落語が好きで20代中ごろから、志ん生、志ん朝を中心に名演と言われる多くのCDを聞いてきた。
同時に20代の頃は500円で見られる深夜寄席、早朝寄席をよく見に行った。
色々な若手を見ている中で、この人は面白いという若手落語家とSNSでコンタクトをとるうちに縁ができ、その結果、その人の落語会を見に行き、終わった後に打ち上げで飲む機会も増えていった。
そうした飲みの席には、当日一緒に出演した若手の落語家などもいたため、そうした人と話す機会も多かった。
そういう時期を2年ほど過ごした頃、とある変わった経歴をもつ落語家の高座を見る機会があった。
それがぶっ飛ぶほど面白かったので、その話をしようと思う。
落語家をやりたいという若者の傾向
少し話が逸れるが、日本サッカーがどうやって強くなったのかという議論の中で「昔は運動会で1位の子は野球をやっていたけど、最近はサッカーを選ぶ子が増えた」という報告があった。
それがなぜ日本サッカーの強化に結びつくのだろうか?
普通に考えると、画期的な指導法を導入したり、新しい戦術をとりいれたり、という議論になると思ったが、実はそれよりも大切なことがあるのだ。
それは「運動が出来る子にサッカーをさせる」という話だった。
その前提となるのは、運動ができる子は国内に一定の割合しか存在しない。というものだった。
ブラジルでは生まれた子はみんなサッカーをやるので日本でいうところのイチローも松井も五郎丸も室伏もみんなサッカーをやっているが、日本では選択肢が豊富にあるので、さまざまな競技に分散してしまうのだ。
しかし、サッカー人気が高まることで、その才能ある子どもたちが集まってきた。それによって日本サッカーは強くなったのだ。
これは一つの発見だった。それは「いつの時代も才能のある子は一定数しか存在しておらず、それがどこに配分されるかで、その国の成長する分野が決まる」ということだった。
もちろん、サッカーがダメでテニスで花開いたというケースもあるので、一概には言えないが、一つの考え方として、そういうものがある。
その視点で「笑い」について考えてみる。
もしも教室でどっかんどっかん笑いをとる「笑いの才能」がある子どもがいたとする。その子が将来目指すのは、戦後なら落語家かもしれないが、現代なら圧倒的に「お笑い芸人」だろう。
では、いま落語家を目指すのはどんな人なのか。
それは僕が実際に会った経験上でいえば「普段、面白くはないけど、ひたすら落語が好きな人」である。
もちろん奇跡的に面白い人たちはいる。一握りほど。しかし、それ以外の落語家のほとんどが、クラスで爆笑をとりまくっていた人ではないのである。
これは打ち上げの席での会話をもとに書いており、素人が集まっている打ち上げの席で、必死で面白いことをやるとは思えないが、普段の若手落語に接した感想はそんな感じだった。
若手でも面白い人、破天荒な人はいる。僕は破天荒な人を追いかけていたのだが、でも、そこは落語界という閉じられた世界の中だったんだなぁというのを思い知らされた人物がいる。
それが山崎邦正、いまの月亭方正だった。
山崎邦正という過小評価された芸人
山崎邦正が落語をやっている、という噂は耳に入っていた。
だが、活動の拠点が関西ということもあり、特に興味は持っていなかった。しかし、たまたま友人に、山崎邦正の落語が東京で見れるらしいから行かないかと友人に誘われたので足を運ぶことにした。
たぶん彼が落語家になって2年目ぐらいの頃だったと思う。
経堂にある小さなカフェで行われた落語会には、30人ぐらいの男女があつまっていた。
出囃子とともに観客の間の通路を通って高座にあがった山崎邦正に対して観客は冷たかった。
「あれ、なんで誰もワーとか言わないの?すんなり通れたよ」という第一声から高座は始まった。
有料ライブである。みんな金払って笑いにきているのだ。それなのに集まった30人ぐらいの観客は、クスリとも笑わない。それは彼が「つまらない芸人」「スベリ芸の人」というイメージが定着しているからだろう。
山崎ごときで笑ってたまるか、という空気が客席には充満していた。
そんなあり得ない状況の中で彼は客席に話し始めた。まずは「枕」で客席を温める。
彼は自分がかつてどれほどの人気者だったのか、バレンタインには段ボール何十個もチョコが届いた、という話。そのイメージを壊したのが、松本人志だったと語った。「あいつのせいで僕はつまらない芸人のイメージになっちゃったんですよ!」と力説する。しかし、その熱弁とは裏腹に静かな客席。みんな「またまた~だってつまらないじゃん」という雰囲気だった。
しかし、それは間違っていた。彼は間違いなく過小評価されている、かなり面白い芸人だったのだ。
音と言葉で笑いのツボをぐりぐり押す関西落語
落語が始まった。この日は「手水廻し(ちょうずまわし)」という関西の落語だった。
記憶にあるあらすじは、こんな話だ。
ある時、田舎の旅館に大阪から宿泊客がやってきた。
朝起きるとその大阪の客は「ここへ手水を廻してくれますかな」と依頼した。
ところが、田舎の主人も板前も「ちょうず」の意味が分からない。
そこで村一番の物知りだという寺の和尚に聞いたところ「ちょうずとは長頭(ちょうず)すなわち長い頭のことだ」とマジメな顔をして言う。
それを信じて村一番の長い頭の男を呼んで来て、大阪の客の前に連れてきたが、水の入った桶を待っていた客は激怒して予定を早めて帰ってしまった。
結局、手水が何か分からなかった田舎の主人は、実際に大阪の宿に泊り、同じ注文をして確かめようとするが――。
話としてはシンプルだし、関西の落語の入門編のような内容である。
しかし、これの山崎邦正の話が抜群に面白かった。この噺は「手水(ちょうず)」という言葉の意味が分からなくて右往左往する話だが、この「ちょーずー」の言い方だけで、客席を自由自在に笑わせていた。
もう「言いたいだけじゃん」ってレベルで「ちょーず」「ちょーず」と連発しながら、客席の笑いのツボをぐりぐりと押してくるのだ。
最初の笑ってはいけない設定もあって、気付くと涙が出るほど笑っていた。
その笑い続ける頭の中で明確に感じたのは、テレビに出ているお笑い芸人は「笑いの総合格闘家」だということだった。
落語の押す引くなど関係ない。笑いのツボさえ分かったら、そこを徹底的に突く。その勘の良さは、落語が好きな集団である落語家には無いものだった。
何度も言うがすごい落語家はいる。しかしそれはほんのわずかなのだ。
それに対して、テレビで企画ものからトーク、ネタまでこなしている総合格闘家である、お笑い芸人の力量は計り知れないほどすごいのだと改めて感じた。
ちなみに、イベントの高座で「死神」をやった千原ジュニアを見た、若手落語家は「あの人が落語家じゃなくてよかった。その辺の落語家よりもよっぽど面白かった」と語っていた。
やっぱりすごいのだ。
これは既存の落語家を批判するわけでなく、ただ、落語家という棚にテレビのお笑い芸人が並んだときにどうなったか、というドキュメントを綴っただけである。
もちろん談春の「上手さ」と「泣ける」落語にはかなわない。
しかし、笑いの破壊力という面では圧倒的な力があった。
興味のある方はぜひ一度、月亭方正の高座を見てみてはいかがだろうか。