きなこなん式

アルピー平子に学ぶ「あちゃー」で乗り切る処世術

テレビで聞いた言葉が、ずっと耳に残ってることがある。

最近一番残っているのは、アルコ&ピースの平子が言った「そこで、あちゃーって言ってごらん、あちゃー5回でCM1本決まるよ」だった。

これは2021年5月3日にアベマTVで放送された「しくじり先生俺みたいになるな お笑い研究部」で出てきたコメントだ。

お笑い研究部は、若手芸人にベテラン芸人である、オードリー若林、澤部、吉村とアルコ&ピースがアドバイスをする、というアベマオリジナル番組(たまに地上波でもやる)。

その回は、ラフレクランの西村という、元アナウンサーで、学生時代に一軍だった完璧人間がなぜ売れないのかを探っていく、という流れだった。

慶應大学出身で、ミス慶應と付き合っていたという西村は終始、自信満々。

「お笑い以外にも全才能が僕に集中している」と語るなど、自分への自信を隠さない中で、クラスの3軍代表であるオードリー若林が「おめぇみたいなやつがクラスにいたら殺しているよ」と吠える。

そんな中で若林は「大きい括りでいったら、西村と平子さんは同類だよね」とアルコ&ピースの平子に話しかける。

その流れもあってか、他のメンバーの言う事には反発する西村も、平子のいうことはよく聞く。

ある流れで笑いが起きた後に「でも違うんです」と語りだす西村に、周りがみんな「違うんです、じゃないんだよ」と怒る中で、平子が口を開く。

「西村くん、おれはこれを尖りのエンタメ化って呼んでいるだけど、そういう時は『違うんです』じゃなくて『あちゃー』っていうんだよ。あちゃー5回でCMが1本入ってくるよ」という冒頭の言葉を言ったのだ。

番組は爆笑に包まれたけど、この言葉は実は深いと思う。

いや、その時は深いような気がして記憶していただけだった。だが、後になって気付いた。

これは実は人から好かれる重要な要素である「かわいげ」を作る、一番簡単な手段ではないだろうか。

もう少し詳しく説明しよう。

失敗しても笑われる人と笑ってはいけない人の違いとは

アルコ&ピースの平子は、お笑いに関しては天才的な部分があると思っている。ぼくはラジオも聞いているし、Youtubeチャンネルも見ている。一度吉祥寺で息子といる姿を見たことがあるが、やさしいお父さんという感じでステキだった。人としても、芸人としても大好きな存在だ。

そんな彼だが「アメトーーク」で有吉が言ったように「あいつはずっとかっこつけてるだけ」というのも真実だと思う。

フリとオチ、ボケる、つっこむ、スベる、その全部をやらずに「かっこつける人って微妙にダサくて面白い」という笑いをテレビの中で演じ続けるという、不思議な立ち回りをしている人だと思う。

とうぜんのようにそんな人だと多くの人は気付かず、面白いけど、テレビには上手く適応できていない、数年前まではそんな印象を受けていた。

だが、そんな平子がいつしか覚醒し、テレビの露出もグッと増えていっている。

一体どこにその転機があったのか。その理由について本人は「千鳥とオードリーにテレビを教えてもらった」と語っている。

何を教えてもらったのか。

それこそが「あちゃー」であり、もっと分かりやすく言えば失敗した時の「かわいげ」だと思う。

例えば、知り合いが転んだ時を想像して欲しい。転んだ瞬間に声を出して笑っても平気な人と、なんとなく笑ってはいけない人がいると思う。

笑われるなんて嫌だ、と思うかもしれないが、実は笑われる人の方が良好な人間関係ができていると思う。失敗も許容される人間関係が出来ているから笑っても平気なのだ。

一方の笑ってはいけないと思う人は、周囲にバリアを貼っているタイプの人に多いように思える。ちゃんとしている、スキを見せない、というと聞こえは良いが、周りとの距離は一向に縮まらず、失敗も笑ってもらえないような人間関係はなんだか窮屈だ。

特に芸人という職業においては、いじられやすい前者であるべきだが、たまに後者の失敗を笑ってはいけないように思える人がいる。

この後者の芸人が、かつての平子だったのだ。

それに対して「そうじゃない、失敗したらそれをそのまま見せればいいんだ」ということを、平子に対してやり続けたのが、千鳥とオードリーだったと思う。

印象的なのが、千鳥の番組「キングちゃん」でロケの最中にスベリ続ける平子が「おれ、もう今日はダメだわ」とギブアップ宣言をしても、もう一度やらせる。案の定失敗して、またすべってしまうが、それがいつしか笑いに変わる。その体験を通して、平子は「失敗も笑いになるんだ」と気づく。

さきほどの転ぶ人の例えでいえば、転び方次第で笑いは生まれるのだ。

そんな平子のたどり着いたマジックワードが「あちゃー」なのだ。

世の中には、失敗したら笑ってもらえない。「ちゃんとしなきゃ」という鎧を着て生きている人がいる。でも、実はその人は、人との距離が縮まらず、人知れず悩んでいるかもしれない。

そんな時に「あちゃー」が効くのだ。失敗して「あちゃー」としている人を憎むことは無い。しかも、このフレーズは女子が言っても、おじさんが言っても、絶対的にかわいいワードなのだ。

そう、実はこれ「おじさんの処世術」としてもすごく役に立つと思う。

おじさんの処世術としての「あちゃー」

男性は年齢を重ねると、黙っているだけで「怒っている」と思われるそうだ。

実はただ、ボーっとしているだけなのに、あの人怒っている、なんておかしな話だが、周りにはそう見えるらしい。

そこのギャップは意外と大きい。男性は30代後半ぐらいから、若者という枠から外れ、おじさんという場所にいつしか移動していく。それはまるで春の太陽が出ている時間が少しずつ伸びていくように、ゆっくりと確実に移動していくのだ。

そして、気付くと「黙っているだけで怒っていると思われる気難しいおじさん」が出来上がる。ただ、ボーっとほおづえ付いているだけなのに。

そのギャップを埋めるのが「あちゃー」なのだ。ちょっと発言に失敗した時、変な空気になった時に「あちゃー」と言えるかどうか。

それが楽しいおじさんと面倒くさいおじさんの分かれ道になるのだ。

「お笑い研究部」の中で、平子は西村にこう言っている。

「難しいことはない、頭に手を乗せて、その重さで傾くだけ」

動作は非常にカンタンだ。

なんだか、最近若い人と距離が出てしまったな、とか、どうも周りの人との距離が縮まらない、と思っている人。

そんな人はぜひ「あちゃー」を試してみてほしい。

これが言えれば、みんなとの距離はグッと近くなるはず。

もっと言えば、このフレーズは失敗が許されない、不寛容な時代に大事な言葉ではないだろうか。

もう僕は「あちゃー教」を作りたいぐらいだ。とにかく普及させたい。失敗が許されない、こんな世の中だからこそ、怒りを中和する魔法の言葉「あちゃー」を一人でも多くの人が使いこなせば、もっと世界が平和になる気がする。

さぁ、みんなもやってみよう。

「あちゃー」

ね、カンタンでしょ。