「笑いのカイブツ」を読んで涙が止まらなかった話

 

伝説のハガキ職人ツチヤタカユキのことは、オードリーのラジオの書き起こしを読んで知っていた。

 

天才とも言われているけど、人間関係が不得手で東京に馴染めずに大坂に帰ったすごい人という認識だった。

 

存在は気になっていた。こういう人が消えるわけがない、どこかで浮上してくる。どう出てくるのだろう?そう思っていたら、急に本が出版された。それが彼の半生を綴った「笑いのカイブツ」という本だった。

これは努力は報われない話なのか?

 

ここに出てくるのは努力の軌跡である。笑いの神様に認めてもらうために、妥協を許さない「笑いのカイブツ」を内に秘めながら、日常の中で大喜利を考え続ける。

 

本書の中で彼はボケについて「ずらすこと、間違えること、それなのにおもしろいこと」と定義している。

 

さらに笑いの本質について「人間の道理の正しさを的確かつ盛大に破壊すること」と語る。

 

落語家の立川談志は「落語の根底にあるのは常識に対する非常識」「自我を揺さぶれたものこそ落語通になる」と語っている。談志が『最後の落語論』で行き着いた境地と、ツチヤタカユキの言葉は言い方こそ違えど、共鳴しているように思う。

 

つまり、彼は笑いの本質に辿り着いたのだ。

 

だが、それは談志も語っているように、狂気と紙一重の領域である。

 

自殺する、死ぬ、そんな言葉が「笑いのカイブツ」では何度も登場する。

 

彼は「笑いの神様は等価交換しか認めてくれない」と語り、友達をつくることも、おしゃれな服を着ることも、美味しい食事も、のんびりした週末も断ち切り、全て笑いに差し出した。

 

それでも世の中に認められない。その苦労の軌跡がちょっと上がって、また下がる折れ線グラフのように描かれているのだ。

 

救いはあるのか?

 

そのヘドロのようなものに足を取られながら真っ暗な道を歩き続ける、ヌメヌメとした内容の中で、温かい光として存在するのが、自分を認めてくれた彼女、そして母親だった。

 

この2つが無ければ、ただのダメな男の本であるのに、ステキな彼女、認めてくれる母親への言葉に思わず涙が出てしまう。温かい日だまりのようにその部分だけが救いである。

 

常に死を意識しながら、大喜利を考え続け、笑いにすべてをささげた彼だが、結局、ハッピーエンドを迎えない。つまり、ただの負け犬の本である。

 

でも、涙が止まらなかった。なんだろう。この感じ。自分はすごいと信じて、親と彼女に褒められて、なんとか結果を出そうとするけど、何も栄冠を手にすることが出来ない。

 

つらい。何これ。でも、これって「こんなやついるんだ、へ~」とはならない。全力で一生懸命な姿は胸を打つ。これが野球ならスポ根だし、サッカー選手の自伝なら最後は成功するはずだ。でも、彼の両手は最後まで空っぽで、何も手にしていないんだけど、それでも涙が止まらなかった。見たこと無いぐらい、きれいな負け犬の後ろ姿を見たって感じだった。

 

■後日談でまた涙がキラリ

 

はぁ~。面白かった。読み終わって、ネットで彼の名前を検索していたら、驚きの事実がわかった。

 

2016年のM-1チャンピンになった銀シャリの構成作家として「ツチヤタカユキ」が加わっていた、というのだ。ちゃんとチャンピオンベルトを巻いているのである。これは嬉しかった。

 

後から言うのはズルいけど、2016年の銀シャリはやけに良いなぁ~と思ってたんだよ!本当に。

 

どれだけこの事実が広まっているか分からないが、本書を読んだ人にはぜひ知ってほしい事実だ。

 

そして、「ツチヤタカユキ」を知るうえで欠かせないのが、オードリーの若林がラジオで語った彼のエピソードだ。もう青春がいっぱい。めちゃくちゃ愛されているのだ。

こちらは本書と時期が被っているので違う角度から見たアナザーストーリーとなっているので、ぜひ読んで欲しい。

オードリー・若林が語る「ハガキ職人・ツチヤタカユキという男」

オードリー・若林「業界でも注目される構成作家・ツチヤタカユキ」

オードリー・若林「挫折した構成作家・ツチヤタカユキに掛けた言葉」

そして、僕は個人的に彼の書いた落語。すべて懸けて書いたけど、落選したという落語が読みたい。落語家とのつながりもあるので、なんとかそれを手に入れて、落語として世に出したい。実現できるか分からないけど、それが今の僕の夢だ。

 

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