きなこなん式

松本人志の最高傑作「VISUALBUM(ビジュアルバム)」の全作品解説と笑いの構造

 

ダウンタウンの伝説的コント番組「ごっつええ感じ」が突然終わったのが、1997年のことだった。

 

放送予定だったものが、野球中継で延期になったことに激怒したダウンタウンがいきなり打ち切りを決めたのだ。最後に総集編が放送されたが、視聴者だった僕らにとって消化不良感は否めなかった。

 

その翌年の1998年からレンタルビデオ屋に登場したのが、松本人志のコント集「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM(以下ヴィジュアルバム)」だった。

 

それを見た時は、あまりの面白さに驚いて、友達の家にビデオを持っていっても何度も何度もおなじコントを見たのを覚えている。

 

3本のビデオに収録された15本のコントには、相方の浜ちゃんのほかに、今田、東野、板尾という「ごっつメンバー」が揃っていた。そのため、ごっつええ感じの続きのような作品であるが、ネットフリックスで2016年10月から配信されたので、約15年経って改めて見てみると、それは間違えだと気付いた。

 

この作品は松本人志の最高傑作である。

 

クオリティ、世界観、メンバー、そのすべてが、完璧だと思う。あの時のごっつええ感じで体が出来上がった状態(いつでもコントできる状態)で臨んでいることも大きいのだろう。

 

それは「MHK」とかでアタリハズレが大きくなってしまった松本人志を見ているだけに、余計にそう感じる。みんながベストな時期というのは、意外と短いのだ。

 

そう考えると、お笑い好き、松本人志好きは必見の作品なのだが、その一方で、テレビで放送されたことが無いため、知らない人も意外と多い。

 

そこで今回は「ヴィジュアルバム」全体の紹介と、それに加えて、そこで垣間見える松本人志の笑いについて解説してみたいと思う。

 

全作品紹介

 

この作品は、りんご、バナナ、ぶどうの3つのビデオで構成されており、それぞれ5つ前後のコントが収録されている。

 

りんご

1、システムキッチン
不動産屋を訪れた客(浜ちゃん)と担当者(松ちゃん)のやりとり。往年のガキの使いのフリートークのような、出たとこ勝負の雰囲気。設定は夕方で、静かなトーンで展開していく。これはミュージシャンのアルバムでいうところの「1曲目」だと思う。「このヴィジュアルバムはこういうペースで行くよ」というシグナルに対して視聴者が波長を合わせるためのコント。

 

2、げんこつ
「システムキッチンが」陰と陽の「陰」なら、こちらは陽の方の作品。

 

テレビではできないネタを、気持ち良く、和太鼓のリズムで元気いっぱいに展開していく。音楽で言えば、1曲目がバラードなら2曲目はヘビメタ。このビデオがただの行儀が良い作品じゃないぞ、という、ふり幅を見せてくれる。

 

オチ自体はしょうもないけど、これは終わってから、もう一度見返して、それぞれの人が言っていたセリフを答え合わせすると、すごい面白い。

 

また、若いころのココリコ田中が登場しているが、彼の演技も抜群に良い。

 

3、古賀
これは松ちゃん、今田、東野、板尾のコント。スカイダイビングで降りたら、板尾がいない。もしやと思って家に行ったら居たという話。見どころは、家に居たところから始まる。

 

「え、終わったから家に帰ったけど」という板尾と、3人の空気のギャップ。それがジワジワ来る。

 

ずっと見ていると、「なんで家にいるんだ」と騒いでいる方がおかしい気がしてくる。作品としては地味だが、15年以上経ったいまも一番頭に残っている作品。

 

4、都・・・
「笑点のネタは放送作家が書いている」という都市伝説(?)を元に、笑点の楽屋っぽい場所での、師匠たちと放送作家とのやりとりをベースにした作品。偉そうにしている落語名人たちが、恥を晒す瞬間を描いたもので、こういう情けない姿で笑いをとるのが、笑いの要素のひとつ「哀愁(ペーソス)ですよ」という教科書のようなコント。

 

とりあえず「笑点」ディス過ぎて、絶対にテレビで放送できない。

 

5、ミックス
松本と浜田が夫婦になって怒鳴り合う作品。これだけがピンとこなかった。たぶんこれは「関西の近所の夫婦あるある」だったりするのではないだろうか。そうだとすると、「ごっつのおかん」シリーズに近いのかもしれない。

 

バナナ

1、ZURU ZURU

動物病院にやってきた犬(松ちゃん)と医者の今田のやりとり。こちらも設定の時間は夕方と薄暗い。面白いは、面白いけど、地味な作品。たぶん、これも周波数を合わせるためのチューニング用コントだと思う。

 

2、マイクロフィルム

マフィアがマイクロフィルムを盗んだやつ(ココリコ遠藤)をリンチする作品。どうやら犯人は、肛門に入れて隠したようで、殴ると肛門から何かが出てくる。最初はマイクロフィルムのために殴っていたメンバーだったが、たまに欲しいものが出てくるため、次第に目的が変わっていき――。

これも下品なので、テレビではできないネタ。でも、抜群に面白い。

 

3、む゙ん

この辺で「不条理系暴力もの」って感じで変な作品。これはコントの意味がどうこう、というよりも、ビジュアルとして面白いからオッケーという感じ。

 

4、いきなりダイヤモンド

刑務所の中で、松本人志と、今田が漫才コンビを組んで、ネタを練り上げる工程を見せる作品。これは「当初はダウンタウン2人で収録するはずだったが、浜田のスケジュールが合わなくなったため自宅にいた今田に電話がかかり当日に代役が決定した」というが、松本が漫才の基本である「ボケとは?」「ツッコミとは?」を説くコントなので、やはり浜ちゃんとのダウンタウンで見たかった、というのが本音。お笑いを志す人は必ず見るべき。

 

5、ゲッタマン
特撮番組「ゲッタマン」の収録風景を描いた作品。これもヒーローという権威が失堕していくさまがおもしろい(特に東野の顔)。今田のヤジ、板尾のキャラも完璧。

 

個人的には、園子と、ゲッタマンがベスト1,2位だと思っている。

 

ぶどう

1、診察室にて・・・

これまた浜ちゃんと松ちゃんの二人コント。設定は松っちゃんが医者で、浜ちゃんが患者。相変わらず、暗めな照明でぼそぼそと展開していく。もはやこのシリーズの定番とも言える、チューニングコント。本番前が始まる前に待合室で見る映像みたいな感じ。

 

2、寿司
これは「不条理暴力系」コント。寿司を握りつぶす女の話。これもテレビではできないネタ。僕はけっこう好き。

 

3、巨人殺人
奈良の大仏と肩を組んで写真を撮るほど大きい、坂東(ばんどう)。彼にいじめられていた4人が殺人を決意し、死体を隠すまでの物語。『大日本人』に通じる、これまた変な世界観の作品。今田の「ばんどう、丸見え」が大好き。

 

4、荒城の月
下水道に夫婦(松本、浜田)が住んでいる。彼らはトイレに来た子どもをさらって、「上こそ下界、上こそ肥溜(こえだめ)」と常識をひっくり返す言葉を、子どもたちと唱和しながら王国を作っていた。だが、やがて警察によって子どもたちは連れ去られていく――。

 

見終わった時に、なんだこれ?ってなる作品。「上と下、どっちが正しいのか?」という、常識を疑う問いかけは、まるで現代アート作品のよう。変な映像が頭に残る。

 

5、園子
落ち目の落語家、京丸師匠の奥さんが亡くなった。葬儀の夜、弟子たちが集まる中で、師匠は「私はかつて流行語を生み出してきた、それは追い詰められた時に生まれる、私を追い詰めてくれ」と頼んできた。弟子たちは師匠にがんばってもらうために協力するのだがーー。

 

明らかな、桂文枝ディス。かつて桂文枝とひと悶着あっただけに、その辺りをネタにしているのだろうが、やはりここでもポイントとなるのは「権威が失堕する姿」。この笑いの方程式は普遍であり、月日が経っても笑える。個人的にはベストな作品。

 

上記の作品を踏まえて、松本人志のコントの2つの特徴について、解説してみようと思う。

 

1つだけおかしい

 

松本人志のコントのパターンの一つに「なにか1つだけおかしい」というのがある。

 

ヴィジュアルバムで言うと、「巨人殺人」がそれにあたる。これは仲間が結託して、いつも乱暴を振るう、ばんどうを殺害する話なのだが、おかしいのは、ばんどうが異常にでかいこと。それ以外はけっこう普通なのだが、それだけでコントとして成立するのだ。

 

かつて松本人志は、ある映画の批評で「この映画には普通の人がいないからダメだ。成立していない」といっているが、普通の人をどこに置くのか、というのがコントにおいては重要なポイントになる。

 

この作品では意外なことに、坂東こそが普通で、みんなちょっとおかしい。見た目がおかしい人が「普通」で、普通な見た目の人がおかしい。

 

これも一つの松本ワールドのパターンと言えるだろう。

 

哀愁こそ最高の笑いである

 

笑いに瞬発力と持久力があるなら、じわじわ面白くなる持久力があるのが、哀愁(ペーソス)である。

 

もっと分かりやすくいえば、だいたいにおいて権威とは偉そうなおっさんである。その「偉そうなおっさんのカッコ悪い瞬間」。それこそが最高の笑いとなる。

 

このヴィジュアルバムなら「園子」「都・・・」「ゲッタマン」がそれにあたる(図らずも僕のベスト3が全部そのパターンなのは、偶然ではないだろう)。

 

さらに、それをもうワンランク突き詰めたのが、同じく松本人志の「働くおっさん劇場」であり、ついでに言えば、たまにNHKでやっている志村けんのコント番組「となりのシムラ」も同じ構造である。

 

まとめ

 

松本人志は天才だと言われている。間違えなく天才である。ただ、天才もゼロから全てを生みだすわけではない。

 

そこにはロジックがあり、方程式が存在する。このヴィジュアルバムは、松本人志の最高傑作であり、当然のように、その「笑いの方程式」が凝縮されている。

 

結晶化し、キラキラと輝くダイヤモンドのようなコントの数々には、人類にとって笑いとは何か、笑いはどうすれば生まれるのかを、松本人志が丁寧に教えてくれているような作品なのである。

 

もしもまだ見ていない人がいれば、これは人生の損だ。

 

いまならDVD、またはネットフリックスで見れる。昔見た人ももう一度見てはいかがだろうか。