犯人の娘役として出演している。こちらも園子温監督の回であり、彼女は2006年に園子温の映画「紀子の食卓」でデビューしているので、その関係でキャスティングされたのだろう。満島ひかりよりも、かなり演技をしている。

3、緒川たまきと田中哲司(時効警察第3話)

のちに付き合っていたという噂のあった二人が夫婦役で共演している。このドラマがきっかけなのだろうか。緒川たまきファンとして、必見でありつつ、気になる回。

4、宇佐美蘭(帰ってきた時効警察第7話)

サッカーガンバ大阪の宇佐美の奥さん、宇佐美蘭が旅館の娘役で出演している。ぼくは宇佐美ファンなので、嫁さんのインスタもフォローしており、この回を見ると、おぉ、嫁さん演技している、となる。

5、真木ようこ(時効警察第8話)

森の中で殺害された女子高生役で出ている。当然、今より若いころだが、今の方がキレイだと思う。

小ネタを楽しむ

この作品はとにかく小ネタが多い。

番組の最後に流れる「このドラマはフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです」の前に、「二人でするのはつれションですが」とか「忌野清志郎は元RCサクセションですが」など、ちょっとダジャレが入っていたり、あるいはピーポ君的なキャラクターのそーぶくんが背景にいたり、変な張り紙が壁中に貼られていたり、黒板に書いてある「正」の字が実は叩かれた回数だったりと、「全力でふざけてる」感じがたまらない。

時効警察は画面全体を隅々まで楽しむのがポイントだ。

麻生久美子を堪能する

麻生久美子の魅力は、たくさんあるが、この作品では、特に豊かな表情が挙げられると思う。特にちょっと怒った表情は本当に素晴らしい。

個人的に、女優は良い年齢の時に、良い作品に出合えるか、そして、出合えた人は貴重であり、幸せなことだと思っている。

そういう意味で、この作品の麻生久美子は、文句なく女性としてのピークと、良い作品との出合いをはたしていると思う。

彼女自身、転機になったのは「時効警察」だと語っている。

もう全部がキラキラ輝くような、素晴らしい演技をしている。もちろん、オダギリジョーも良いのだけど、男のピークがもう少し後だと考えると、やはり本作で見るべきは麻生久美子だろう。

ということで、時効警察の魅力を書いてみた。

いまなら全部「 アマゾンプライムビデオ 」で見れるので、ぜひ一気見して、復活する時効警察に備えてみてはいかがだろうか。

]]>
https://kinakonan.com/jikoukeisathu/feed/ 0
いまテレビ東京の佐久間さんのラジオで何が起きているのか? https://kinakonan.com/sakumasan/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=sakumasan https://kinakonan.com/sakumasan/#respond Sat, 21 Sep 2019 00:14:39 +0000 https://kinakonan.com/?p=2951

「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」で何かが起きている。

それに気付いたのは、佐久間さんのラジオイベントの時だった。2019年10月に開催される、このイベントの場所は下北沢本多劇場。値段は6000円。座席数は386席だった。

おっさんのラジオイベントに6000円!まじかと思いつつ、リスナーである僕は2度も申し込み、そして2度とも落選した。

平日の6000円のイベントなんて誰も来ないだろと思って申し込んだのに落選ってなんだ!と思ってツイッターを見るとかなりの数の落選祭り。どうやらけっこうな倍率だったようだ。

そして、同時に思った一体何が起きているのだろう。これは何を意味しているのだろうと。

僕はたまたま第1回目からラジオを聞いている。とりあえず言えるのは、毎回確実に面白いということ。しゃべりのプロでもない、裏方のおじさんがまぁおもしろいのだ。

いったい佐久間さんは、何をやったのか。この記事を書いているのは2019年9月である。2019年4月に始まり、約5カ月が経った「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」の軌跡を一リスナーの視点で追ってみたいと思う。

目利きとしての佐久間さんという存在

佐久間さんといえば、テレビ東京の深夜番組「ゴッドタン」のプロデューサーとして知られている。このゴッドタンというのは、マジ歌や、キス我慢選手権が有名だが、ベースとなる企画がない、フォーマットがないタイプの非常に変わったバラエティ番組だ。アメトーークのようにトークをするわけでもなく、常にどう転ぶか分からない、大掛かりな即興コントのような構成になっているのだ。

この番組がまぁおもしろい。アマゾンプライムビデオで見れるので、気になる方はぜひ見てほしい。

さらに、ここ数年は、ゴッドタンからブレイクした芸人が増えている。近年ならEXITや三四郎、歌手なら眉村ちあきなどがいる。

なぜここからブレイクするのか、それはゴッドタンが常に新しい人を探す、実験的な番組であり、それゆえに業界人が注目しているからだ。いわゆる業界視聴率が高い番組なのである。

そして次々とブレイクした結果、佐久間さんの目利きとして評価が高まり、現在のテレビ業界において、アメトーークの加地さん、水曜日のダウンタウンの藤井健太郎、ゴッドタンの佐久間さん、という3人がテレビの裏方の中で注目株となっているのだ。

僕自身はゴッドタンのファンなので、佐久間さんの存在は知っており(たまにテレビにも映るので)、さらにぼくは海外ドラマが好きなので、次に見るドラマに迷ったときは、佐久間さんがツイッターで「面白い」と言ったものを見るようにしていた。

そんな佐久間さんがなぜかラジオを始める、ということで早速第1回目から聞いてみることにしたのだ。

業界の鬼才はおっさんを武器に戦いを始めた

佐久間さんの引き出しには、マンガ、映画、国内、国外のドラマ、演劇、音楽などさまざまなものが詰まっている。そして、テレビ東京の有名プロデューサーである。ならばきっとエンタメ鍋奉行のような、これを見たほうが良い、これのここがポイントだ、みたいなラジオになるのかな、と思った。

だが、ラジオから聞こえてきたのは、おっさんのどでかい笑い声。一人で語り、一人でガハハと笑っているおっさんがいるだけ。

話している内容も、テレビ東京の社員がフジテレビ系列のニッポン放送に出るってなんだろうという話と、明け方にラジオが終わって、これから娘の弁当を作る話など、自虐ネタ、悲しいおっさん全開のネタだった。

また、佐久間さんのラジオの特徴は、リスナーメールなどを全て肯定すること。「あ~わかるわ~」「あるな~」と言いながら、話を展開していく。

思っていたのと違う、思いっきり、おっさんのラジオだけど、おもしろい。それが最初の感想だった。

メールを肯定してくれるからか、リスナーからのメールのレベルも非常に高いと思う。佐久間さんは「こういうのじゃないんだよ、今日のテーマは」と言いながら、ずっと映画「フルメタルジャケット」のエピソードの話をしたり、キアヌリーブスの良いエピソードが続々集まったり来たりと、リスナーに振り回されたり、もっといえば、そのメールを回してくる、スタッフに振り回されたりしながら、進行していく。

もう本当に、毎回1時間半が足りないぐらいおもしろいのだ。

何が良いのか、と思うと、やっぱりエンタメの豊富なバックボーンだろう。

例えば、先日の放送でキアヌリーブスと日本で行列のラーメン屋に行くことになったら、という仮定の話の時に

「あ~一緒に並びながら、マンガ読むかな、何読むかな、う~ん、やっぱり『ファブル』かな。それでそれ見たキアヌがハリウッドで映画化したいと言うんだろうな~」

と言っていたのだが、分かっている人からすると、このキアヌとファブルのチョイスが絶妙なのだ。やるな~と思わず、唸ってしなった。

そして、この佐久間さんのラジオの特徴は、本人も語る通り、長い業界生活で得た「ブッキング力」である。その力を生かしたゲストとの共演がまた素晴らしい回を生み出していく。

伊集院光との邂逅

その中でも1個目の奇跡は、伊集院光だと思う。

最初は伊集院光のラジオに佐久間さんがゲスト出演したのだ。

佐久間さんにとって伊集院光は学生時代からラジオを聞いていた憧れの人であり、さらに佐久間さんは自分の最初のプロデューサーデビューの時にMCとして伊集院光を起用している。

しかし、その番組は半年で終了。自らの力不足、申し訳ない、という思いもあり、それ以降、佐久間さんは伊集院さんにオファーをしていなかった。

一方、伊集院光の方は佐久間さんの活躍は当然耳に入っており、「なんで俺を使ってくれないんだろう」という思いをずっと持っていたという。

そんな二人が実はあの時、あれは実は、と語り合うともう止まらない。

しかも、佐久間さんは伊集院に「キス我慢で映画とか作ってるじゃん、なんであそこまでやるの」という話の時に「それはもう本当に伊集院さんのラジオの影響ですね。僕がリスナーだったころに見た妄想を止めない姿に影響を受けた」と語ったのだ。

こんな言葉を言われて嬉しくない人はいないだろう。

その結果、「よし、今度はおれが佐久間さんのラジオに出るよ」と言ったのだ。

この言葉は実はすごい発言である。ニッポン放送に絶縁宣言をして、TBSラジオに移り、いまやラジオの帝王となった伊集院光が、ニッポン放送の番組に出るのだ。

これに驚いたのは当事者ではなく、放送局の人間。佐久間さん曰く「伊集院さんがそう言った瞬間に外にいた大人がバタバタバタと大騒ぎになった」という。

王の帰還。当時、話題だった「ロードオブリング」のサブタイトルにかけて、ラジオの帝王のニッポン放送への出演は、そう呼ばれた(佐久間さんがそう呼んでいた)。伊集院のニッポン放送への出演はその後、実現し、見事に局の垣根を超える奇跡を成し遂げたのだった。

加地メタルジャケットで業界に激震

2つの目の大きな出来事は、アメトーークの加地さんによる、アルコ&ピースの平子に対して行った、通称「加地メタルジャケット」の話題だろう。

アルコ&ピースの平子といえば、天才肌。爆発力はあるが、すべるときは壮大にすべる男。

そんな彼が、ある時、アメトーークに出演し、見事にどすべり。しかも、そのすべったネタを何度も繰り返したことに、プロデューサーの加地さんが怒り、収録後のエレベーターホールで、フルメタルジャケットのハートマン軍曹が、おでこがくっつぐぐらいの距離で兵隊を怒るときのように、ゼロ距離でブちぎれたという。

加地さんとも親交のある、佐久間さんはこのエピソードがお気に入りのようで、過去に放送の中で2回ほどこの話をしていた。特に2回目は、1時間半の放送中、リスナーメールで、次々にハートマン軍曹とフルメタルジャケットのエピソードが届き、加地メタルジャケットをもっといじりたい、という空気をパンパンにふくらました状態で、翌週のゲストが加地さんだったのだ。

テレビ東京の社員と、テレビ朝日の社員が、フジテレビ系列のニッポン放送のラジオで対談する、という謎設定もあったが、とにかく加地さんがやってきて、事件の真相を語りだした。

真相といっても「そこまで怒ってはないけど、なんであんなことをするんだい?」と聞いたという話をしていた。だが、佐久間さん、加地さんというバラエティ界のトッププロデューサーの二人が、いま使いやすい芸人(吉村は間を埋めてくれるすごい)、これから期待している芸人(特に二人が「かが屋」の名前を挙げたのが印象的だった)を語り合った内容は、なかなか刺激的で、またいかに二人が笑いを、芸人を愛しているかが伝わってくる内容だった。

同時に、この放送は色々な余波を生んだ。とうぜん、アルコ&ピースの平子は、自らのラジオでこの出来事に言及し、実は加地さんが語った以上の失敗をしていたことを告白する。それはゲスト女優へのひどいいじりだったそうだ。

「加地さんはそこについては何も言わなかった」と平子は語った。そこで出来事の真相が分かったことが大事なのではなく、一つの事件を複数の番組で当事者が語った、ということが重要だったと思う。

またこの放送は、業界関係者の中でも話題になったようで、加地さんや佐久間さんには多くの業界人から連絡が入ったという。

こうして佐久間さんのラジオ発信で、また一つラジオ業界が動いたのだ。

豪華なゲスト陣とオークラさん

佐久間さんのラジオの特徴のひとつは、その豪華なゲスト陣にある。

初回の中井りかから始まり、劇団ひとり、千鳥、オードリー若林と、深夜3時のラジオとは思えないメンバーがゲストにやってきた。

その中でも異色だったのが、放送作家のオークラさんの回だったと思う。

そのきっかけとなったのは、ゴッドタンの放送だった。

若手芸人のかが屋が「バナナマンが好き、東京03が好き」という話になり、じゃあ、オークラさんとか、嬉しいんじゃない、と劇団ひとりが、スタジオにいた放送作家のオークラさんを紹介。かが屋が「僕らのこと知ってますか?」と聞くと「Youtubeで大体のネタ見てますよ、面白いです」と感想をいったら、かが屋が泣き出してしまったのだ。

僕自身は、オークラさんが第3のバナナマンと呼ばれている人物で、優秀な放送作家ということは知っていたが、詳しいことは知らなかった。

そのオークラさんが、佐久間さんのラジオにゲスト出演したのだ。

バナナマン、ザキヤマの売れない時代からの流れを全部見てきた男の語る言葉は本当に貴重で、いつまででも聞いてられると思うほど、お笑い好きなら、たまらない回だった。

東京のお笑い、バナナマン、東京03、バカリズムのような、関西では生まれえない笑いを一緒に作ってきた、いわば歴史の生き証人であり、超優秀な裏方の言葉は、どっしりと重かった。

個人的には、「極すれすれガレッジセール」という深夜番組が大好きだったのだが、あれにもオークラさんが関わっていたと知って、いまのゴッドタンとの共通点(ぜんぶがアドリブであり、壮大なコントである感じ)を感じてうれしくなった。

また、僕はたまたま人力舎主催の第一回「バカ爆走」を見に行っており、アンジャッシュやアンタッチャブルの初舞台も見ているのだが、その中で一番の謎がザキヤマの覚醒だった。あの時のアンタッチャブルは柴田が上手くて、パワフルでザキヤマはボケなのか、相槌なのか分からない感じで暗い人という印象だったのを覚えている。

そんな彼がどのように覚醒したのか、それをそばで見ていた人物として語るオークラさんの話は、佐久間さんも言うように「もう本書けよ」というレベルで面白かった。

重なる2つの奇跡

個人的には、伊集院光のニッポン放送への出演で、ラジオ業界に激震をもたらし、加地メタルジャケットで、テレビのバラエティ業界に「佐久間さんのラジオやべぇぞ」となって、オークラさんの登場でお笑い好きに「いや~このラジオすげぇわ」となったと思う。

もちろん、劇団ひとりや千鳥、若林のゲスト回も良かったけど、上記3人の登場が佐久間さんのラジオのすごさを決定づけたと思う。

さらに、不思議な奇跡が2つもあった。

いずれもテレビの話だが、1つめは、過去に収録した「断れない芸能人コンテスト」のナレーションで「こんな時代だから、芸能人はきっぱり断れないとだめ、いざというときに断れるか試そう」という内容で、ずいぶん前に収録したらしいのだが、これが吉本の闇営業問題のタイミングと見事にシンクロ。

「いや~狙ってないけどなぁ」と言いながら、奇跡のような企画となった。

さらに先日の放送では、EXITの兼近の過去の逮捕報道が出たタイミングで、2カ月前に収録した、暗記王グランプリが放送される。

その内容は兼近があるテーマで暗記をするのだが、その目の前で繰り広げられる寸劇を無視しなくてはいけないという企画だった。

これは過去の何回もやっている人気企画なのだが、今回は人気者になったEXITのりんたろーが酒に酔ってハニートラップに引っ掛かり、相方に迷惑はかけられない、と「引退します!」と叫ぶ内容だった。もちろん兼近が全力で止めたのだが、それは2カ月前の話。

その後、現実世界で、兼近の過去の逮捕歴が発覚、それに対して相方のりんたろーが「俺だけは彼の味方だ」とツイッターで語るなど、現実と企画が交差し始めたのだ。

放送当時は、まだほとぼりも覚めておらず、番組によってはEXITの出演を見合わせるところもあった。

そんな中でゴッドタンは予定通り放送。それに対して佐久間さんはラジオで「お笑いをやっている人間が更生できる、ということを信じないなんてありえない」と語った。

その結果、バックで使った菅田将暉の「まちがいさがし」の素晴らしさもかみ合って、感動の名作となったのだった。

この2つの出来事は偶然ではあるが、まさに持っている、神風が吹いていると思わせる出来事だった。

なぜチケットがとれないのか

これがリスナーサイドから見えている景色である。いくつも奇跡の放送があり、通常回も普通に面白い。

だが、だからといって、6000円のチケットが倍率何倍というのは一体どういうことだろう。

僕自身の心理でいうと、佐久間さんがイベント発表時に言った。

「俺がイベント?6000円?高いよ!おっさんがしゃべるイベントに誰が来るんだよ!」

という言葉を聞いて、ああ、家も近いし、これは俺がいかないとな、という気持ちになった。期待よりも同情の方が大きかった。値段は高いがお布施の気持ちで、リターンなんて考えてなかった。

この落選メールが大量に出たとき、佐久間さんはラジオで「おっさんが怒ってるんだよ、落選したって」と言っていたが、ひょっとしたらこのラジオは大量のおっさんが聞いているのではないだろうか。

佐久間さんは、ライバルにテレビ朝日の弘中アナを設定し、「ラジオやるなよ~」と言っていたが、その対弘中アナの話の中で、佐久間さんは自分のラジオでの戦略をこう語っている。

「俺はこれまで『なのに』一本槍できた。サラリーマンなのに、おっさんなのに、裏方なのに、それだけで戦ってきたんだ」

そう、佐久間さんは敏腕プロデューサーというブランディングではなく、見事なおっさんブランディングでやってきたのだ。43歳、おっさんです、娘の弁当つくってます、それが彼のキャッチフレーズだ。そして、そこに世の中のおっさんは共感したのだ。

しかも、恥ずかしい部分も平気で出してくるスタイルだ。ぼくは常々男には2つのタイプがいると思っている。それは人前でち〇こを出せる人間と、出せない人間だ。それでいくと、佐久間さんは出す時には出せる人なのだ(もちろん比喩だが)。そういう人は強い。佐久間さんは度々「もうおっさんなのよ」という。それは一見弱者のようだが、おっさんだからこそ下手にかっこつけることもない、ゴリゴリのストロングスタイルで攻めれるのだ。さすが史上最年長のオールナイトパーソナリティである。そういうところはすごい。

それでいて、攻めだけでなく、受けに回っても強い。オークラさん、伊集院光、千鳥、若林の回はいずれも話足りない、聞き足りない、濃い内容になったのは受け手としての佐久間さんの力量だろう。

会話というのは、相手の知識レベルによって、どこまで深くいくかが決まる。

芸人同士だと素直に弱みなどを出せない彼らが、バラエティ番組のプロデューサーという絶妙なポジションの人間だから安心しているのか、自分のお笑いのスタイル、戦い方について包み隠さず話すのだ、面白くないわけがない。

特に千鳥や若林がゴッドタン、佐久間さんによってどれだけ芸人として救われたかという話はまさに胸熱。そういうお笑い良い話みたいなのが、そこかしこに散りばめられているのだ。

エンタメ、お笑い愛、おっさんの悲哀、そういうものを混ぜ合わせてできた、佐久間さんのラジオは、見た目はよくないけど、やたらと美味い漁師町の汁みたいにしみ込んで来る。

ラジオというのは、パーソナルなメディアである。ラジオイベントでも無い限り、日常会話で「ラジオ聞いてる?」なんて聞くのはなかなか難しく、「世の中で俺を含めて20人ぐらいしか聞いてないんじゃないか」と思ったりする。

だが、佐久間さんのイベントに関していえば、386人収容のイベントにかなりの倍率の応募があったというから、少なく見積もっても2000人ぐらい申し込んだのではないだろうか。

それはつまり一つの現象と呼べるものだと思う。それだけの人が聞いて、お金を払おうとしたのだ。これはすごいことだと思う。おっさんが一人で話すだけなのに。

ここで今何かが起きている。それは小さな積み重ねの結果だと思うが、始めて5カ月のラジオとしては、かなり異例なことが起きていると思う。

と色々と書いたが、これは別にラジオを勧める文章ではない。

佐久間さんのラジオすごいらしいね、何が起きているの、ということに対して、一リスナーとして知らない人にお伝えするための文章である。1回聞いて、おもしろい、おもしろくないではなく、なかなかのレベルの奇跡がいくつかあった、ということを伝えたかったのだ。

聞くか、聞かないかはあなた次第だ。だが、自らをおっさんだ、と思う人にはすごくちょうど良いラジオだと思う。気が向いたら聞いてみてはいかがだろうか。

]]>
https://kinakonan.com/sakumasan/feed/ 0
なぜサブカル男子は40で鬱になるのか? https://kinakonan.com/sabukaru/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=sabukaru https://kinakonan.com/sabukaru/#respond Mon, 16 Sep 2019 21:55:10 +0000 https://kinakonan.com/?p=2942

たぶん半年ぐらいブログを更新していない。文章は断片的に書いているのだが、何一つ完成しなかった。その根底にあったのは、モチベーションの低下。いや、軽めの鬱だったのかもしれない。

そんな時期にたまたま読んだのが吉田豪の「サブカル・スーパースター鬱伝」だった。

きっかけは図書館でECDの本を探していた時だった。たまたま見つけて読んだら、なぜか今の自分にぴったりはまった。

登場するのは、リリーフランキー、大槻ケンジ、川勝正幸、杉作J太郎、菊地成孔、みうらじゅん、ECD、松尾スズキ、歌人の枡野浩一、唐沢俊一というメンバー。

何より面白かったのは、この本では、鬱を避けるべきもの、ならない方がよいもの、として扱ってない点にある。

「人生山あり谷あり」の谷のような、まぁ、その辺で一度下がるよね、という感じで扱っているのが非常に良かった。

ただ、サブカル男子は、40歳で鬱になるという、言葉は本を読み終わっても、魚の骨のようにずっと刺さっていた。

体育会系な男と結婚して郊外に家を買うのさ

この本を読んでいる時期、僕は「ストレンジャーシングス」のシーズン3を見ていた。

そして、そこで出てきたサブカル男子っぽい男が女の子に言った「君もきっと体育会系なマッチョな男と結婚して郊外に家を買うのさ」という言葉がずっと残っている。

ああ、アメリカでもそうなんだ、と思った。

体育会系の男子は先輩にかわいがられ、早めに彼女を作り、ほどよい感じで結婚して子どもを作る。

でも、サブカル男子は、そうはいかない。

下積みが長いのだ。体育会系男子のグラフが上手いこと上昇を描き、安定期に入ったころ。つまり、30歳前後でようやく上昇期を迎える。

そして、遅まきながら、何かを手にしたころ、40歳で鬱になる。そんな気がしてならない。

それはライオンやヒョウのような素早い動物たちの後にやってくる、やせっぽっちの動物のように、頼りないなりにようやく獲物にあり着いた姿を想像させる。

はぁ~成人式に子ども連れてきてたヤンキーとかいたけど、ようやく俺も40歳で落ち着いたぞ。まぁまぁどこかにたどり着いたぞ、そんなこと思う。

いいじゃないか、どこかにたどり着いたじゃないか、そう思うが、一方で気付く。ああ、自分はこれぐらいの人間なんだなと。

もうスーパーカップの大盛を食べるような野性味も無くなり、帰り道のコンビニで袋詰めの生野菜を買って食べる。

背が止まった時と同じように、自分のサイズを認識する。等身大の自分。まぁ悪くない、でも、このままでいいのか。そのループがやがて鬱へと誘う。贅沢な鬱かもしれない。

リリーフランキーは「それは大人の嗜みですよ」という。本を読むと、鬱を経てないなんて、うすっぺらいじゃないか。そんな事さえ感じさせる内容になっている。

40歳で折り返すということ

世の中には二通りの人間がいる。同じ話を何度もできる人間と、繰り返しができない人間だ。ぼくは後者であり、一度した話は基本的には墓に埋めていた。だが、次第に気付く。いや、おれにとって大事な話はこれだ、何度もしないと。

そして、それが「おじさんは昔の栄光の話をする」現象だと気付いてる。気付いているんだ。

そして、これこそが40歳の鬱の本質だと思う。

自分は何かを積み上げてきた。これを繰り返すことで、死ぬまで食うことはできる。話題にだって困らない。でも、それは反復であり、自己模倣である。

ここで自分の中のサブカル男子が声をあげる。「それはおまえが一番嫌いなやつだぞ」と。新しいもの、面白いものを探して生きてきたのに、自分はそれでいいのか、と。これは酷な話だ。今からどうしろというのだ。

サブカル男子は40歳で鬱になる。その本質はここにあると思う。

批評家として、目利きとしての自分は成熟していく。その一方で自分自身は、その批評眼に耐えられない存在になっていく。そこで自己が引き裂かれるのである。

毎晩、若い女の子に渋谷系の話をして留飲を下げるわけにはいかないのだ。

「おい、おまえは面白いのか、つまらないのか、おれは今のおまえはつまらないぞ、どうするんだ」

この心の声にやられてしまうのだ。

もう否定はできないだろう、サブカル男子は40歳で鬱になるのだ。

そして、それを抱えながら生きるのだ。男子なんて言ってられない。良い感じのおっさんを目指すのだ。自分の好きなことを愛し、その領域の外は適当に話し、その領域の時だけ、熱を持って語りだす。

つまり、タモリスタイルだ。樹海を抜けることはない。樹海の中でサバイブする方法を身に着けるのだ。そんなことを考えていたら、半年が過ぎていたのだ。

という更新しなかった理由の長い言い訳です。

]]>
https://kinakonan.com/sabukaru/feed/ 0
Netflex「憑依~殺人鬼を追え」は傑作ドラマだと思う https://kinakonan.com/hyoi/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=hyoi https://kinakonan.com/hyoi/#respond Wed, 22 May 2019 02:38:05 +0000 https://kinakonan.com/?p=2918

令和で最初にハマったドラマは「憑依~殺人鬼を追え」だった。

たまたま韓国映画の凄さに圧倒されていた時期だったので、その流れで「適当にネトフリの韓国ドラマでも見るか」と思って見始めたのが「幽霊が見える警察官が殺人鬼を追いかける」という謎設定のドラマだった。

予告編を見ると、おばけが急に見えるようになってビビる警察官が出るコメディかと思ったら全然違った。

このドラマの魅力はかなり重層的だ。極上の恋愛ストーリーであり、犯人を追いかけるサスペンスであり、要所要所のコメディ要素も絶妙であり、その配分の妙があるからこそ、作品として成功している。

まだ見ている人が少ないと思うので、ネタバレしない範囲でこの作品の凄さを紹介していきたいと思う。

1、設定が斬新

このドラマの冒頭は、かなりひどいシーンから始まる。連続殺人の犯人と刑事が対峙して、おとり捜査の女性が殺されてしまう。そして、殺人鬼は刑事に殺されてしまう。いきなり見るのを止めたくなる残虐なシーンだ。

ただ、これは物語全体を貫く、非常に重要な場面だから、我慢して見て欲しい。

この殺人鬼に憧れた男が、降霊術で殺人鬼を自らの体に入れて、人殺しを始める。

主人公の刑事は、犯人を特定するが、この殺人鬼は死ぬと、別の体に乗り移って、また殺人を始めるのである。

通常は「犯人を追いかける→捕まえる→めでたしめでたし」だが、この作品は「犯人を追いかける→捕まえる→別の体に憑依→また追いかける」となるのだ。ここだけ聞くと、B級ドラマかな、となってしまうが、この設定、なかなかの発明だと思う。

殺人鬼のやばさは、知っている。一方で、次に誰に憑依したのか分からないのである。主人公は「誰に憑依したんだ!」と言いながら、探し回る。終わらないループ。この恐怖感はなかなかだ。

2、恋愛ドラマとして一級品

殺人鬼に追いかけられる、という恐怖のシステムはあるが、メインとなるのは、恋愛ストーリーである。主人公役のカン・ピルソン(ソン・セビョクコ)は、イケメンでもなく、服装にも気を遣わず、食事はコンビニのイートインで食べる無骨な男だ。

一方のヒロイン役のソジョン(コ・ジュニ)は、ネットショップで洋服を売っている、おしゃれな女の子である。

この釣り合わない二人が、お互いに惹かれ合っていく様子に、胸がきゅんきゅんしてしまう。うちに寄ってく?が言い出せない女の子。二人でサイクリングして、お尻が痛い!と言ったら夜中にサドルにカバーを付ける不器用な男のやさしさ。

次第にストーリーが進むと、この二人の笑顔は消え、心の中は恐怖で埋め尽くされてしまう。

8話ぐらいまでのラブストーリーとしての極上の流れがあるからこそ、後半の哀しい展開もなんとか乗り越えることができたと思う。

3、喜怒哀楽の波を超えていけ

この作品は明と暗が激しい作品だと思う。明るく楽しい前半と、恐怖のどん底の後半。

見るのを止めたくなるほどの悲しみや恐怖の中で、最後まで好きな人を守ろうとする主人公。

なんでここまでやるんだろう、と思う。でも、これが韓国ドラマなのだ。ハッピーエンドやステキな展開だけがドラマではない。やめろ!いい加減にしろ!と言われても、きついシーンを描き、その中で一縷の望みとなる二人の愛を描く。まさに韓国作品の真骨頂だろう。

これは向こうのテレビでやっていたのをネトフリに上げたものらしい。これが韓国のドラマのクオリティか、本当にすごいな。

1話1時間で、16話ということで、合計16時間どっぷりと浸かってしまった。

ネットフリックスに外れなし、ということで気になった方は見てみてはいかがだろうか。

公式サイトは以下から。

https://www.netflix.com/jp/title/81087764

予告編はこちら

]]>
https://kinakonan.com/hyoi/feed/ 0
ためしてガッテンの歯磨き法を試してみた https://kinakonan.com/hamigaki/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=hamigaki https://kinakonan.com/hamigaki/#respond Tue, 14 May 2019 13:12:28 +0000 https://kinakonan.com/?p=2904

2019年5月に放送された「ためしてガッテン」の歯磨き法が物議を呼んでいる。

虫歯が少ないスウェーデンの歯磨き法として、日本の常識と真逆の方法が紹介されたのだ。

現地に行って研究した日本の偉い先生は「日本人には無理だ」と紹介することを止めてしまったという。

スタジオでゲストがその話を聞いても「無理!」という声が続出。ツイッター上でも「気持ち悪い」という声が多くあがった。

その驚きの方法とは以下の2つだ。

1、歯磨き粉は毎回2センチ使う
2、口をすすがない(口の周りの泡はとって中は泡だらけのまま)

1はまだいい。たっぷり歯磨き粉を使おう。オッケー、分かった。

問題は2だ。口をすすがないだと!あり得ない!

だが、ロジックとしては、こうなっている。

歯磨き粉の「フッ素」は歯を虫歯から守ってくれる。

洗い流したら意味がない。

口の中に歯磨き粉の泡を残すことでコーティングされるので、食べかすなどのゴミもガードしてくれる。

スウェーデンでは、この方法を採用して以来、虫歯率が一気に減少、70代でも虫歯ゼロの人がいるという。エビデンスもちゃんとあるのだ。

ほぉー面白い。やってやろうじゃないか。

気持ち悪さは1分で消える

歯を磨き、口の周りの泡を取り、はい、終わり。もちろん口の中の泡はいつも通り途中で出すけど、最後に口をすすがないのは、なんとも気持ち悪い。

「うわ~」なんて言っていたが、その気持ちも1分ほどで消え去った。まぁいいか。

最初の波だけ超えて、スマホをいじっていればいつも通りの日常が戻ってきた。あまり気にならない。

しかも、このやり方に変えてから歯磨き後のピカピカな歯がずっとキープできるのだ。

なんだろ、これ。けっこう凄い。鏡で歯を見るのが楽しみになってきた。キラーンという感じだ。

もっと早い時に出合っていれば良かった。

大切なのは継続することである。テレビで見た健康法はブームになるとやるけど、いつの間にかやらなくなる。歯磨きは毎日やるので、口をすすがないだけでいいのだ。これは続けてみよう。

ついでに最強の歯ブラシも手に入れる

歯磨き熱が高まったので、ついでに歯ブラシも買い替えることにした。

とはいえ、2万円の電動歯ブラシを買う気もない。安くて良いものはどれだろうと調べると、タフト24という歯ブラシに辿りついた。

歯医者さんだけで売っている歯ブラシで、狙った歯垢を確実に取り除き、歯や歯肉を傷つけないよう毛先が加工されているそうだ。

さらに普通の歯ブラシは水をつけた時に柔らかくなるが、タフト24は水はけの良い「PBT(ポリブチレンテレフタレート)という素材を使っているので、歯垢をしっかり掻き出すことができるという。

なお、固さの種類はかなりあるが、公式サイトによると以下のようになっている。
ESS:重度知覚過敏、抜歯や手術などで歯肉がデリケート、歯肉が健康な方に
SS :動的治療中、歯根露出、歯肉が健康な方
S: 歯肉が健康、ブラッシング圧が強い方
MS: 歯肉が健康、かための歯ブラシが好きな方
M: 歯肉が健康、ネバネバしたプラークがある方 (※)
MH: 歯肉が健康、頑固なプラークがある方 (※)
※ブラッシング圧がコントロールできているか要確認

ということで、固めが好きな僕はMSを選択。歯医者でしか売ってないと書いたが、アマゾンで見るとあっさり売っていたので、10本入りを購入した。

早速使ってみたところ、確かに口の中でもしっかりとした固い毛をキープしてくれる! そのコシの強さそのままに力強く掻き出してくれてる。

おぉ~。さすがだ、良い感じ。口の中がいつもよりピカピカになった気がする。安心の歯科医推奨である。これで一本125円は安い。

ためしてガッテンの歯磨き法+タフト24でピカピカの歯へ

ということで、ためしてガッテン流の歯磨き法と、最強の歯ブラシによって、歯もぴかぴかになり、心なしか歯茎の腫れなども減った気がする。

まだ開始して1週間程度だが、もう少し継続していきたいと思う。

好みが分かれるので、おすすめはしないけど、興味のある方はためしてみてはいかがだろうか。歯磨き法は無理でも、タフト24は普通におすすめなので、そちらだけでも。ちなみにネットでは10本からが多かった。

]]>
https://kinakonan.com/hamigaki/feed/ 0
久保建英と小野伸二はどちらがすごいのか? https://kinakonan.com/kubotoono/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=kubotoono https://kinakonan.com/kubotoono/#comments Mon, 13 May 2019 13:04:33 +0000 https://kinakonan.com/?p=2890

久保建英の蹴った逆サイドへのボールの軌跡を見ながら、僕は小野伸二のデビュー戦を思い出していた。

小野伸二のデビュー戦といっても、Jリーグデビューではなく、Jで初お披露目となったプレシーズンマッチの湘南戦だった。TV中継もなかったので、目撃したのはあの場所にいた8000人ぐらいだろう。

僕自身は、小野を見るのは3度目だった。天才少年の噂を聞いて、彼が高校3年生の時に西が丘の静商と東福岡の試合、そして横浜で行われた高原や稲本がいたU-17の試合という2つの試合を見ている。

そこではテクニックはもちろん走り方からボールの持ち方まで「風格」が漂っていたことを覚えている。

高校時代に有名だった選手がJでどこまでやれるのか、それを確かめるために湘南を訪れたのだ。

時代でいうと、1996~1997年、Youtubeも無い時代。高校選手権に出なかった小野伸二はテレビ中継されることもなく、「とんでもない天才少年がいる」という噂だけが独り歩きしている状態であり、彼のプレーを一目見ようと、多くのサッカーファンが会場に詰めかけていた。

パス交換で歓声が沸く

「おぉ~」というどよめきがスタジアムに響く。

思わず出た低い声だ。それは試合中ではない、試合前のベギリスタインと小野伸二の中距離のパス交換だった。

パス交換を見るだけで分かる、トラップの柔らかさ、そしてピタリと狙ったところに蹴るキックの精度、何よりボールの軌跡があまりに綺麗だった。独特のボールの回転によるものなのか、まるで線が見えるような美しいボールの流れを見て、観客は唸ったのだ。

同時に間違えなく、彼は日本のサッカー史を変える存在になると思った。あのボールの軌跡が20年以上経った今も忘れられない。

その軌跡と久保建英が蹴ったボールの軌跡が空中で重なった。

小野伸二と久保建英。二人が比較される理由がようやくわかった。

久保建英が見られる貴重な機会

今年に入って久保建英への賛辞が止まらない。

僕が久保を見たのは、2017年12月、FC東京のレジェンドである、石川直宏の引退試合の時だった。

密集地帯でボールを受けるのが上手く、ボールタッチが巧みで敵を抜ける技術もあり、「上手いな」と思ったが、ボールを受けた後につぶされる場面も多く、まだまだ局面で上手さを見せるだけで、試合を左右する存在にはなっていなかった。

その後、彼はトップチームで活躍できず、横浜マリノスに移籍し、今年戻ってきた。すると、「すごい成長してる!」ということで、いま日本サッカー界の話題の中心になっている。

年齢は17歳。6月4日の18歳の誕生日には海外移籍ができることから、彼を見れるのは2019年5月いっぱい。あと数試合しかない貴重な試合の一つである秩父宮ラグビー場でカップ戦のベガルタ仙台との試合を見に行った。

職場からわずか5分でFC東京の試合が見れる、ということで大喜びで行ったが、カップ戦ということもあり、両チームメンバーを落としており、久保もベンチスタート。風が冷たいこともあって、前半はかなりお寒い内容。来たことを後悔するレベルだった。

後半になり、いよいよ久保がピッチに姿を現す。ポジションは2トップで快速の永井とのコンビとなった。

いきなりドリブルで1人を抜き、客席を沸かせる。彼がプレーするたびにチャンスが生まれ、観客席が次第に熱を帯びてくる。

フィールドで最も危険な男、チャンスは常に彼から生まれた、などサッカーの寸評でよく出てくる言葉が全て彼に当てはまる。

もっとも成長したのは、ポジショニングだろう。以前の彼は自分が受けたいところでボールを受け、ドリブルを仕掛け、上手く行けばシュートに、ダメならボールを取られていた。

いまは敵味方の状況を見て、右に選手が大勢いるなら自分は左の外側にいる、など適切なポジションが取れるようになってきた。客席で見ていても、いま久保にボールが渡ればチャンスになる、という場所に彼はいるようになったのだ。

しかも、彼は手を上げて「ボールをよこせ」というアピールはしない。静かに猟犬のようにチャンスを待っているのだ。

その結果、ボールを受けた時点で余裕があり、複数の選択肢が彼の頭に用意されている状態になる。そして、そこから確実にチャンスを生むのだ。

見ている側からすれば「全部久保に渡せ~」という気分になってくる。

彼だけが得点までの道筋が見えているのだ。周りの選手がまだ同じ絵を見れてない。もう11人久保ならいいのに、と思えてくる。

久保自身、何度もゴールに迫るがなかなか入らない。「なんであれが入らないんだよ」という声が客席が響く。それぐらい決定的なチャンスを作り続けた。

もう次元が違った。いつの間にか試合を見に来たのではなく、久保を見に来た、という感覚になってくる。試合は引き分けた。でも「久保が見れて良かった~」という気持ちになった。それだけの価値がある選手はなかなかいない。

彼はもはやボールアーティストではなく、試合を決定づける力を持つ、危険な男になっていたのだ。

小野と久保はどちらがすごいのか?

こうして久保を堪能した後に改めて思う、小野伸二と久保建英はどちらがすごかったのか。

それはやはり小野だと思う。小野は試合を決定づける、とか凄いとかそんな次元ではなく、サッカーの神様の申し子だった。

それは変な話だが、サッカーの神様が存在し、それが時代ごとに地域を選んで、サッカー選手の体に入り込み、ある時はマラドーナとして、ある時はクライフとしてサッカーを進化させた後に、次に入ったのが小野伸二だったような、それぐらい特別だった。

ボールを足で扱う、という不確実性がサッカーを面白くしているのだが、小野は違う。手と足が同じレベルなのだ。100%確実に彼が思うようにボールをコントロールしているのだ。

そして、小野のスルーパスは絶品だった。息を飲むほどに。いまもう一回転生して小野が高校生として登場しても日本中が虜になると思う。

残念なことに怪我をして以降の彼は、その輝きを失ってしまった。だが、怪我前の小野は、世界一の選手になれたと思う。

しかし、これは記録の話ではない。記憶の話だ。怪我の前の小野の輝きは、もはや語り継ぐことでしかそのすごさを伝えることができない。

一方で久保はこれからたくさんのゴールを記録し、色々なチームを渡り歩くだろう。小野よりもビッグクラブに行くと思う。彼の方が後世から見た時には特別な選手になるだろう。

でも、両方を17歳、18歳の時点で見た人間として断言できるのは、小野の方がすごかった、ということである。

ただ、小野は18歳の時点で完成されていた。久保はまだ伸びしろがある。もう1年経った時、どこまで到達するのか、もう少し見ていきたいと思う。

とりあえず、久保は1回は見た方が良いと思う、すんごい選手だわ。

]]>
https://kinakonan.com/kubotoono/feed/ 2
どうやらおっさんは太り続けるか、鍛えるしかないのだ https://kinakonan.com/wakaremichi/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=wakaremichi https://kinakonan.com/wakaremichi/#respond Tue, 07 May 2019 14:28:50 +0000 https://kinakonan.com/?p=2832

ある日鏡の向こう側の自分の体形が変わっていることに気づく。

何だこの肉は、誰の身体だ、、、。

鏡に映るその事実を認めるのにやや時間がかかる。お肉だ。肉がついたのだ。

学生時代にスポーツをやっていたりすると、余計に認められない。

おっさんになり、どうやら肉人間になってしまったようだ。

そして考える、これも悪くないか。貫禄がついたぞ。恰幅がいいね!なんて言葉もある、ガリガリに痩せているおっさんなんて見栄えが悪いんじゃないか―――。

いやいやいや、だめだ。このままだと太り続ける。

とはいえ、ダイエットして痩せるというのも何か違う。黒飴ダイエットは鬱になるし。

そうなると、マッチョ路線というか、それなりに筋肉をつけないとだ。

目の前に大きな分かれ道が見える。

太るのか、鍛えるのか。

こうなれば鍛えるしかない。そう思った。

ちなみに今回の記事は準備編だ。最後に痩せたりはしない。

きっと「そうつぶやきながら、僕は早朝の公園に向かって走り出した」みたいなキレイな終わり方するやつだ。その辺で終わるのでよろしくです。

最初にやったこと

まず最初にモチベーションアップのために、村上春樹の「走ることについて語る時に僕の語ること」をkindleで買って読み返すことにした。

この本はランニングの技術書ではなく、走ることを通して、強い意思を作るための哲学が書かれた本だ。

例えば

日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのを止めたら、間違えなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ

なんてことが書いてある。

そうだ、走るんだ、走り続けるんだ。そんな思いがフツフツと沸いてきたらオッケーだ。

自分の最適な食事量を見直す

食事についても再構築する必要がある。好きなものを好きなだけ食べるわけにはいかない。

とりあえずラーメンライスのような炭水化物+炭水化物は止める。ランチはライスつきますけど、と言われても断るんだ。

昔は空腹のときは、自分の胃袋がまるでイケアのバックみたいに大きいような気がして、どんどん詰め込んでいたが、もうそんなことはない。おしゃれなパン屋の茶色い紙の袋ぐらい小さい。そう認識を改める。

おにぎり1つで足りるのか、うどん並盛で足りるのか、いまの自分にちょうど良い量を改めて探ることにした。ちなみに米などの固形物は腹持ちが良い。粉ものはすぐに消化するので、具を足すなど工夫が必要だ。そうやって主食を再構築していく。

また、間食は黒飴、剥き栗、昆布、ナッツ類。あとは水分をしっかりとる。さらに食事の時は食物繊維を意識して、セブンのうの花などを食べるようにした。

あとは髪の毛と肌のツヤを保つために、たんぱく質が手軽に取れるギリシャヨーグルトを食べる。これは酸味が少なくてもっちりしているので僕は好きだ。

そして、太ることに直結する砂糖が入っているお菓子は食べない。

運動はチューブトレーニングと体幹トレーニング

運動するならトレーニングジムに行くのが一番だと思う。だが、子どもが小さく行く時間がない。

そのため、まずはお腹を引っ込めて、筋肉を付けるために、チューブトレーニングと体幹トレーニングに取り組むことにした。

チューブは前に楽天で買ったラクダを引っ張り出してきた。ラクダはやや値段は高いが、持ちやすく、強度もちょうど良い。この後、アマゾンで1000円ぐらいのチューブをいくつか買ったが、やはりラクダが一番しっくりくる。

最近は筋トレのyoutubeも充実しているので、ムキムキそうな人を見つけて、真似をしながら効果が出るものを探す。

体幹で腹筋を鍛えて、チューブでお腹の引き締めと胸板を厚くするトレーニングをする。さらに、太もものぜい肉もついてきたので、足を開いたスクワットもする。

昼休みは30分は歩き、週に2回はランニングをする。

また、勢いで任天堂スイッチのエクササイズゲーム「フィットボクシング」も購入。

音楽に乗って、フックやジャブを繰り返す。このゲーム、声優と音楽のクオリティが高い。そして息が切れるので良い運動になる!

まだ初めたばかりだから効果は分からない。でも、想像は夢の第一歩だ。良いイメージを描いて日々を積み重ねる。

マッチョとは言わないが、太るよりはそちら側に。

みんなやってくる、おっさんの分かれ道。

さて、あなたはどっちの道を歩きますか?

]]>
https://kinakonan.com/wakaremichi/feed/ 0
Netflix独占配信中の「チャンネルはそのまま!」が面白すぎる! https://kinakonan.com/sonomama/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=sonomama https://kinakonan.com/sonomama/#respond Sat, 04 May 2019 14:52:48 +0000 https://kinakonan.com/?p=2817

連休と言えばNetflixである。アマプラも見ているが、やはりNetflixは当たりが多い。

月864円、作品の充実度と中身の満足度から言えば全然安いと思う。

そんな中で、連休中に家族で見て大盛り上がりになったのが「チャンネルはそのまま」だった。

原作は「動物のお医者さん」「おたんこナース」などで人気の佐々木倫子さん。ぼくは彼女の「Heaven?」というマンガが好きだった。その佐々木さんの生まれ故郷である北海道のテレビ局を舞台に、おっちょこちょいの新人テレビマンが繰り広げるドタバタコメディドラマが「チャンネルはそのまま」である。

もちろんマンガは読んでおり、面白かったが、今回はHTB50周年記念企画として、北海道の総力をかけて、つまり「水曜どうでしょう」&チーム・ナックスが総出演して、番組を盛り上げた。

とはいえ、オールスター登場という感じではない。あくまで彼らは脇役であり、主役は雪丸花子(芳根京子)である。

この雪丸がなぜか関係ない場面でテレビ中継に写ってしまう。テレビのカウントを「3、2、1、ゼロ!」まで言って放送に乗ってしまう雪丸。うちの子供たちもテレビを見ながら「雪丸なにやってんだよ!」「雪丸大丈夫か!」「ゆきまる!」と雪丸に夢中になってしまった。

なんなんだ、この番組面白すぎる!! もう朝ドラにして毎朝見たいぐらい面白い。上質なコメディに仕上がっているのだ。

そこで自分なりに、この作品の魅力に迫ってみた。

ドラマ「チャンネルはそのまま」の3つの魅力

1、総監督が本広克行!

事前情報無くて見ていたが、途中からエンドロールのクレジットを注目していたら本広さんの名前が。ああ、あの「踊る大走査線の人か!」。僕は「サマータイムマシンブルース」というムロツヨシのデビュー作となった本広さんの作品が好きなんだけど、やけに全体のテンポが良くて、カメラワークとか、音楽とか全てが小気味良いのは、本広さんの手腕だったのだ。

2、キャストがフレッシュだけど魅力的

この番組の主役は、芳根京子である。2016年の朝ドラ「べっぴんさん」でヒロインを務めているが、僕自身は彼女の出演作をしっかり見るのは初めてだった。彼女の演技はもう100点、120点だと思う。飛びぬけて美人さんではないが、天然ぶり、ドタバタぶりを自然に演じ、それでいてただのバカではない、人間的な魅力にあふれる役に仕上げていたと思う。

この番組は新人の同期チームが中心に展開していくのだが、その他の同期メンバー(5名)もみな知らない顔ばかりだった。だが、わずか5話しかないのだが、毎回少しずつ彼らのキャラクターが分かる設定になっており、次第に好きになっていってしまった。

3、水曜どうでしょうとチームナックス

HTBといえば「水曜どうでしょう」である。我が家でこれを見てるのは、僕だけ。嫁も子どもも見ていないが夢中で楽しんでいた。つまり、ファンであるかは重要ではない。だが、知っているだけに2倍楽しめたと思う。

まず、原作の時点で「あれ、藤村ディレクターかな?」というキャラクターの人物は、まさに実写版という感じで、水曜どうでしょうで毎回大泉洋と喧嘩するスタッフ、藤村さんが登場している。それだけで水曜どうでしょうファンはにんまりである。そして、このテレビ局の社長は、ミスターこと鈴井さんが良い味を出している。

また、エンドロールで流れる、裏の原っぱでの寸劇や、大泉洋に取材を申し込む時の「来週のいつにします?」「水曜どうでしょう」「水曜、いいですよ」など、随所に「水どう」ファンをくすぐる場面があった。

さらにチームナックスも参加している。特にライバル局の社長としてヒール役を演じた安田顕は、もうくさい演技が最高。さらに、後半のカギを握ったやはり大泉洋は圧巻だった。なぜこの人が特別なのか、全北海道民が納得する演技をしていた。やっぱりすごいなぁと改めてうなってしまった。さすが大河に出ている人だわ。

そして、もう一つ。後からキャストを調べたら、京都の演劇集団ヨーロッパ企画の方々が大量に出ていることも分かった。実はこのヨーロッパ企画のオリジナルの舞台が「サマータイムマシンブルース」だという。ああ、本広さんと、ヨーロッパ企画の糸がつながった!

で、メンバーの顔を見てみると、ドラマの中で「誰だろう、この人、いい顔するなぁ、いい役者だなぁ」と言う人はことごとく、このヨーロッパ企画の人たちだった。

つまり、舞台で圧倒的な支持を得ている、チームナックスとヨーロッパ企画が脇を固めていたのだ。そりゃすごいわ。

ということで、ネットフリックス独占配信中の「チャンネルはそのまま」の魅力をまとめてみた。

連休はまだちょっとあるので、まだ見ていない方はぜひ見てみてはいかがだろうか。

原作の方もぜひ!

]]>
https://kinakonan.com/sonomama/feed/ 0
松本人志が「皇帝」と呼んだハリウッドザコショウの幻のライバルとは~ドキュメンタル7の感想 https://kinakonan.com/zakoshi/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=zakoshi https://kinakonan.com/zakoshi/#respond Fri, 03 May 2019 21:52:25 +0000 https://kinakonan.com/?p=2802

10連休のタイミングを狙って放送開始された、 アマゾンプライムビデオ の「ドキュメンタル7」。面白くて最初の3日ぐらいで見終わってしまった。

この番組がどこまで評価されているかは分からない。レビューなんてあてにならないし、一視聴者として見た場合、あまりに品が悪く、雑な芸が多いことも確かだ。一方で企画としては実験的であり、スリリングではある。だが、それでも万人受けするものではない。

その一方でこの番組が、芸人を見るための「新しい評価軸」を提示したことは確かだ。

これまでテレビで活躍する芸人は「ネタが面白い」「VTRの後に良いコメントをする」「必要な時に適度な笑いを提供する」「司会をこなす」「いじられ芸がある」「一発芸がある」「とりあえず若者に人気」などを兼ね備えていることが重要だった。

狂気の笑いや不条理とか圧倒的な破壊力というのは、芸人としては魅力的だが、それは舞台や何組かいる中の一組、あるいはトリオのうち1人ぐらい(ロバート秋山とか)ならありだが、単体となるとテレビでは使い道が限られてしまう。

そして、その系譜にいるのが、ジミー大西とくっきーだと思う。

破壊力も狂気も兼ね備えている。だが、番組では扱いづかい。さんま御殿のようにツッコミがいる状態ならありだが、単体での用途はテレビでは限られてしまう。

だが、だからこそ芸人同士の笑わせ合いである「ドキュメンタル」で彼らは、多くの芸人に恐れられ、爆発力のある笑いを生み出せたのだ。

それはまるで動物園のライオンと野生のゴリラの戦いのようなものであり、ライオンとはいえ、飼いならされている状態では、やはりゴリラにビビるのだ。

ちなみに彼らが出演したシーズンは以下になる。

ジミー大西 1、2、5、6
くっきー 1、3、4(4回目で優勝。その後出番なし)

この二人がシーズン1の段階で二人とも呼ばれている時点で、番組側の意図が分かる。

スマートなテレビサイズの笑いではなく、ブンブン重いパンチを振り回すタイプを入れようと。「そうだ、そうだ」という企画会議での勢いそのままにシーズン1には思わず二人を入れて、「あらら」となり、その後、ずらすように二人を組み込んでいる。

見ている方なら分かるが、この二人、実は守備が弱い。つまりすぐ笑ってしまうのだ。

くっきーはかろうじて優勝したが、ジミーちゃんは爪痕残しに来てるだけだろう、というぐらいすぐ笑う。そんな中で浮上したのが、ハリウッドザコシショウだった。

彼の強みは、破壊力、狂気、そして守備が強い。つまり笑わない。

また、吉本ではない印象が強いが、実はもともと吉本に所属しており、さらにいえば大阪NSCの11期生である。同期には中川家、ケンコバ、たむけん、陣内などがおり、ケンコバとは「ザコバ」というユニットまで組んでいた。

ドキュメンタルは、シーズン1が吉本芸人しかいなかったことから、吉本の番組という認識が芸人間にあり、その後も吉本以外の若手芸人が、吉本勢にやや気おくれをする傾向がある。

その中で彼は吉本勢に対しても友達として接することができるのだ。

「笑わない鉄壁の守備力」
「吉本にひるまない」

この2つを兼ね備えた男が、破壊力十分の笑いの弾丸を詰めた機関銃を持ち、ドキュメンタルの舞台に降り立ったのだ。

彼がランボーのように次々と芸人をなぎ倒していったのは言うまでもない。

ドキュメンタル7の感想

シーズン5で初登場したハリウッドザコシショウは、初登場でまさかの初優勝を果たす。その戦いぶりはまさに圧巻。激辛わさびたっぷりのシュークリームをポーカーフェイスで食べる男のように、どんな笑いにも耐え、お得意の誇張しすぎた物まねを繰り出していった。

前回優勝者ということもあり、シーズン6ではさすがに再登場はせずに、代わりに同じ系譜であるジミーちゃん、村上ショージ、ゆりやんレトリィバァが出た。しかし、シーズン6を見終わった感想としては「友近はやっぱりすごい」というものだった(詳細は内容を見てもらえれば)。

そして、ハリウッドザコシショウが「皇帝」となってシーズン7で再登場した。

美味しいお店には、また行きたくなる店と、1回行けば十分な店があるが、松本人志にとってザコシという存在は前者だったのだろう。

そしてシーズン7は、彼の強さを確かめるために開かれたような大会になってしまった。「圧倒的」「皇帝」「さすが」。松本人志は同じフレーズを連発した。

「あらびき団」でプチブレイクして、その後、レギュラーが無くなった彼がこの番組2回出演で2000万円も稼いだのである。1回100万円を積んで参加するこの番組で、すでに400万円も損しているジミー大西とは大違いであり、とんでもない偉業である。

テレビサイズってなんだ

ザコシに対する松本人志の評価は、過剰ではなく、視聴者の総意だと思う。

キングではなく、皇帝なのだ。強い、そして圧倒的に面白い

ドキュメンタルという番組は、芸人を丸裸にすると思う。ち●こを出してもいいから、下ネタに走る人もいる。笑わないで防御に徹する人もいる。テレビでは「スマート」さが重要だ。だが、それはドキュメンタルでは何の役にも立たない。

これまで積み上げてきた手札の量、破壊力、さらにはメンタルの強さも重要となる。

その全てをハリウッドザコシショウは持ち合わせていた。

なんなら、ドキュメンタル~ザコシにたどり着くまでの葛藤の記録~として、シーズン1から流してもいいぐらいだ。行き着いてしまったのだ、最強の男に。

一方で思う。なんでこいつはテレビじゃ受けないんだ。徹子の部屋とかなんで出ないんだ? なんでマツコと絡まないのだろう?

同時に思い出すのは、いわゆる「地下格闘技」のことだ。

華やかなスポットライトを浴びるK-1のような舞台ではなく、あまり良くない筋の方が掛け金を出して、喧嘩自慢を戦わせる地下バトルだ。そこで勝っても脚光を浴びることはない。勝利給と、死なないで良かったという安堵感だけがお土産となる。

ドキュメンタルは地下格闘技なのか? こんな強いやつが活躍しないお笑い界なんて、果たして正しいのか? テレビサイズに収まらない人が輝く場所はもっとあるんじゃないのか。そんな憤りのようなものを感じてしまった。

果たして、ザコシに敵う人はいるのだろう。彼はもはや敵なしの状態のように思える。

いや、彼と戦える人物が一人だけ思い浮かぶ。だが、すでに老体。見果てぬ夢だろう――。しかし、浮かんだ以上書くと、もしもザコシに勝てる相手がいるとすれば、それはタモリだと思う。

必殺技の出せないウルトラマン

現在のタモリの佇まいを、静と動の2つに分けるとすれば、「静」に属するだろう。

悠然として、どっしりとそびえ立つ巨木。今のタモリなら総理大臣もやれるんじゃないだろうかというぐらい知的で落ち着きがある。

だが、昔の彼は違った。彼が最も輝きを放った時代。それはインディーズ時代の後期にあたる「密室芸時代」まで遡る(ちなみに前期は早稲田のジャズ研の司会~博多くすぶり時代)。

タモリの歩みについては「タモリのジャズを聴け」という文章にまとめたので割愛するが、ざっくりいうと、タモリのデビューのきっかけは、山下洋輔という日本を代表するジャズピアニストのトリオが、博多でコンサートを行い、ホテルで打ち上げをしていたら、ひょっこり入ってきた男がとんでもなく面白かった。帰り際に名前を聞くと「森田と申します」と言って去っていったという。

その男がいかに面白かったのかを、山下は馴染みのバー「ジャックの豆の木」で何度も話していた。いつしかその話は「伝説の九州の男・森田」となってバー全体が共有する話題となっていった。

ちなみに当時の常連は、山下洋輔に、師匠筋に当たるジャズ評論家の相倉久人、赤塚不二夫、南伸坊、筒井康隆らがいた。

ある時、いつものように森田の話をしていると「じゃあ、みんなで金を出し合って、そいつを東京に呼ぼう」と誰かが言い出して、お店の中で帽子を回してカンパを集めたという。そして、博多のジャズ関係者に「森田という人間を知っているか」と聞いたら、タモリにたどり着き、そのカンパを旅費にして、上京してきたのが、素人時代のタモリだった。

ぼくは相倉久人さんから個人的に、当時の話を聞く機会があった。相倉さんは、このタモリが上京する時にも立ち会っている。

店にやってきたタモリは、四か国語麻雀や片言の牧師、五木寛之、寺山修司、イグアナの物まねなど後にテレビでも披露するネタを展開した。

だが、そこに集まったのは当時の一流文化人である。ただ、タモリが持ちネタをやるのを見ているだけじゃ物足りない。物まね中のタモリに誰かが声をかける。

「そこで雨が降り出した」

すると、タモリはいかにもその人物が言いそうなセリフでストーリーを変化させていく。

「その瞬発力、反射神経に驚いた、あれはジャズのアドリブと一緒。タモリはジャズ研究会にいたし、トランペットも吹いていたから、ジャズで磨いた感性だろう」と相倉氏は語っていた。

この頃のタモリの芸は「密室芸」と呼ばれている。なぜ密室なのか、それは表には出せないからだ。

実はタモリは上記のレパートリーに「天皇ネタ、全裸芸、下ネタ」を組み合わせるのが得意だったという。

具体的には四か国語麻雀に昭和天皇が登場したり、イグアナの物まねを全裸でやったりしていたのだ。

徹子の部屋で披露したネタである「色々な国のベッドシーン」も徹子の部屋では最初の方で止めていたが、その先もあっただろう。

上京して爆笑をとったタモリに対して赤塚不二夫は「おまえ、面白いな!家はあるのか、ないんだったら俺の家にいろ」と言って、自らの家にタモリを居候させた。

タモリは売れっ子漫画家である赤塚の家に住み、夜は新宿の「ひとみ寿司」に行き、文化人たちを相手にネタを披露し続けた。

やがて、文化人が様々なメディアで「タモリ」を語ることによって業界内で「タモリとは何者だ?」となり、いよいよテレビデビューすることになる。

テレビ東京や深夜番組などから、テレビに出るようになったタモリ。

活躍の舞台をテレビに移したタモリに対して山下洋輔は「スペシュウム光線を出せないウルトラマンのような状態でどう戦うのか」と語っており、密室芸時代のネタのほとんどがテレビで使用不可だったことを暗に語っている。

やがてタモリは、司会者としての才能を発揮し、独自のポジションを確立していった。

そんなエピソードを思い浮かべながら、ちょっと待てと。タモリはこのままある日死ぬのかと思う。

その必殺技をテレビで見せてないぞ。地下バトルで全勝だった頃のタモリは口伝でしか伝わってないぞ(俺だってやばすぎるのは書けないぞ)。

タモリのもつネタの多さ、瞬発力、鉄壁の守備力、さらにテレビ未公開の密室芸時代の全裸芸は、ち●こオッケーなドキュメンタルでこそ活きると思う。

ああ、見たい。タモリとザコシのバトル。もう前半で全裸でいいから。泥試合でいいから見たい。ロッカーみたいなところで、片言の牧師の準備をするタモさんが見たい。

伝説だけで考えれば、タモリこそ、ドキュメンタルの皇帝になるべき人物ではないか。

「大木凡人芸能人最強説」のような都市伝説にならないか心配だが、タモリがドキュメンタルに出ればまさに最強だと思う。全盛期なら本当に3冠ぐらい余裕だったはずだ。

いま「人から褒められたい」と言い出した彼が果たしてドキュメンタルに出るのかー――。いや、出ないだろう。

ザコシが最強の時代が当分続くだろう。だからあえて言いたい。「密室芸時代」のタモリがいたら、どうだったろうねと。そのあり得ないバトルを心待ちにしながら、ぼくはドキュメンタルの続きを見続けるだろう。

おまけ徹子の部屋のタモリ

]]>
https://kinakonan.com/zakoshi/feed/ 0
連休中に一気見したいオススメのマンガと映画、海外ドラマ https://kinakonan.com/renkyu/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=renkyu https://kinakonan.com/renkyu/#respond Thu, 25 Apr 2019 23:21:54 +0000 https://kinakonan.com/?p=2794

漫画

ブルージャイアント

いま連載中のマンガの中では群を抜いて面白いと思う。ジャズが大好きな青年がサックスを覚えて、世界へと羽ばたいていく話。ジャズの話はほぼ出てこないので、ジャズに詳しくない人も楽しめる。


国内編の「ブルージャイアント」と、外国編の「ブルージャイアントシュプリーム」があり、ブルージャイアントが先になる。漫画喫茶で読んでもいいし、買うなら一気に買うことになることを覚悟して読み始めた方がいい。

キングダム

もしも読んでない人がいたら幸せな人だと思う。これからキングダムを読めるなんて。連休中にぴったりの手が止まらなくなる漫画。中国の話だけど、背景とかは全く関係なく、一人の少年が戦国の世で成り上がっていくストーリー。友情とか戦略とか恋愛とか、色々あるけど、とにかく熱い。もう感情移入が止まらない名作。

弱虫ペダル

スラムダンクシステムもここまで来たかと思う。つまり、部活に入ったへなちょこが実は才能があって、どんどん全国で有名になっていく話。自転車でタスキのようにリレーを繋ぐのが、また良いストーリーを生むんだわ。スラムダンクが主人公、仲間たちの物語、ライバルの3本柱で構成されているとしたら、弱虫ペダルは、それを3倍ぐらいきっちり描いていく感じ。ストーリーも丁寧で、展開も上手い。そりゃ有名になるわけだ。

火の鳥

AI時代が本格化してくる今こそ読み返したい名作。ロボット、不死、宇宙、ぜんぶ手塚が先に書いているのだ。そんな未来編も大好きだが、やっぱり5巻の仏像の話が好き。改めてKindleで読み返すと、本当に一人の作家がこれだけ壮大な物語を書けたことに驚嘆する。やっぱりこの人は天才だし、日本の宝だと思う。

ドラマ



空飛ぶ広報室

アマゾンプライムビデオ にあった、ガッキーと綾野剛のドラマ。脚本は「逃げ恥」の野木亜希子さん。いままで見た中でベスト3に入る連続ドラマ。ガッキーはかわいいし、綾野剛はかっこいいし、ムロさんも要潤も柴田恭兵もみんなかっこいい。自衛隊とテレビマンの物語なんだけど「あ~綾野剛苦手」とか、そういう先入観関係なく、とにかく見て欲しい名作。

王様のレストラン
こちらはフジテレビオンデマンドにある、三谷幸喜の最高傑作。レストランを舞台に、繰り広げられるシチュエーションコメディ。場所が固定されている中で、毎回トラブルが起こり、みんなが右往左往する、という話。主役は山口智子で、松本幸四郎が良い味を出している。5回だろうが、50回だろうが楽しめる、繰り返しに耐えうる作品。先日、霜降り明星が「プロジェクトX」を知らなかったという話を聞いて驚いてしまったが「王様のレストラン」を知らない人がいるのかもしれない。もしも、未見ならぜひ見て欲しい名作だ。

海外ドラマ

ネットフリックス

ストレンジャーシングス

一時期ネットフリックス=「ストレンジャーシングス」と言われるぐらい人気のあった作品。SFなんだけど、80年代名作映画へのオマージュが素晴らしくアラフォーぐらいには感涙ものの作品。子どもが行方不明になって探す作品なんだけど、シザーハンズに出ていた、ウィノナライダーがやっているお母さんだけが、正解にたどり着いて、みんなが騙されていく。志村うしろ、うしろ的な世界にハラハラが止まらない。海外ドラマ史に残る作品。一気見にぴったりだと思う。

セックスエデュケーション

お母さんが、セックスセラピストの息子が、クラスの不良娘と組んで、学校の生徒たちの性の悩みを解決していく物語。性の悩みを主題にした作品というのが珍しいけど、確かに最後の聖域というか、みんな悩んでいるんだなぁとつくづく思う。この作品が海外でも評価が高い理由は、不良娘と主人公のラブストーリーや、主人公とゲイの友人との友情物語など、性の悩みというテーマを通して、近年稀に見る上質な青春ドラマに仕上がっている点にある。特に第5話はオススメ!

ホモサピエンス全史とホモ・デウス

連休中の一気見におすすめなのは、こちらの本。人類の歴史から未来まで、手垢の付いた表現ではなく、AIが勃興する直前の今の視点で、読み直した作品。目からうろこが何枚落ちたか分からない。ホモサピエンスがなぜ地球の王様になれたのか。道具を使えたから、火を使えたから、それだけじゃない。結局人類は、神話なり、宗教なりの物語を語ること、そして、その物語を大衆に信じさせることで、他の動物の頂点に立った、という話が、確かにそうかも~となった。個人的には未来編のホモデウスの方が好き。

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

オードリーの若林の本。タイトルの通り、飼いならされて肥えて生きていくのか、野生のままに自由に生きるのか。キューバ旅行を通して問い続ける話。ホモ・デウスとも連動するのだが、僕らの欲望は本当の欲望なのだろうか、海外に行って色々な経験をすれば人間が大きくなる、という誰かの物語を信じ込まされているだけなのじゃないか。そういう世界とは無縁のキューバで、若林が感じたことは、日本人全体が身につまされる話。ようするに僕らは便利になったけど、幸せになってない、という話だと思う。

ということで、一気見におすすめの作品を並べてみた。

別に、梶原一騎三部作の「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」でもいいし、海外ドラマなら「ウォーキングデッド」でも「プリズン・ブレイク」もありだと思う。アマゾンで「万引き家族」を見るのもありだ。あれは名作だ。

とりあえず、連休は家にいるのが正解だと思う。

]]>
https://kinakonan.com/renkyu/feed/ 0
落語家の真打披露パーティーは何をやるの?行ってきたのでその様子を書いてみる https://kinakonan.com/shinuchi/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=shinuchi https://kinakonan.com/shinuchi/#comments Tue, 23 Apr 2019 23:31:23 +0000 https://kinakonan.com/?p=2775

二つ目時代から仲良くしている落語家がいる。

その人が真打になる、ということで「パーティーにぜひ」という招待状が届いた。

面白そうなので行ってみることにしたが、よく考えたら真打披露パーティーって何やるんだ? 式次第が予想がつかない。そもそもご祝儀はいくら持って行くんだ、どんな人が来るんだ? 全く知らない。

ネットで「真打披露パーティー ご祝儀 相場」など調べても出てこないのだ。あまりにレアケース過ぎるのかもしれない。もう本当に探り探り行ってきたので、その内容をまとめてみたいと思う。

落語家とどこで出会うのか

そもそも落語家とどのように出会うのか。たまに聞かれるので流れを書くと、僕の場合はmixiだった。

流れとしては以下の感じだ。

新宿末広亭の深夜寄席に何度か足を運ぶ

圧倒的に上手い人がいる

検索したらmixiにいたので「面白かったです!」とメッセージを送る

今度「勉強会にぜひ」と言われる。

勉強会ってなんだろう、受験生かな、と思いながら、恐る恐る行ってみたら、勉強はそっちではなく後輩が先に舞台に出る時に「勉強させていただきます」というニュアンスと一緒で「修行中だけど、落語会をやってみる」的なものらしい。

これが1000円ぐらいで、3席ぐらいやるので、けっこう楽しめる。

内容的には、落語1人+ゲスト1人(同期か後輩)あと受付1人とか、そんな感じだ。

場所は落語協会の2階だったり、小さなライブハウスみたいなところだったりする。

これが終わると「打ち上げ行く人~」という呼びかけが落語家からある。

そこに参加して恐縮しながら「あのネタ面白いですね。オリジナルですか?」とか話しかける。

それを2、3回やると向こうも顔を覚えてくれる。さらに落語家は二つ目時代はヒマなので二人で飲みに行ったりもできる。

僕は周りに「落語が聞きたい」という友達がいたので、家が広い人のところに20~30人ぐらいを集めて、一人1000円もらって落語会を定期的にやっていた。

何度か話してて分かってきたのは、落語家は「贔屓かブレーンが欲しい」ということ。

落語界というのは、基本年寄りの世界なので、20代の定期的に自分を見ている人の意見というのは、貴重なのだろう。非常に耳を傾けてもらえた気がする。

一方で贔屓というのも確実に存在する。

例えば、真打披露の時に落語家が150万ぐらいする着物を着るとする。それを用意するのは本人ではない、贔屓筋なのである。贔屓の人が10万×15人で払ったりするのだ。

それは真打の人が登場した勉強会で言われた。

「この後輩をご贔屓くださり、ありがとうございます。彼はあと8年で真打になります。どうかみなさま、月1万円でも貯金していただき、真打になった時にお祝いをあげてください、よろしくお願いします」と言われたのだ。

ここにいる人は、そういうお願いの対象なんだ、と驚いてしまったが、芸能の世界はそういうものなのだ。「あいつの帯は俺があげたやつだよ」という自慢のために何百万払う人がいる世界なのだ

ということで、落語家は、勉強会、打ち上げを繰り返しながら、花魁のように贔屓を増やしていく。しかもできるだけ太いお客をつかまなくてはいけない。落語が上手いだけでは「我が暮らし楽にならず」なのだ。

誰の話をしているのか

今回のテーマで行くと、誰か、というのはあまり重要でないのだが、いちおう書いておくと、鈴々舎馬風一門の、鈴々舎馬るこ師匠のことである。

師匠の馬風さんというのは、人間国宝になったおにぎりみたいな顔の柳家小さん師匠の弟子で、当時は談志も弟子だったので、鈴々舎は立川流とも仲が良いという珍しい一門になっている。

馬風さんの落語は一回しか見たことが無いが、ひたすら身内の悪口を言って帰っていった。でも、この悪口と言うのが、まぁ面白い。こんな面白い悪口が世の中にあるのか、というぐらい笑った。もともと「上の人が死んだら、俺が落語協会の会長になる」という「落語協会会長への道」を歌っていた人だから、シャレがきついタイプである。いわゆる寄席キング的な、場の空気を全部持って行く圧倒的な爆笑王である。

馬るこさん(こう呼んでいたので、ここからはこの呼び方で)は、この人の弟子だった。馬るこさんは当時いた二つ目の中で、僕が見る限り、飛び抜けて上手かった。あと、オリジナリティがあった。僕が見た時は「イタコ捜査官メロディー」というネタをよくやっていた。これが好きだった。

あと勉強会では「ジョジョの奇妙なちりとてちん」とか「ライオンキング息子」など、現代的な改作が多かった。

落語以外に、寄席でいきなり「今日結婚します!! 婚姻届投げるので受け取った人結婚してください」と言い出して、客席に投げたらおっさんが受け取って場が変な空気になる、とか、そういう破天荒なことをやる人だった。

だが、ある時から本格派になっていった。

その変化があまり面白くなかった僕は、ある飲みの時に「昔のジャンプネタとか好きでしたけどね」と言ったら「寄席に来る人はその層じゃないんですよ」と言われて納得したことがある。

そう、落語のボリュームゾーンは60代以上であり、そこをターゲットにした落語に切り替えるのは正解なのである。

ということで、ターゲットを変えてNHK新人賞もとって、笑点にも若手として出るようになった。若手の中では注目株ぐらいまでは来ていると思う。

ちなみに、僕がこの人すごい!と思った点は次の2点になる。1つは音の良さ。落語は物語ではあるが、一方で江戸弁の世界、耳に気持ちが良い音を味わうものでもある。心地よい落語のリズムというものがある。その音としての落語が馬るこさんは飛び抜けて良いのだ。これはたぶん三味線をやっていたからだと思う。

もう一つは、くすぐりのセンスの良さ。くすぐりとは、落語の合間に入れるギャグのことだが、馬るこさんは「ジブリネタ」とか「芸能ネタ」など旬な話題を入れるのが上手い。そのチョイスも秀逸だ。

人柄は大人しい。基本静かな人である。だが、その中でもたまに覗く狂気と計算高さがある。計算高いと言うと、悪い印象を受けるが、マーケティング分析的な計算の高さであり、いまの場の状況と自分と未来をきっちり計算できる人だった。

そんな馬るこさんから招待状が届いた。

ちなみにこれは2017年3月の話である。すぐ書くのは色々影響あるかもと思って寝かしておいた。

真打披露公演に行ってみた

ご祝儀については、事前に本人に聞いてみると「結婚式と同じぐらいで」と言われた。

会場は新宿のホテルの大ホールだった。服装も結婚式ぐらいのフォーマルな感じで行ってみた。

会場のある階につくと、受付があって5人ぐらいの女性が人がささっと処理してくれる。

芸能人がいっぱいいる、とかそういう世界ではない。法被を着た一門の若手の落語家と、知らないおじさん、おばさんが集まっていた。

入口に行くと、馬風さんと、馬るこさんが出迎えてくれた。中に入ると、200人は入るであろう体育館のような大きなスペースである。番号が書かれた席に座る。本当に結婚式みたいだ。周りには知らないおじさん、おばさん。

そして、結婚式のように料理が運ばれてくる。フランス料理だろうか、なかなか美味しい。

ここからは記憶を頼りに過剰書きで進める。

ちなみに馬るこさんは、中央線に住んでおり、あの辺の知り合いが多い。中央線の高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪あたりはライブハウスやイベントが多く、そこで活動しているアーティストはいっぱいいる。ローカル地下芸人と言っても良い。そういう人も来ていた。

  • 周りに知らない人が多いのは、勉強会などを通して知り合った贔屓の方だから
  • 正面にエイベックスのでかい弾幕があった。これは馬るこさんがエイベックスからCDを出しているから
  • 山口出身でそこで落語会をしたり、ラジオとかも出ているので、その辺の関係者も来ていた
  • 真打披露パーティーと言っても落語をするわけではない。
  • 鏡割りは山口だから獺祭。
  • 結婚式のように、おかみさんと落語家が各テーブルを回って写真を撮る
  • 中央線沿線で活躍する芸人さんが二組ぐらい登場、各30分ぐらいけっこうがっつりやる。ぜんぜんテレビとかで見たことないけど、かなりシュールで面白い。
  • 元たまの石川さんが登場(中央線でお店やっている)。さよなら人類を歌う(個人的に一番盛り上がる)。
  • ドクター中松が車いすで登場。自分の宣伝して帰っていった(この年の後半に亡くなる)。
  • 落語会からは小さん師匠(小さん師匠の息子さん)が登場。
  • 新宿末広亭の席亭も登場。彼は素晴らしい落語家だ!と語る
  • 若手時代から落語会を開いたり、色々と支援していた寿司屋の大将が登場して良い話をする。

なによりも印象に残ったのがおかみさんの挨拶だった。普通は師匠の挨拶だが、馬風師匠が「馬るこは俺よりもおかみさんだ」とおかみさんが挨拶に立つことになったのだ。

「この子は最初本当に汚れたTシャツ着てて、頭もチリチリで」という出会いから、だんだん一人前になって、今では師匠孝行をしてくれるという立身出世話を涙ながらに語り、思わずこちらももらい泣きしてしまった。

馬るこさんの名前の由来は、母を訪ねて三千里のマルコから来ている。幼い頃に母親が馬るこさんを置いて「ちょっと行ってくるね」と橋を渡って行ってしまって、それ以来会えない、という切ない話があり、それを聞いたおかみさんが「お前はマルコだね、馬るこにしよう」と名付けてくれたという。通常落語家は前座、二つ目、真打と名前を変えるタイミングがあるが、馬るこさんは改名せず、真打になっても馬るこで行くことにした。その理由は今も「母を訪ねている」からだろう。

そんな馬るこの名づけ親であり、東京のお母さんとしてのおかみさんの深い愛情を感じたスピーチだった。

そして、真打披露パーティーというのは、落語家にとって前座で3~4年、二つ目で約10年という長い長い修業が終わる、卒業式なんだと、おかみさんの涙を見ながら思った。

こうして約2時間半のパーティーが終わった。ここから半年ぐらいは、各寄席でトリを取らせてもらえる真打披露興行があるが、その後は実力とヨイショの世界となる。

その点、馬るこさんは末広亭の席亭との飲み会で「深夜のカラオケで必死にタンバリンを叩いた」結果、トリを務めるなど、順調に足場を固めている。

後は上の方がだんだん減ってくれば、活躍の場が広がるだろう。

ということで、真打披露パーティーについて書いてみた。これが一般的かは分からないが、ざっくり書くと、偉い人挨拶→余興している間に席を回る→鏡割り→師匠のあいさつという流れになる。

お祝いの3万円と言う金額が果たして合っていたかは分からない。末広がりとか、なんかにかけた方が良かったかもしれないな、と後から思った。

いやぁ~貴重な経験だった。色々なところで話したので元を取った気がする。

もしもあなたが急に真打披露パーティーに呼ばれた時の参考になれば幸いである。そんなことあるかは知らんけど。

]]>
https://kinakonan.com/shinuchi/feed/ 1
メキシコ版「ドキュメンタル」は何故つまらないのか? https://kinakonan.com/mekishiko/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=mekishiko https://kinakonan.com/mekishiko/#respond Tue, 23 Apr 2019 12:54:36 +0000 https://kinakonan.com/?p=2767

ドキュメンタルを全部見ている僕が、メキシコのドキュメンタルを見たらつまらなかった。

なぜだろう。もちろんみんな知らない人だ。でも、登場シーンは面白かった。

日本と同じように、一人ずつ登場するのだが、ドアが開くたびに太ったお姉ちゃんとか、ゲイの人とか入ってきて、そのたびに「まさか、あいつかよ!」なんて感じで驚く百戦錬磨のコメディアンたち(知らんけど)。

メキシコの松本人志みたいな人が「彼は本当にクレイジーだ」みたいなことを言って煽ってくる。この辺は面白そうな空気がプンプンしていた。

でも、ブザーが鳴って始まったら第一声が「うんこ」で嫌になってしまった。

2回笑って最初に退場になった女性は、男の芸人がパンツ一丁で登場して、その男のパンツを下げてお尻が見えて思わず笑う、というレベルの低さ。クレヨンしんちゃんかよ、という世界だ。

エピソード2まで見たけど、もう無理だった。笑えない。笑いのレベルとか、その人を知らない以前の問題がある気がする。

もっと深い、笑いの本質にかかわる話が、たまたま日本とメキシコで同じフォーマットなために露呈した気がするのだ。

笑いを生むとは何か?

笑いについて分かりやすく説明するために、漫才とは何か?の話をする。

漫才は、一人が間違える、もう一人が正す、これで笑いが生まれる。

けさ顔洗ったら、わかめが付いちゃって

え?どうして

みそ汁で洗ったから

なんでみそ汁なんだよ!

で笑いは成立する。

この背景にあるのは、顔を洗う=水かお湯という共通認識があって、初めて間違えだと気づくことができる。

メキシコのドキュメンタルは、出だしからきれいめな女性が「腋のにおい嗅ぐ?」みたいな攻め方で来ていた。男が嗅いで、今度は「俺のも嗅いで」「いいわよ」「う~ん、ライオンの匂い」とかやっていた。

もう上手く飲み込めない。安い塊肉食べた感じだ。ガジガジ噛むけどいつまでも飲み込めない。

もちろんボケを1個1個取り出して、どうこう言うつもりはない。

でも、最初の漫才の例で出したところの「共通認識」というのが彼らとは噛み合っていないのだ。

僕らは「日本人なら教養として知っておくべき基礎知識」を元に笑いを生み出しており、メキシコ人は「メキシコ人なら教養として知っておくべき基礎知識」を元に笑いを構築する。

それは日本のお盆ならきゅうりとナスに割りばしをぶっさして・・みたいのと、メキシコのガイコツ祭りの違いのように、お盆と言われて見える景色が違うことに由来するのだろう。

だから、「腋の匂いを異性に嗅がせる」というボケは、僕のお笑い辞書に載ってないが、彼らの辞書には載っているのかもしれない。

メキシコ人の笑いの中で「ああ、アルゼンチン人はそうだからね」というのがあったが、僕らはアルゼンチン人がどんな性格かを知らない。そういう背景を共有していない、というのがつまらない理由の一つ目だろう。

キャラクターとギャップ

2つ目はキャラクターとのギャップで笑わせている、という手法が通じない点にあると思う。

日本人が日本のコメディアンを見て笑う時、そこには人物の基礎知識がある。クロちゃんならキモいとか、くーちゃんならイカレてるとか。キャラクターがあって、そのうえで「こいつがこんな事いうのか」というギャップで笑いが生まれたりする。

例えば、日本人以外だと、モーガンフリーマンが「トゥース」を全力でやれば面白いだろう。

でも、それはモーガンフリーマンは、渋めのおじいちゃん、という共通認識があるから笑えるのだ。

誰一人知らないメキシコのコメディアンは、パブリックイメージを知らないから、そこからのギャップで笑わせるというのが、僕らには通じないのかもしれない。

日本人のお笑いは高度なのかもしれない

ということで、

1、共通の背景
2、キャラクター

という2つがあって僕らは笑っている。もちろんそれで100%ではないが、60%ぐらいはそれで成立していると思う。

それがメキシコ人だと分からないから笑えないのでは、というのが僕の仮説である。

ただ、もう一つの可能性として、日本の笑いはガラパゴス化して高度に発達したのでは、という説もある。

この理由は、メキシコ版の松本人志的な人の笑うポイントを見ていて思った。

ドキュメンタルは、笑ったら負けなルールなので、参加者は基本笑わない。そんな時、道しるべになるのが、松本人志が笑うかどうかである。

メキシコ版では、この松本人志的な「伝説のコメディアン」が笑うポイント(向こうの人にとって面白いと思うポイント)が、やっぱりつまらない。

もっとはっきり言えば笑いのレベルが低いのだ。メキシコの上沼恵美子的なおばちゃんは、序盤で頭に男性器が乗った帽子をかぶってくるし、話をしてても、あそこがでかいの、小さいの、そんな話ばっかり。

ドキュメンタルだと、秋山とケンコバの中国エステという爆笑ネタがあるが、そういうコンビネタは無い。裸、うんち、性器、ゲイいじり、そんな話ばっかりなのだ。子どもか、となる。

じゃあ、本家のドキュメンタルがどこまで面白いんだ、という問題はあるが、少なくとも後半破綻する前の序盤は面白い。

とはいえ、この話題に結論が出ることはないだろう。フォーマットが同じだから浮き彫りになった、という話で終わりなのだ。

だが、もしも決着をつける方法があるとすれば、メキシコ人の中に例えばジミーちゃんを入れる。

もっといえば、各国の一番面白い人を集めて世界戦を開くという手がある。

この場合、言葉は通じないからアクションで行くしかない。そうなると、日本代表は見た目でいけるくーちゃんか、英語が通じる厚切りジェイソンかパックンか。

多くのコメディアンにとって言葉が武器である以上、世界一決定戦は難しいかもしれない。

でも、失敗に終わっても日本の笑いが世界と戦う場をぜひ見たい。けっこう日本はレベル高い気がする。

いや、ひょっとしたらメキシコが世界的に見て圧倒的にレベルが低い可能性も残されているけどね。

怖い物見たさで見たい人はアマゾンプライムビデオ でどーぞ。

スポンサーリンク
]]>
https://kinakonan.com/mekishiko/feed/ 0
きみは悪魔の書「ホモ・デウス」を読んだか? https://kinakonan.com/homodeusu/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=homodeusu https://kinakonan.com/homodeusu/#comments Wed, 17 Apr 2019 16:06:39 +0000 https://kinakonan.com/?p=2755

「ホモ・デウス」という本をご存知だろうか。

2017年にベストセラーになった「サピエンス全史」の人が書いた、人類の未来についての本である。

タイトルの通り、人間(ホモ・サピエンス)はこの先、神(ホモ・デウス)になる、という、未来について書かれた本だ。

人類はもはや、疫病も、戦争も克服し、ようやく一息ついた。次に向かうのは死なない研究だ。

そして、そのためにはAI、ビッグデータ、バイオテクノロジーを組み合わせることで、人類は進化していくだろう、ということが書いてある。

その先にある未来はなんだろう。そもそも人間が想像していた神とは何か。

試しに神話などから挙げてみると

・神は動物や人間などの生物を作った
・神は死なない

という2点が挙げられる。

これから人間は遺伝子操作で生き物を作り出し、ガンや脳梗塞などの病にAIを使って打ち勝つことで、事故など以外で死ぬことは無くなるだろう。

それってもはや神じゃない?ということが書いてあるのだ。

もちろん全ての人が神になるわけではない。神になれるのはスーパー富裕層だけである。

じゃあ、それ以外の人はどうなるのか「無用階級」となる。なぜなら仕事はAIがやってくれるから。


本書の中ではこう書いている。

私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。
社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々だ。
この無用者階級は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。

この本の本質的な問題

話だけ聞くと、眉唾ものの、かなり飛躍した内容があるように感じる。

でも、じっくり読めば分かるけど、この本は世界で行われている実際の実験結果などを示しながら、かなりていねいに論を進めている。

だから読んでいると「嘘だろ」とは思わない。ああ、なるほど、この研究はこの未来につながるからこうなるね、と納得しながら読み進めることができるのだ。

例えば、先日、日清が培養肉を作った、というニュースがあったが、それがこういう未来につながる、ということが書いてあるのだ。

僕らは個々のニュースは見ているが、その点をつなげて線にして絵にして見せてくれる人がいなかった。

本書はそれを絵にして見せてくれたのだ。あの実験の成果でこうなるぞと。

僕は読みながら思わず「これ悪魔の書だろ、公開しちゃだめだろ」と口に出していた。

そして、同時に気づいた。これだけ決定的に未来を書いているのに、ほとんどの人は読んでいないのだと。

本を読む人は驚くほど減っている

この本で書いているのは、貧富の差なんてものではない。二極化する未来である。

神になる人と、無用になる人に世界が分かれる、と言っているのだ。

でも、そういう衝撃的な本を読むのは、残念なことに金持ちなのだ。

貧困の再生産という言葉がある。貧困家庭の子供はまともな教育を受けられずに貧困になる、という話だ。

この本は世界中で売れているが、貧困層や、知的好奇心が高くない人は、読まないだろう。

富めるものはさらに富み、そうでないものは何も知らずにAIの活躍を見続ける未来。

僕だって読んだけど、何ができるわけではない。でも、予防はできる、無知ではない、という気持ちでいる。

知的好奇心を刺激する本

という感じで気になる点を書いていったが、そもそもこの本は知的好奇心をとんでもなく刺激する。

例えば、性行為の後に男性が「どうだった?」と聞くけど、あれはもう不要だ。これからは特別なベッドを使えば、女性の汗の量などを測定し、本当に良かったのかを壁のパネルに通知するキットが出てきている、など、まじかよ!という話がそこかしこにある。

特に僕が好きなエピソードは、猿の実験の話だ。

まず檻に1匹ずつ猿を入れて、それを2つ並べる。ボタンを押すときゅうりが出てくるので、2匹はそれぞれボタンを押してきゅうりを食べる。彼らは満足そうだ。だが、ある日、1匹の猿だけぶどうも出てくるようになった。すると、きゅうりで満足していた猿がブチ切れて「俺にもぶどうを食わせろ!」と抗議するようになったという。

つまり、幸せとか、満足は、相対的なものであり、自分が「隣のやつより」幸せかが大事なのだ。

そんな本能が埋め込まれた僕らは、いったいどうやったら幸せになれるだろうか。

こういう、思わず深く考えてしまうエピソードが豊富に出てくるのだ。

ちょっと話が逸れるが、日本中に図書館や公民館ができたのは、戦後である。それは戦争の反省として「我々はあまりに無知だった、何も知らなかった」というのがあり、学ぼうということで、それらの施設が全国に作られていった。

でも、いつしか本を読まなくなり、ネットでなんでも分かったような気になっている人が増えた結果、このような素晴らしい本を読む機会が減ってしまったのだ。本当は「ダヴィンチコード」ぐらい売れるはずの本なのにだ。

そして、改めて問わなくてはいけない。インターネットが普及し、スマホを持ち、AIに仕事が奪われる、再生医療が始まる、と言っている時代に僕らは本当に知識を得ているのだろうか。なし崩し的に便利な方に世界は変わっていくけど、このままでいいのだろうか。

人類の未来を知りたいなら、この本に書いてある。僕らはもう最終局面に来ているのだ。

ちょっとでも興味がある人、知的好奇心の高い人は、読んでみることをお勧めする。絶対にハマるはずである。

]]>
https://kinakonan.com/homodeusu/feed/ 1
いま最強のライブバンド「思い出野郎Aチーム」を語る https://kinakonan.com/omoide/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=omoide https://kinakonan.com/omoide/#respond Tue, 16 Apr 2019 22:24:51 +0000 https://kinakonan.com/?p=2750

先日終了したドラマ「渋井直人の休日」のオープニングテーマを歌っていた、思い出野郎Aチーム。

かつて星野源が所属していたことで知られるレーベル、カクバリズムの注目株のアフロソウルファンクバンドである。

先日彼らのライブを見たらかなり凄かったので、その感想も含めて彼らの魅力を書いてみようと思う。

かっこいいファンクとダサい歌詞にしびれる

ファンクという音楽は、耳よりも体に直で届く。つまり、体が自然に動いてしまうのだ。

見た感じトランペットなどの金管楽器が多く「スカパラ」みたいだが、全員がジャージを着て、ヴォーカルの人が髭が生えた「銀シャリ」みたいな感じだからか、見た目はユーモラスだけど、演奏がカッコよい、というギャップ萌え感のあるバンド。

彼らの音楽の特徴は、思わず体が動くほど、かっこいいイントロと、ダサい歌詞とのギャップだと思う。同じフレーズの繰り返しが多いので歌詞はすぐ覚えてしまう。

アホな友達

楽しく暮らそう

すげぇ自由 朝まで

今夜ダンスには間に合う

フラットなフロア

など、まるで昔流行った「王様」みたいに曲はかっこいいのに、歌詞がダサい。でも耳に残るから、みんなで大声で「アホな友達!」「楽しく暮らそう!」って歌ってしまうのだ。

世の中には耳障りは良いけど、心に残らない歌詞というのがある。

彼らの曲はその逆で、歌詞で使わないワードで攻めてくる。しかも繰り返す。ダサい。でも、演奏かっこいい。気づいたら虜になっているのだ。

多摩美で結成される

彼らのプロフィールを見ると以下のようになっている。

2009年の夏、多摩美術大学にて結成された8人組のソウルバンド。
2015年、mabanuaプロデュースによる1stアルバム「WEEKEND SOUL BAND」をリリース。
2017年、カクバリズムに移籍し、2ndアルバム「夜のすべて」を、2018年には1stEP「楽しく暮らそう」をリリース。
NHKの子供番組「シャキーン!」への楽曲提供、ドラマ「デザイナー 渋井直人の休日」のオープニングテーマ担当や、メンバーそれぞれがDJ活動を行うなど、多岐にわたって精力的な活動をしている。

そう、センスが良い人が集まることで有名な多摩美の子なのだ。とてもそうは見えない揃いのジャージ姿。あとボーカルの高橋一さんはトークも上から目線ではなく、等身大で軽妙な感じが心地よい。みんなで盛り上がりましょう、みたいな感じだ。僕は「行くぜ、みんな」みたいなノリが苦手なので、特に好きなのかもしれない。

この先の思い出野郎Aチーム

果たして彼らはブレイクするのだろうか。

すでに2019年のフジロックへの出演は決まっている。ライブを見た時にあまりにみんなが盛り上がるので「フェスに合うタイプだな」と思ったが、すんなりというか、見ている人は見ているようで、きっちり選ばれている。

こういうトランペットが入るダサかっこいい感じのバンドは、いま空白地帯なので行ける気がする。

だが、Youtubeやサブスクリプションの影響で、売れなくても食べていける人たちが前よりも増えてきていると思う。

売れる=バカにばれる、だとすると玄人筋で人気ぐらいのポジションでもいいのかもしれない。

でも、これだけカッコいいバンドをみんなが知らないのは勿体ないと思う。

CD以外にアマゾンプライムミュージックにほとんどあるので、プライム会員の人はぜひ聞いてみてほしい。

「夜のすべて」というアルバムがおすすめです。

あと彼らがオープニング曲「STEP」を歌っている渋井直人の休日も、派手じゃないけど穏やかで幸せな気持ちになれるドラマです。

]]>
https://kinakonan.com/omoide/feed/ 0
あの頃「フリーター」という言葉はかっこ良かった~就職氷河期時代の思い出 https://kinakonan.com/hyogaki/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=hyogaki https://kinakonan.com/hyogaki/#respond Tue, 16 Apr 2019 21:25:28 +0000 https://kinakonan.com/?p=2741

安倍政権が就職氷河期世代を正社員にしようと取り組んでいる。

就職氷河期世代とは、35~45歳ぐらいを指すそうだ。現在、40歳の僕はそのど真ん中ということになる。正社員になれなかった彼らは、やがて生活保護になる。その前に就職してもらって税金を払ってもらおうというのが意図らしい。

そんなニュースを見ながら、当時のことを思い出していた。僕らの世代が大学を卒業したのは、ちょうど2000年頃。日韓W杯が始まる前のちょっと浮ついた空気の頃だ。

不景気という言葉はあったが、現在のような諦めムードはなく、社会全体が茶髪にして少しチャラチャラしていた。

そして思い出すのは「フリーター」という言葉が「かっこ良かった」という、今となっては信じられない過去の記憶だ。

そう、あの頃、フリーターはサラリーマンというレールには乗らずに自分の人生を生きている、自由な存在だったのだ。

バイトの方が稼げた時代

いまとなっては理由は分からないが、当時はバイトの地位も今より高かった。やりがい搾取や、バイトリーダー(笑)みたいバイトに全力の人を笑う空気はなく、みんなバイトに全力投球して、下手な正社員よりも稼いでいた。

どこのバイト先にも、上手いこと力が抜けたベテランの人がいて「おいおい、最初から飛ばすと午後もたないぞ」みたいな感じで、みんなを癒してくれた。

彼らは学生時代にバイトをする、と決めている人たちではなく、「フリーター」という生き方を選んだ人たちだった。

会社員なんて、上司にペコペコしてめんどくさいのは嫌だ、そういう枠組みの外で俺はきっちり働いて稼いで、好きなように暮らすんだ、という自分の生き方を旗に書いて掲げているようなそんなかっこいい存在だった。

それは例えば、朝会社に行くサラリーマンを横目に、夜勤明けで帰ってグーグー寝たり、バーで働いて色恋沙汰を経験したりという、会社員、サラリーマン街道というぶっとい道とは違う、路地裏の踊り場のようなところで楽しそうに生きている人だった。

僕はそんな勇気は無かった。編集の仕事がしたかったのだが、雑誌が廃刊になったら職を失う、不安定な仕事だろうと思って、とりあえず失職した時のために免許を取って、ダスキンで1年働いて清掃のスキルを身に着け、喫茶店で1年働いて水商売のスキルも身に着けたうえで、業界に入った。あくまで未来に向けてスキルを得る手段としてのバイトだった。

でも、そこには「フリーター」の方々がたくさんいた。そして彼らは僕が辞めた後もずっといた。

ある人は宗教的な理由で、平日に布教活動があるため就職ができなかったり、ある人は自由を求めてずっとTSUTAYAで働いていた。きっと今もそこにいるんだと思う。もう45~50ぐらいだろう。

いま思うと、当時のフリーターという言葉の魅力と、現在のブロガーやノマドワーカーという言葉から想像するイメージは少し似ている。

いずれもサラリーマンからの解放を謳っている点が似ているのだろう。

ここではないどこかへ

ブロガーやノマドワーカーは、いま稼げても5年後にはどうなるか分からない。スキルがあれば生きていけるが、無ければどこかで働くしかない。そうなった時にずっと働いていた人より優遇されるとは思えない。きっと、使えないおっさんというポジションから始まるのだろう。それは怖い。

ブログでいっぱい稼いで、仕事を辞めてのんびり過ごす。

フリーターとして生きて、会社に縛られずに生きていく。

時代が変わっても、彼らが発するメッセージは同じだ。会社員なんて息苦しいのは辞めてしまえ、である。

その言葉は魅惑的であり、強い言葉として耳に残る。

でも、フリーターの末路が生活保護だとしたら、ブロガーの末路もそうなのだろうか。

エスカレーターに乗っている時、僕らは階段を登る人を見ながら「健康のためには歩いた方がいいんだな、歩ている人は偉いな」と思い、階段を登っている時は「エスカレーターにすればよかった、楽そうだな」と思う。

2つの人生を生きれない以上、いつも誰かを羨みながら、自分の人生を歩むしかないのだ。

あの頃見たフリーターの人たちはかっこ良かった。彼らが今さら再就職するとは思えない。

今さらさかのぼって「かわいそうな人たち」認定しないで欲しいと思う。

少なくとも僕が知るフリーターは、みんなカッコよかったし、自分の生き方に誇りを持っていた。その生き方を否定するのだけは止めて欲しい。

サラリーマンだけが正しい生き方ではない。別の道を選んだ人が誇りをもって生きれる世の中を作る。そのための法整備の方がずっと大事だと思う。

]]>
https://kinakonan.com/hyogaki/feed/ 0
絶妙な例えで人を笑わせるテクニック教えます https://kinakonan.com/tatoe/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=tatoe https://kinakonan.com/tatoe/#comments Wed, 10 Apr 2019 15:43:40 +0000 https://kinakonan.com/?p=2693

面白くなるテクニックの続編として、ここでは絶妙な一言で笑いを取る方法を紹介しようと思う。

的確な例え、「あ~なるほど、そうだね」となるフレーズに、なぜか人は笑ってしまう。

そのテクニックを身に着けるためには、経験が必要だが、まずは次のことを学ぶだけで、だいぶ笑いにつながる確率が上がるだろう。

1、イメージを限定しない

人は同じ言葉を聞いた時に、実は頭の中で見えているものが違っている。

お父さんと言われた時にそれぞれが自分の父親をイメージするように、あるいはお巡りさんと言った時に若い人を想像する人もいれば、おじさんを想像する人もいる。同じ言葉でも人が脳内で見ている光景は実に様々だ

それを考慮した時、あまりに限定したイメージを与えるのは、イメージのズレにつながるため良くない、という結論になる。

例えば、友達とビルの屋上でコーヒーを飲み、友人が空を見上げてふぅーと言ったとする。その時に言うのは

A、ボスのCMか!

B、コーヒーのCMか!

という2つの選択肢があると思う。この場合、Bを選択した方が良い、ということだ。

あまりに固有名詞が出ると、「ん?どのCMだっけ?」となってしまうので、ざっくりコーヒーのCM、ぐらいでいいのである。

人が頭でイメージする絵はそれぞれ違う。その前提のうえに、大きめの網を投げることが大事なのだ。

2、世代を考える

僕が例えを言う時に気にしているのは、そこにいるメンバーの「世代」である。

例えば行列があったとする。40前後ぐらいであれば

A、ドラクエか!

というフレーズが響くが、年代が若ければ

B、タピオカか!

の方がハマるだろう。

僕は若いメンツといる時は、すぐ「あれ、タピオカか!」と言っている。

逆に年代が80代で行列を一緒に見たら

C、配給か!

が響くかもしれない。

この話で一つ参考になるのが、サンドウィッチマンがチョコをくれとしつこい富沢に「米兵か!」と伊達ちゃんが返した時、スタジオで笑ったのが、黒柳徹子だけだった、というエピソードだ。

年代によって例えを変えるべき、という時に、ぜひこの話を思い出してもらえればと思う。

3、性別を考える

万人に受ける例えが一番良いが、本当に受けを狙うなら、性別も意識する必要がある。

この場合、男性だから分かる例え、女性だから分かる例えをストックしておくことが重要だ。

例えば

男性・・・エロ本を隠れて読んでいた過去がある、エロい動画を隠れてみている、基本エロいことで動いている
女性・・・同性に厳しい。洋服屋の店員が「私もそれ持ってます」と言うとイラつく。マウンティングに敏感。インスタが大好き、という特徴がある。

そういう性別特有の行動や心理をストックしておくのだ。

一番わかりやすいのが、女性に「いくつですか?」と聞いて「いくつに見える?」という返しだろう。たいてい3つぐらい下を選ぶだろうが、僕はもう10歳は下に行くようにしている。あれは正解を当てて欲しいわけじゃないのだ、「いくつですか?」と聞いたものへの罰なのだ。極刑なのだ。そのつもりで思いっきり若く言うのが礼儀なのである。

4、その人との距離でボケのピントを変える

これは親友と初対面が分かりやすいと思うが、親友は情報が多いし、一緒に経験したことも多い。そのため、かなりピントが合ったフレーズも通じる。

例えば、「中学校時代の三上先生かよ!」なんて他人が聞いたら分からないフレーズが刺さったりする。

この身内だから分かる笑いを推し進めてしまうのが、よくある「女子高の面白い女のコがテレビに出た時の痛さ」だと思う。

たまにこの身内で面白いと言われている子がそのままのノリで攻めてくる時がある。そういう場合はきっちり黙殺する。その人のために。

話を戻すと、実は相手との距離と焦点の合わせ方、ボカし方というのはすごく大事なポイントだ。

どうしてもピントを合わせよう、面白いと言ってもらおうと考えてしまうが、70点ぐらいの正解でいいのだ。もう万人が知っているフレーズ、「ジャイアンかよ」「のび太かよ」「かつおかよ」ぐらいの国民的作品で例えるのが無難である。

ちょっと年代が上目ならドラゴンボールでも通じる。逆に「忍たま乱太郎かよ」だと、上目の人は分からない。

とにかく「絶対知っているであろうポイント」から引用するのだ。レアグルーブでなくていい。山下達郎とか、それぐらい王道でいいのだ。

このピントの合わせ方は、実は全部に共通する考え方でカメラのマニュアルフォーカスのように、全員にピントを合わせようとすると、絵としてつまらなくなる。逆に1点にフォーカスすると、他がボヤけるが、絵としては良い絵になる。

相手とのピントさえ合ってしまえば、あとはもうこっちのものである。じゃんじゃん刺さるフレーズを量産することができる。

それが難しいときに、一番簡単なのは、相手が言ったフレーズを拾ってしまうことである。

例えば、みんなと話すときに「いばらぎ」と言ったら、茨城出身の人が「いばらき!」と訂正してきたとする。それなら、もう一回ぐらい「いばらぎ」「いばらき」というやりとりをすれば、繰り返しによって笑いにつながる。

この相手のフレーズを拾うというテクニックも手探りの時には有効な手段だ。

まとめ

ということで例えフレーズで笑いを取るためには

  • イメージを限定しない
  • 世代を合わせる
  • 性別を合わせる
  • 相手との距離でボケのピントを変える

という4つが重要になる。ちなみにこれは世代が入り混じったりすると、とたんに利かなくなるので注意が必要だ。基本1対1、多くて3人ぐらいの戦術なので、難しいときは無理せず、大きな網(みんなが分かる例え)でいくようにしよう。

僕は常に上記の4つを意識しながら、例えフレーズを言うようにしている。

あとはいざという時には

・コーラってサイズによって値段が違うじゃん、小さいのが120円で、500が160円で、でもスーパーだと2リットルが100円とかで売っているけど、本当はいくらなんだろう。
・ひよこ豆って最初、どこがひよこだろうと一回スプーンの上で見ちゃうよね
・パンツ(下にはくやつ)とパンツ(旧ズボン)のイントネーションでの使い分けっていつから発生したんだろう、難しいよね、いつマスターした?

など、みんなが一定の興味を持ってくれそうな話をストックしておくようにしている。

大事なことは世の中の人がぼんやり感じている違和感を、きちんとストックしておくことだ。それは例えフレーズでも確実に生きてくる。

千里の道も一歩から。とりあえず一歩踏み出すことから始めてみてはいかがだろうか。

]]>
https://kinakonan.com/tatoe/feed/ 2
子どもに残したいマンガはありますか? https://kinakonan.com/manganuma/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=manganuma https://kinakonan.com/manganuma/#respond Tue, 09 Apr 2019 14:24:30 +0000 https://kinakonan.com/?p=2647

現在、私は沼にいる。電子書籍沼だ。

きっかけは村上春樹だった。

彼の初期作品がいつの間にかkindleで発売されていたのだ。

何気なく見ていたらちょうど半額ポイントキャッシュバックだった。

ポイポイと
・風の歌を聴け
・1973年のピンボール
・羊をめぐる冒険
・カンガルー日和

を買ってしまった。

僕は本を読むのに本棚が無い。キリが無いからは処分してしまったのだ。こち亀も全巻あったのに。

月に10冊読むから、年に120冊、13歳からだからトータルで3240冊は読んでいるのに、手元に本が無いのだ。

本をどうやって買っていたのか

一人暮らしで自由に使えるお金があり、徒歩1分のところにブックオフがあったころ、気づいたら月に2、3万円は本を買っていた。

そんな恵まれた時期は5年ぐらいで、それ以外のお小遣いをもらっていた学生時代は、主に図書館と古本屋、その後も古本屋が多い。

古本屋の良いところは、安いところ。あとは書店には無い独特な品ぞろえ。雑多な棚。そこから宝探しをするように、本を探していた。作家で読んだり、タイトルで読んだり、表紙で買ったり、色々だった。

だが、気づいたら職場の街から、そして渋谷の駅前にも、最寄の駅にも本屋は無くなっていた。隣町のブックオフも潰れてしまった。

最後の砦は、池袋のジュンク堂と、青山ブックセンターぐらいである。代官山と二子玉川に蔦屋はあるが、一種のセレクトショップであり、あんなソフティケイトされた世界は本当の本屋ではない(だいたい梶山一騎がない!)。

つまり、本との接点がめっきり減ってしまったのである。

電子書籍で次々と復活する名作

かつては電子書籍は少なかった。欲しい本を検索すると電子化されておらず、本で買うとスペースが、、、という理由で諦めていたものが、次々と電子化され、さらに時折セールなんてやっている。

先日は「ぼのぼの」40巻が全部10円だったので、ことごとく買ってしまった。10円なんて古本屋にも無い。

そして気づいた。なんだ、こんなところに宝探しのフィールドがあったのか。

しかも、劣化しないし、共有のキンドルペーパーに入れておけば、いつか子どもが大きくなった時にも読める。

そうなった時に読ませたい作品はマンガだった。もはや漫画は文化遺産であり、親が子へと伝えるものだと思う。

一子相伝、父から子へ「おやじセレクション」を残さねばならぬのだ。

そんな気持ちで見ていたら「火の鳥」が30パーセントオフ!!!!

まさに文化遺産。買わない手はない。と思いながら2日が過ぎたが、セールが終わってしまう!!!

そして分かってしまった、僕は電子書籍を嫌いではなく、ただ安くて買える本が無いと思っていただけで、たまに安い時があるんだと。

弱虫ペダルもいま安いし。

スラムダンク、ドラゴンボール、魔太郎が来る、親から子へと伝える本がある。

いつか彼らがその価値に気づく、その日まで僕はせっせと名作漫画を集めるぞ。

あなたには子どもに残したいマンガはありますか?

]]>
https://kinakonan.com/manganuma/feed/ 0
オープンハウスで世田谷区に新築戸建てを買ったのでそのビジネスモデルをまとめてみた https://kinakonan.com/ie-2/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=ie-2 https://kinakonan.com/ie-2/#respond Fri, 05 Apr 2019 23:11:03 +0000 https://kinakonan.com/?p=2574

都心に家を持つ、というコンセプトのオープンハウス。CMなどもやっているので、見たことがある人も多いだろう。

我が家は2019年2月にここで家を買ったので、その軌跡を書いてみようと思う。

家を建てたのは初めてだが、オープンハウスは急成長している企業だけあって、独特なビジネスモデルだったので、それも合わせて紹介できればと思う。

都心で家を持つの裏側

二子玉川駅徒歩10分という、世間的に一等地と呼ばれる場所に家を持つことができたのは、端的に言えば「狭い」からだ。

オープンハウスの手法はその意味ではっきりしている。例えば以下のような感じだ。

1、土地の価値が1.5億の家主が亡くなり、相続で売りに出る。
2、その土地を購入して、3つに分割
3、1つ5000万で3人に売る

1.5億を出せる人間は限られているが、5000万なら買える人間はいる。マグロ一匹はいらないけど、切り身なら欲しいみたいな感じだ。

もう一つの手法は、宣伝前に売る、という方法だ。

不動産の特徴のひとつがその広告の多さだ。電車の中吊りから、ポストに無作為に入っているチラシなど、やたらと宣伝費を使っている。ある時期に売り切らなくてはいけないので、仕方ないとはいえ、お金をかけすぎである。

そのため、たいていの物件は宣伝費を上乗せした価格設定になっている。

一方でオープンハウスの場合は

  • 社員が駅前で物件と値段を書いた看板を持って立っている
  • 近寄ってきた人に店舗を案内して、その物件の説明をした後に、自社の持っている物件を伝える
  • 宣伝前の物件を見せて成約までもっていく
  • 余計な宣伝費がかかってないので相場より安くできる

という手法をとっている。全部終わるまでに何度も店舗に通うが、別のテーブルで、「その物件もいいですが、もう少し予算を出せばこちらの物件もありますよ。ローンはお二人の年収なら――」というセールストークを何度も聞いたので、たぶんそれが必勝パターンなのだろう。

この必勝パターンは、不動産屋的には買った物件が早くさばけるし、買う側も安く買えるので良い手法だと思う。

ということで、

  • 土地を分けて売る
  • 宣伝費をかけずに売る(CMはやっているが一つひとつの物件の宣伝費という意味)


の2つが彼らのビジネスモデルなんだと思う。

続いて物件を見てからの流れを紹介しよう。

果たしてローンは組めるのか

我が家もその流れで、別の物件を見せてもらった。

すると「マジで、ここが空いたのか!」って場所を紹介された。我々家族が公園に行くときにいつも通る道で、雰囲気が良く好きな場所だった。

問題はローンである。想定額よりも高い。そこで登場するのが営業マンからバトンタッチされた、ローンの専門家である。

その人は夫婦の年収を聞き、パタパタ電卓をたたくと、「はい、借りれます、なんならもっと借りれます」という。

基本的にローンは年収の5倍と言われている。年収800万なら4000万となる。

だが、世田谷区や目黒区などは違う、という。年収の7~8倍ぐらいまで行けるという。

なぜそこまでいけるのか、それは価値がほぼ土地代だからだ。

800万×8倍の6400万を貸したとする。その場合に土地代は5000万だとする。立地が良いため、その価値は急激には下がらない。

いざとなれば、上を壊して更地にすれば、5000万の価値は変わらない。

その結果、このエリアは借りれる枠が変わるのだという。

そして、もう一つ、オープンハウスは夫婦でローンを組むことに慣れている点が挙げられる。

これまで東急○○とかも当たっていたが、ローンの上限の話や夫婦でのローンの話などは一切なく、こちらが見たい物件を見せてくれるだけだった。

その点こちらはローンの専門家がおり、CMでも「二人で返せばいいのに」とペアローン推しなだけあって、ノウハウも蓄積されているのだ。

ブラックリストという過去があり、、

ローンといえば、実はずいぶん前にクレジットカードの住所変更をし忘れて、さらに引っ越しのタイミングで家の電話も無くした結果、連絡が取れず、ブラックリストに載ったことがある。

5年前に家を買おうとして、ローンがおりないから不動産屋に教えてもらって信用調査会社のCICというところに行ったら、✖がついていたのだ。

一瞬で血の気が引いた。カード会社に聞いたら手数料の105円が未納金になってて、連絡がつかなかったから未納です、という話だった。

今すぐ払うからといったが、過去は消せないと。当時の不動産屋に相談したら「最後の✖のある月から5年で消えますのでそれまで諦めてください」と言われた。信用情報は5年で消える。

これはなかなか家族が震えた出来事だった。

ブラックリストだけにまさに黒歴史。

そんな中での今回のローン審査なので、まぁ無理だろうと思った。

固定金利を選択

あれから5年は経ったとはいえ、金額的にはかなりリスキーな話。半ばあきらめていたが、連絡が入る。

ローン通りました!

ウソみたいな話が先に進んでいく。

ローンが終われば諸々契約を進める。団信やあとは金利の選択である。

金利は悩んだ挙句、固定金利にした。

五輪後の不況は目に見えているし、土地も値下がりするだろう。

それは分かっている。問題は不況になった時に国がどういう手を打つのか分からない点にある。銀行がどうなるのか、国債はどうなるのか。

何も分からない。ただ確かなのは、現在は過去最低水準の金利で借りれるという事実である。

だからこそ、銀行は貸し手を探しており、我々のような存在でも借りられるのだ。

  • 金利は現在、最低水準
  • 五輪後どうなるか分からない

これだけが目に見えている判断材料だった。いまが混乱の前の過渡期なのは間違えない。ならばとりあえず固定にしておいて、不況が落ち着いてから大丈夫そうだったら、変動に借り換えをすればいい、という判断をした。

果たして正しいのかは分からない。担当者の方も「私は変動で借りましたが、固定に変える人も増えています。どちらが正解かはローンを払い終わるころまで分からない」といっていた。

その意見にうなづきながら、自分の読みを信じて固定金利にして、もろもろの契約が終わった。もう後には引けない。

家を建てる

2018年のGWに初めて店舗に行き、2ヵ月の打ち合わせを経て、7月上旬には設計の打ち合わせに入った。

これまでは最寄りの店舗に行っていたが、ここから渋谷の事務所に行くことになった。

これまではオープンハウスの社員と話していたが、ここで設計士が登場する。外部委託された、自分の事務所を持つ設計士の方だった。

まずは最初に提示されていた間取り図を見ながら「どうしましょう」と言われる。

てっきりその図面の通りの家が建つかと思ったら「ここから変えれますよ」とのこと。

将来は子ども2人に部屋を用意してあげたい、など様々な要望を伝える。

好き勝手いいながら「こうするとその分部屋が狭くなりますよ」「それは追加料金がかかります」など、意見を汲みつつアドバイスしてくれる。

いろいろと要望をいって、トイレの広さや、お風呂の広さなども変えていく。さらに収納も増やしていく。

気付いたら、最初と全く違う間取りになっていた。見積もりをとり、構造計算もしてもらう。

ようやく間取りを決めると、次は設備を決めていく。

お風呂、洗面台、キッチン、玄関のドア、壁紙、外の外壁などなど、いずれも複数の選択肢があり、オプションがそれ以外に3つぐらいある。

基本は標準から選ぶが、洗面所などこだわりの部分はオプションにしていく。オプションも無制限にどのメーカーでも選べるわけではなく、オプションとして用意されているものから選んでいく。

「オプションだけで700万使った人もいる」と聞いていたが、お金があればどんどん増やすだろう。

我が家は最初からオプション代をローンに組み込んでいたので、150万円ほどオプションを付けた。

正直この作業が一番楽しかった。セミオーダーとはいえ、自分で決められるのだ。

この感覚は、料理のバイキングに似ていると思う。並んだものから選ぶのだが、自由に選べるという感覚は嬉しいものだ。また組み合わせも豊富なので、同じ会社に依頼しても、結果として自分の色を出すことができる。

この楽しい作業が終わり、また契約に戻っていく。

仕上げの契約

どーんと借りて、どーんと土地を買って、またどーんと借りて、どーんと家を建てる。

半休して銀行にいって、処理をする。銀行の用紙はオープンハウスの人が全部書いてくれるので、名前と印鑑おして、振り込みをする。

銀行のおばちゃんが驚いた顔で「家を買うんですか?」と言っていた(銀行の人も驚くんだ)。

大金が右から左に流れていく。あとは家が建つのをまつ。11月に設計が終わって、2月末には建っていた。

きっとレゴみたいにパネルを組み立てるのだろう。現場を見に行ったが大工さんがトントンやったりはしてなかった。

そして引っ越しをした。新居ができたのだ。

まとめ

いま引っ越して1ヵ月が過ぎた。ウォークインクローゼット、ルーフバルコニー、言葉の響きはステキだけど、実際は狭い。

家が狭い。下見で見た時にはまじかとなった。でも、いざ住んでみたら快適だ。

結局、それはオープンハウスが狭い家をたくさん作って、そのノウハウがあるからだと思う。広さではなく、使い勝手が大事なんだと改めて思った。

ということで家を買った。狭いけど満足度は高い。耐久性とか、経年劣化とか、色々と心配はあるけど、そこは住み方次第だと思う。

賃貸と持ち家の論争はあるが、持ち家はやっぱり「自分の」だから、安心感とか満足度が違う。結局いままで「人の家」に住んでいたのだ。その辺は全く感覚が違う。

もう落書きがアートだなんて言わせない。絶対許さないと考え方が変わった。バンクシー?知らねぇよ、消しとけ!という気持ちになるのだ。

あと、周りの反応のひとつに、親の反応があるが、話をしていると時代が違うのだな、と実感する。

親の世代はバブル後とはいえ、まだ金利は4,5パーセントの時代。4000万かりて、利子で結局8000万返した時代なのだ。

いまは利子は数百万。親の時代の当たり前は変わっているのだ。なので、上の世代のいうことはあまりあてにならないと思う。

ちなみに僕は全部決めてから報告した。相談したら止められたかもしれないが、住宅ローンの1パーセントはケタが違う。そういう意味ではやはり時代が違うので、あまり参考にならないと思う。

ということで家を買うまでの流れをまとめてみた。この記事が誰かの役に立てば幸いです。

]]>
https://kinakonan.com/ie-2/feed/ 0