きなこなん式

震災を知らない子どもたち

震災のことは鮮明に覚えている。

 

あの余震が続く毎日。そのたびにざわつく心。

 

誰かが「東京の人間は被災はしてないけど、精神的には被災している」と言ったけど、やっぱりあの出来事は僕らの中に明確に刻まれている。

 

それって東日本の人間なら共通の危機意識だと思っていたが、やっぱり体験してない世代には分からないのだ。

 

それを4歳の息子から感じた話をしようと思う。

 

震災後に生まれた世代と話す

 

僕の長男の妊娠が分かったのは、あの年の6月のことだった。子どもが欲しかったが、なかなかできずに1年近くが過ぎていた。そろそろ病院に行かなくては、と思っていた矢先のことだった。

 

震災から3ヵ月後である。あの頃は食べ物はどこ産のものを選ぶのか、あそこの放射線量はいくつだ、なんて言葉が飛び交っていた時期だったので「妊娠した」と嫁に言われた時に、こんな時代に生まれてくるのかぁと思った覚えがある。

 

そんな彼もみるみる成長し、4歳になった。もうペラペラと話す。意思疎通もできる。youtubeも使いこなしている。

 

そんなある日のことだった。僕と息子はショッピングセンターでもらった風船をふくらまして、ベッドのうえで二人でバレーボールのようにして遊んでいた。

 

そこに、あのころの余震を思わせる揺れが発生した。僕はすばやく体を制止し、辺りを見渡す。地震がいつまで続くのかを見極めようと空中に目をこらす。

 

きっと怖い顔をしていたのだろう。息子が「どうしたの?パ~パ~」と能天気に話しかけてきた。

 

僕は「地震だよ、地震!揺れてるでしょ」と声を張るが、息子はヘラヘラと手に持っていた風船で遊んでいた。

 

だめだ、通じない。通じあえないと思った。

 

その時の僕は、いくら地震の怖さや津波の映像を見せたとしても、きっと彼には伝わらないだろう、という確信のようなものを感じた。

 

それは僕が「震災を知らない世代」と初めて接した瞬間だった。

 

いま3、4歳の話し始めた子がその第一世代なのだろう。

 

こんなにも危機意識が違うのか、と驚いてしまった。

 

もちろん子どもには時期が来れば震災のことを教えていくし、逃げるためにも水泳は習わしている。

 

それでも、あの感覚を教えることはできないのだ。僕らが戦争や関東大震災をもはや歴史として学ぶように、彼も歴史として震災を学ぶのだろう。

 

ついこないだの出来事が、今後の日本人にとって大きな断絶となってしまうのだろう。震災前と震災後の世代の2つに分かれるのだ。

 

地震に震える僕を見ながら、ヘラヘラと笑う息子を見て、そんなことを考えてしまった。