きなこなん式

そこにあるのは本好きの桃源郷だった~『昔日の客』

気が付くと、電車の中で本を読んでいる人を見かけなくなった。本好きとしてはさびしい限りだ。

 

減ってるな、とは思っていたが、今は逆に読んでいる人を見ると「お、本読んでる」と驚くほど、珍しい存在になってしまった。

 

もともと文章があって、それを人に読ませる時に便利だってことで紙が使われた。それよりも便利なスマホやタブレットが生まれた以上、本は減っていくだろう。

 

その一方で、古本屋になりたい、本屋をやりたい、という人が増えているという。

 

それって一体どういうことなんだろう。

 

本を置くだけの場所は無くなる

僕が小さい頃、町には本屋と、古本屋があった。それは指にツメが生えているぐらい当たり前だった。

 

まず最初に起きたのは、ブックオフの台頭だった。次がジュンク堂だったと思う。僕は当時、池袋に住んでいたので、ジュンク堂が出来た時は本当に驚いた。座っていつまでも本が読める。幸せな空間だった。

 

でも、量が増えると、価値は下がる。

 

これについて好きな例えが、江戸の金持ちの競争だ。

 

ある時、二人の金持ちが「明日の晩飯にどちらがすごいものを食べさせられるか競おう」ということになった。

 

一人の金持ちは、贅を尽くした料理を用意した。もう一人は、もりそばを出した。

 

それを見た金持ちは大笑いして「そんなそば100杯でも用意してやる」と、出前を注文した。すると、どこの店もその日はそばが無いという。調べてみたら、その金持ちがその日の夜、代金を払う代わりに江戸中のそばを捨てさせていて、いま江戸で食べられるそばは、目の前にある一杯だけだという。

 

つまり、価値とは量によって変化するのである。

 

そう考えると、本が溢れるジュンク堂やブックオフは、天国のように思えたが、実はそうではなかった。選択肢が増えれば人は、「もっと良い本があったのでは」と考えて、不幸になる。

 

そんなことにも気付かずにジュンク堂で、本の山に埋もれていたころに、アマゾンがやってきた。気付いたら本屋や街の古本屋は駆逐されていった。僕が働く職場の街も、地元の街にも本屋さんが無くなった。データを見ると面積は広くなったが、確実に数は減っている。

 

そんな流れに逆らうように、1日200点の本が出版される状況に対して、本を選んで置く、セレクトショップならぬ、セレクト本を扱う書店が台頭してきた。大きなところでは、蔦屋書店であり、個人でもそういう店が増えてきた。

 

それが本屋さんに起こった、この30年の動きだと思う。かなり大雑把だけど。

 

本を置く場所としての本屋は減り続けるだろう。だが、新しい形の本屋は増えると思う。昔のラーメン屋と今のラーメン屋がぜんぜん違うように、新しい形が立ち上がってきているのだ。

 

だが、それも形だけではいけない。オシャレな内装と、ステキな品ぞろえだけでは、雑貨としての本でしかない。じゃあ、どうしろというのだ、という答えが書いてあるのが『昔日の客』だと思う。

 

前振りが長くて申し訳ないが、この本は、そうした本を取り巻く状況を知ったうえで、今こそ読むべき一冊だからだ。

 

書店の大型化とブックオフが出現する前、本屋や古書店はもっと素朴で、居心地のよい場所だった。

 

そんなノスタルジックな空間で起きる日々の出来事を、古本屋の店主が綴った本が『昔日の客』だ。

 

馬込文士村の近くにあった古書店の日常

 

大田区南馬込には今も三島由紀夫の白い家が残されている。去年近くまで行ったので、わざわざ見に行ったら、まだそこに「三島」の表札とともに、家が残されていた。

 

なぜ、三島はここに家を建てたのか。その理由は、この辺り一帯がかつて文士村だったことに起因する。区のホームページを見ると、作家・芸術家として43人の名前が連なっており、おもな作家としては、北原白秋、川端康成、室生犀星、稲垣足穂、山本周五郎などいた。三島はきっと川端との関係であの場所に住んだのだろう。

 

その近くの大森にあった「山王書房」の店主、関口さんの本には、そんな文士たちとの交流が描かれている。

 

本書には何人もの作家が登場する。そこには現代にも名を残してる三島由紀夫のような人物もいれば、すでに忘れられているような作家もいる。でも、実はそんなことはどうでもいい。ここに描かれているのは有名作家との交友録ではない。

 

ここには、まだ出版がビジネスじゃなかった時代の、本を愛する人たちのささやかな交流が描かれているのだ。

 

特に心に残るのが、あとがきで息子さんが書いている、店主が客に言ったという言葉だ。

 

「古本屋というのは、確かに古本という物の売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ」

 

そう、本は「魂」である。ネットが発達して、情報が容易にとれるようになった。情報だけであれば、本はネットに叶わない。だが、その一方で、作家の魂は、まだネットには移っていない。いまだにそれは本の中にあるのだ。

 

いま出てきている新しい本屋は、下手をすると、知性を強調するアイテム、インテリアとして本を扱っているように思える。普通の雑貨屋と差別化するためのアイテムって感じだ。

 

そうではなく、本を「魂」として扱う。それが正しいんだと思う(なんて崇高な世界だ)。

 

『昔日の客』で描かれる古本屋の矜持や、その日常は現代においてはひどくロマンチックであり、もはやノスタルジックな世界なのかもしれない。

 

だが、これこそが本好きが愛する風景であり、この本の中の世界はまさに本好きの桃源郷だと思う。

 

いま本が紙である必然性が問われている中で、「やっぱり本というものが好き」と思っている人は、ぜひ手にとってほしい一冊だ。

 

ちなみに、この本についてはピース又吉と出版社夏葉社の話もステキなので、ぜひチェックしてみてください。