本やマンガをたくさん読んでいると、ワクワクする本、泣いてしまう本、しんみりする本など色々ある。でも、それらが並ぶ本棚の一番奥に、みんな「殿堂入り」という名の金庫を隠していると思う。面白かった!と絶賛しながら、実はそこに入れる本はそれほど多くない。生涯で10作品あるか、というところだと思う。
今回紹介する「ちひろさん」は、そんな中でぼくの本棚にある奥の金庫にしっかりと置かれた作品だった。
何が特別なのか。それについて書いてみたいと思う。
ちひろさんの内容とは
ちひろさんは、町のお弁当屋さんのアルバイト店員である。本名は別の名前で、ちひろ、というのはかつて風俗で働いていた頃の源氏名だ。
お弁当を買いに来る町の人は、彼女が風俗で働いていたことを知っている。でも、ちひろさんはカラリとした感じでお客さんと接する。
決して愛想が良いわけではない。むしろ口が悪い、でも、気付くとみんなちひろさんが好きになっている。そんな女性の話だ。基本は1話完結で、彼女の日常が描かれている。
でも、この本のAmazonのレビューには「死にたくなったら1冊ずつ買って読んでます」という言葉が書かれていた。ぼくはそれを読んで「分かる」と思ってしまった。
なぜこの作品に「死にたい」という気持ちを無くす力があるのだろうか。
それは彼女の生き方を支える幸福論にあると思う。
ぼくたちは何かと競争して生きている
ぼくは1978年生まれの42歳だ。僕と同じ年の芸人にオードリーの若林がいる。彼の最近の言葉で、妙に残っている言葉がある。
それは2021年3月号の「文學界」という雑誌で、「暇と退屈の倫理学」という読みやすくて面白い哲学書で一躍有名になった、哲学者の國分巧一郎さんとの対談の中での発言だった。
「振り返ってみると、なにかいろいろなことを細かく切って競争させられ、それで盛り上がるようなことばかり目についた。僕は生涯を通して、それを仕組んだ犯人を捜しているような人間なんです。真犯人に『仕組んだのはあなたですよね?』と言いたい一心で本を書いているのかなと思ったこともあります」
彼の感じた感覚は、同世代だからか、すごく共感できる。僕らは競争させられ、それを誰かが高みから見ている感覚が僕らの世代にはずっとあるように思う。
日々成長を目指し、スキルを向上させ、結果を残し豊かな生活を送る。
その幸福論でいった時に、豊かで無い人は努力が足りない人となる。
でも、本当にそのモノサシ1個で人間は生きているのか。
そのモノサシでダメだな、となった人はミジメな思いをしなければいけないのか。
そうではないと思う。そうではないことは分かるけど、でも、違うモノサシを提示することもできない。
そうなった時に新しいモノサシの一つとして登場したのが、好きなことに夢中になっている人だと思う。
自分の「推し」を見つけて、元気をもらって、グッズを買って楽しむ。「推し」「沼」そんな言葉を目にする機会が増えている。彼らは確かに幸福そうだ。でも、それらが無い人はどうなんだろう。
日常は元気に過ごしている。でも、満たされているわけではない。もっと良い何かが、もっと素晴らしい何かがあるんじゃないだろうか。そんなぼんやりとしたモヤモヤを抱えながら、日常を過ごしている人は多いのではないだろうか。
そんな人に、「そのまま」でいいんだよ、と教えてくれるのが、ちひろさんだと思う。
ちひろさんの名言の奥にあるもの
ちひろさんの中で一番好きなシーンは働いているお弁当屋さんの奥さんと二人で旅行に行った時の夜のシーンだ。
奥さんは長い入院を経て、ようやく退院し、ちひろさんと二人で旅館に泊まる。
その夜のちひろさんのセリフ。
「これいいねって言ったら それいいねって笑ってくれる
そうだよね?って言ったら そうだねって返ってくる
たったそれだけが欲しくて こんな遠くまで来ちゃいました」
この言葉が沁みて沁みて仕方なかった。
年齢を重ねれば重ねるほど、人との差異ばかりが目について、若い時のように「行こうぜ」「おー」なんて世界は皆無になる。
何かをするためには調整が必要であり、納得いかないことを飲み込むことも多くなる。夫婦だからって、友達だからって、なんでもぴったりと重なるわけではない。近いは近いがやはり立場や視点でズレはある。
説得する時も検索結果を見せて、Youtubeの動画を見せて納得してもらう。手段はハイテクになったが、本当に欲しいのは、シンプルに「いいね」「そうだね、いいよね」っていうやりとりができる人。そういう人がそばにいるだけで幸せだと思う。
そう、ちひろさんはセリフはやけに沁みるのだ。
ちひろさんは、ちひろさんの日常を生きている。その中にふと、さっき書いたような競争社会を信奉する人、あるいは競争社会から降りようとする人が現れる。
一つ例を挙げると、電車に飛び込もうとしたサラリーマンをちひろさんが止める回がある。ちひろさんは潮干狩りに行く途中であり、そのサラリーマンはちひろさんと潮干狩りに行く。
まだ心が定まらないサラリーマンとちひろさんの会話がまた絶妙だ。
サラリーマン「他のやり方(電車に飛び込む以外)でなら 死んでもいいってことですか?」
ちひろさん「しょうがないじゃない そんだけしんどいんだったら
何があったか知らないけど死んで楽になりたいくらい苦しんできたってのはわかるわ
またどっかで死ぬってんなら止めない でも電車は止めるな」
そして二人は潮干狩りを楽しみ、帰り道にサラリーマンがちひろさんに質問する。
「ちひろさんは本気で死のうとおもったことありますか?」
「愚問だな 何回もあるにきまってるでしょ」
そして、サラリーマンは家に帰り、ラストシーンは砂抜きをしたあさりの味噌汁をお弁当屋さんで振る舞う。ちひろさん。かっこいいな~とほれぼれしてしまう。
ちひろさんとタモリの哲学とSlow Living
コロナ禍で世界中の人が、家の中にいる時間が増えている。そんな中で欧米で静かなブームとなっている思想に「Slow Living」というものがある。
ものを消費しないで、あるものを大切にして、そして何よりも「いまに意識を向ける」ことがその中心的な考え方だ。
その言葉聞いて思い出すのが、タモリが「夜タモリ」で言った名言。
「夢があるやつは、嫌いだ。夢があるやつは夢が叶った状態が最高の状態であって、いまはそうじゃない状態だと思っている、つまり、いまを否定している」という言葉があるけど、それがずっと心に残っていた。
これはスキルを磨き、成功する世界に向かって競争を強いられている人々への強めのアンチテーゼだと思う。
じゃあ、今ってどうなの?ダメな状態なの?それよりも夢なんて持たずに、いまが最高だと思って生きた方が良いと思うよ。タモリの言葉は、Slow Livingの「いまに意識を向ける」という言葉にも通じる。
消費の先にあるのは、より良い暮らしであり、そうなると今が良くない暮らしになる。ずっと何かに憧れているけど、満たされず買い物をする。僕らはいつ幸せになれるのか。
そんな人たちにもう一つの幸せを提示してくれるのが、ちひろさんなのだ。
例えば、あるエピソードの中で同じ元風俗嬢の女性がちひろさんを訪ねて来て、健康や美容の商売で成功しましょうよ、とちひろさんを説得するシーンがある。その中で、彼女は気付かずに地雷を踏んでいき、最後にちひろさんは「酒がまずくなる」と店を出る。
「失礼があったら謝ります、なんで急に?」と言った同僚にちひろさんはこう言い放つ。
「結婚できず、風俗にいられず、お弁当売りでもやるしかなく あなたの見ているちひろさんって ずいぶんとかわいそうな女なのね 成功して幸せになればいいわ それがあなたの思うフルスイングなら―――」
ちひろさんの生き方は、やっぱりひとつの幸福論の提示だと思う。
ちひろさんが見せてくれるのは、成功を目指す太めの道とは別の、その外側にある、もう一つの道であり、そこはきっと舗装がされていないでこぼこな道だろう。雑草も生えて、猫がいて、ホームレスも排除されない、そんな道だ。そして、この作品が読者に投げかけているのは
「こっちにも道があるよ、道は一本じゃないよ」という、優しいメッセージなのだ。
僕らは幸福になるために生きているのに、いつまで経っても幸福にはなれない。それは個人の問題ではなく、構造的に幸せに到達できない仕組みになっていることに多くの人が気付いてきたんだと思う。
そんな時代に「ちひろさん」はとっても優しく、寄り添ってくれるのだ。
かつて各家庭に「家庭の医学」があったように、心がやばい時の処方箋として、ぜひあなたの家に「ちひろさん」を常備してみてはいかがだろうか。