きなこなん式

なぜ立川志らくはブレイクできたのか?

最近テレビやネットニュースで、立川志らくを見ない日がない。

志らくとは、立川流四天王(志の輔、談春、志らく、談笑)の一人であり、立川談志がもっとも愛した弟子である。

なぜ彼は急にテレビに出るようになったのか?

その理由を本人は「亡くなった談志は爆笑問題の太田など、売れてる人が好きだった。談志が死んだ今、改めて売れようと思ってテレビの仕事をやることにした」と語っている。

いやいや、「売れようと思ったら売れた」なんて、そんな簡単にできることじゃないと思うけど、実際に売れてしまった。

僕自身は、テレビでしか見たことはないが「落語のピン」や「立川ボーイズ」など、たぶん20年ぐらい前から見ている。

ただ、その時の評価は「学生落語みたいにせかせかして面白くない」と思っていた。

ところが、2018年の頭ぐらいにテレビで志らくの落語が放送されたのを見たら文句なく「名人」と呼んで良い素晴らしい内容で驚いてしまった。

以前は間なんてなかった落語は、緩急があってばっちりで、不仲説のある談春をネタにしたくすぐりも面白い。

しかも、2回ほど「談志」を感じさせる瞬間があった。

談志がもっともその才能を評価した弟子という肩書にようやく合点がいった瞬間だった。

なぜ志らくはなぜ面白くなったのか?

落語のピンで見たころの志らくは、いまの一之輔みたいに「どうだ、上手いだろ」というのが見えていて、どうにも見てられなかった。

才能が先走っている、というか、談志がいう「落語を通して己を語る」の「己」が前に出過ぎていた。

あとは上手いといえば上手いが、実際はただ早口なだけで、寄席に出ている人のような抜群の間の上手さも余裕がある感じも無く、落語だけが実現できる「話芸で別の空間にワープさせてくれる」感覚もない。

とにかく「せかせかして嫌だな」という印象だった。それが25年ぶりぐらいに見たら、抜群に上手くなっていた。

なぜそうなったのか。

これは志らくが演劇をやった経験が大きいのではないかと思う。

演劇を通して、役者とプロデューサーという立場を何度も経験したことから「志らく」という素材を客観視して、見た時の魅力を自覚し、それを活かせるようになったのではないだろうか。

これは昭和の名人、古今亭志ん朝にもいえることだが、落語と演劇を両方やるのは、落語にとって非常に有効なようで、演劇をやることで「魅せる落語」という部分で、劇的に上手くなるように感じる。

志らくの場合、具体的には
・談志の最愛の弟子だった
・同じ談志の弟子である談春との不仲説
・立川談志という枯れることのないエピソードトーク

この辺りを周りから期待されている自分の武器としつつ、ほどよい毒舌と、どこか憎めないルックスを兼ね備え、なおかつ年齢を経て得た自信と余裕から来る、風格のようなものが、その言動に説得力を持たせているように感じる。

落語の神様と言われた「古今亭志ん生」も若い頃は、せかせかしていた、と言われているが、現在の志らくの凄さを見ていると、やはり落語は50代後半、60代からだな、と思わせるものがある。

なぜ売れたのか

売れた理由はとして「マイルド談志」としての需要があると思う。

毒舌については談春も毒舌なんだけど、あの人は角が立つところがある。ケンカ腰というか。

それに対して、志らくはどこか芸人として、シャレの空気がある。

そして「マイルド談志」という意味では、談志は本当にケタが違った。なにしろ9.11の時に「アメリカ、ざまぁみろ」って言った人だ。

普段からビンラディンのTシャツを着ている談志の「シャレ」は、いまの時代には過激すぎる。

落語のピンのYoutubeの昔の動画見ても「あぁ~眠いなぁ、覚せい剤ないかぁ」なんて言っててびっくりする。

それに比べると志らくは、毒舌だが過激ではない。下手したら番組がなくなるぐらいの発言をする談志に比べたらよっぽど安全だ。

では志らくは何がすごいのか。それは彼がテレビ業界の忖度を無視している点にある。

ジャニーズからスマップが独立したら、テレビ局が「これからも関係が続くジャニーズ事務所の肩を持とう」というの思惑で動いている中で、志らくはスマップ寄りの発言をする。

この立ち位置について、単純な感情とは別に彼には計算していることがあると思う。

1つは、日本人は判官贔屓(ほうがんびいき)が好きという本質を理解していることである。何か問題が起きた時に、どうしても弱者に同情してしまう。テレビ局の忖度よりも、志らくの発言は、その国民感情を優先していると思う。

2つめは、彼には「落語」というフィールドから出張してテレビに出ているだけであり、その理由もお金が欲しいとかではなく、死んだ「談志」に喜んでもらうために出ているものだから明日から出れなくなっても落語で食っていけるのだ。

テレビが本業ではなく、副業であるがゆえに、テレビ業界の空気に忖度せずに、好き勝手言える。

この「帰る場所がある」コメンテーターは特別で、マツコも有吉も坂上忍もヒロミも、本質的にはみんな一緒で、彼らは「仕事が無くなった時期」を味わったり、自分のフィールドを持っている。

そんな人がテレビに出たいと思っているタレントと向き合った時に、出たい、しがみつきたいと思っている人が勝てるわけはなく、その結果、テレビの世界では彼らは無敵なのだ。

志らくに話を戻すと、現在、彼はコメンテーター的な立ち位置で人気だが、来年あたりには冠番組を持つかもしれない。それぐらいの躍進ぶりだ。

ただ、基本的にこの人は「カウンター」の人である点は忘れてはいけない。

世の中の大きい流れがあって、その中でぽっと違うことを言うのが絶妙に上手い人なのだ。

かつて、談志が寄席に出て落語ではなく、漫談で時事問題について語っていた頃、談志のファンは寄席に「この出来事を談志ならどう言うだろう?」と聞きに来ていたという。

いま寄席にそんな人物は存在しない。寄席とテレビというフィールドは違えど、談志ファンとしては、談志イズムの語り部として、志らくには、これからもぜひテレビの世界で活躍して欲しいと思う。

以下は志らくの本のおすすめ。彼の本に出てくる落語論はどれも的を得ていると思う。面白い。