ドキュメンタルを全部見ている僕が、メキシコのドキュメンタルを見たらつまらなかった。
なぜだろう。もちろんみんな知らない人だ。でも、登場シーンは面白かった。
日本と同じように、一人ずつ登場するのだが、ドアが開くたびに太ったお姉ちゃんとか、ゲイの人とか入ってきて、そのたびに「まさか、あいつかよ!」なんて感じで驚く百戦錬磨のコメディアンたち(知らんけど)。
メキシコの松本人志みたいな人が「彼は本当にクレイジーだ」みたいなことを言って煽ってくる。この辺は面白そうな空気がプンプンしていた。
でも、ブザーが鳴って始まったら第一声が「うんこ」で嫌になってしまった。
2回笑って最初に退場になった女性は、男の芸人がパンツ一丁で登場して、その男のパンツを下げてお尻が見えて思わず笑う、というレベルの低さ。クレヨンしんちゃんかよ、という世界だ。
エピソード2まで見たけど、もう無理だった。笑えない。笑いのレベルとか、その人を知らない以前の問題がある気がする。
もっと深い、笑いの本質にかかわる話が、たまたま日本とメキシコで同じフォーマットなために露呈した気がするのだ。
笑いを生むとは何か?
笑いについて分かりやすく説明するために、漫才とは何か?の話をする。
漫才は、一人が間違える、もう一人が正す、これで笑いが生まれる。
けさ顔洗ったら、わかめが付いちゃって
え?どうして
みそ汁で洗ったから
なんでみそ汁なんだよ!
で笑いは成立する。
この背景にあるのは、顔を洗う=水かお湯という共通認識があって、初めて間違えだと気づくことができる。
メキシコのドキュメンタルは、出だしからきれいめな女性が「腋のにおい嗅ぐ?」みたいな攻め方で来ていた。男が嗅いで、今度は「俺のも嗅いで」「いいわよ」「う~ん、ライオンの匂い」とかやっていた。
もう上手く飲み込めない。安い塊肉食べた感じだ。ガジガジ噛むけどいつまでも飲み込めない。
もちろんボケを1個1個取り出して、どうこう言うつもりはない。
でも、最初の漫才の例で出したところの「共通認識」というのが彼らとは噛み合っていないのだ。
僕らは「日本人なら教養として知っておくべき基礎知識」を元に笑いを生み出しており、メキシコ人は「メキシコ人なら教養として知っておくべき基礎知識」を元に笑いを構築する。
それは日本のお盆ならきゅうりとナスに割りばしをぶっさして・・みたいのと、メキシコのガイコツ祭りの違いのように、お盆と言われて見える景色が違うことに由来するのだろう。
だから、「腋の匂いを異性に嗅がせる」というボケは、僕のお笑い辞書に載ってないが、彼らの辞書には載っているのかもしれない。
メキシコ人の笑いの中で「ああ、アルゼンチン人はそうだからね」というのがあったが、僕らはアルゼンチン人がどんな性格かを知らない。そういう背景を共有していない、というのがつまらない理由の一つ目だろう。
キャラクターとギャップ
2つ目はキャラクターとのギャップで笑わせている、という手法が通じない点にあると思う。
日本人が日本のコメディアンを見て笑う時、そこには人物の基礎知識がある。クロちゃんならキモいとか、くーちゃんならイカレてるとか。キャラクターがあって、そのうえで「こいつがこんな事いうのか」というギャップで笑いが生まれたりする。
例えば、日本人以外だと、モーガンフリーマンが「トゥース」を全力でやれば面白いだろう。
でも、それはモーガンフリーマンは、渋めのおじいちゃん、という共通認識があるから笑えるのだ。
誰一人知らないメキシコのコメディアンは、パブリックイメージを知らないから、そこからのギャップで笑わせるというのが、僕らには通じないのかもしれない。
日本人のお笑いは高度なのかもしれない
ということで、
1、共通の背景
2、キャラクター
という2つがあって僕らは笑っている。もちろんそれで100%ではないが、60%ぐらいはそれで成立していると思う。
それがメキシコ人だと分からないから笑えないのでは、というのが僕の仮説である。
ただ、もう一つの可能性として、日本の笑いはガラパゴス化して高度に発達したのでは、という説もある。
この理由は、メキシコ版の松本人志的な人の笑うポイントを見ていて思った。
ドキュメンタルは、笑ったら負けなルールなので、参加者は基本笑わない。そんな時、道しるべになるのが、松本人志が笑うかどうかである。
メキシコ版では、この松本人志的な「伝説のコメディアン」が笑うポイント(向こうの人にとって面白いと思うポイント)が、やっぱりつまらない。
もっとはっきり言えば笑いのレベルが低いのだ。メキシコの上沼恵美子的なおばちゃんは、序盤で頭に男性器が乗った帽子をかぶってくるし、話をしてても、あそこがでかいの、小さいの、そんな話ばっかり。
ドキュメンタルだと、秋山とケンコバの中国エステという爆笑ネタがあるが、そういうコンビネタは無い。裸、うんち、性器、ゲイいじり、そんな話ばっかりなのだ。子どもか、となる。
じゃあ、本家のドキュメンタルがどこまで面白いんだ、という問題はあるが、少なくとも後半破綻する前の序盤は面白い。
とはいえ、この話題に結論が出ることはないだろう。フォーマットが同じだから浮き彫りになった、という話で終わりなのだ。
だが、もしも決着をつける方法があるとすれば、メキシコ人の中に例えばジミーちゃんを入れる。
もっといえば、各国の一番面白い人を集めて世界戦を開くという手がある。
この場合、言葉は通じないからアクションで行くしかない。そうなると、日本代表は見た目でいけるくーちゃんか、英語が通じる厚切りジェイソンかパックンか。
多くのコメディアンにとって言葉が武器である以上、世界一決定戦は難しいかもしれない。
でも、失敗に終わっても日本の笑いが世界と戦う場をぜひ見たい。けっこう日本はレベル高い気がする。
いや、ひょっとしたらメキシコが世界的に見て圧倒的にレベルが低い可能性も残されているけどね。
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