立川談志が2011年に亡くなった。
誰が談志の跡を継ぐのか、という論争は生前からあったが、結局、あの器がぴったり収まる人物などいなかった。
立川談志の余計なことを言ってしまう遺伝子は「俺の息子」と呼んでいた爆笑問題の太田光に引き継がれ、懐の深さとカッコよさ、ダンディズムはビートたけしに引き継がれた。
落語に関しては、弟子の中でも四天王と呼ばれた立川志の輔、立川談春、立川志らく、立川談笑の4人がそれぞれ色々な要素を引き継いでいると思う。
その中でも、古典落語の上手さを引き継ぎ、さらに次の次元へと推し進め、談志に「俺より上手い」と言わせた人物が立川談春である。
下町ロケットの殿村役で名演技を披露
高視聴率を記録した『下町ロケット』。その中で佃製作所の金庫番である殿村役を演じたのが立川談春だ。
彼は同時代に生きていることが幸せだと感じるほど、類いまれな力量をもつ、当代一の落語家である。
落語会を開ければ大きなホールでも即日完売。いまもっともチケットが取れない落語家であり、同業者からの評価も高い。
そんな彼の半生とおすすめの落語を紹介しようと思う。
志らくに真打昇進を抜かれ挫折を味わう
1966年、東京都出身。小学校1年生の時に埼玉県の戸田市に引っ越しをしている。
中学時代、親に戸田の競艇所に連れていってもらったことがきっかけで、一時は競艇選手を目指したが、高身長がネックとなり断念する。
その後、もともと好きだった落語にのめり込んでいく。最初は当時の落語会のアイドル的存在であった古今亭志ん朝が好きだったが、学校行事で寄席に行き、立川談志の「芝浜」を聞いて惚れ込んでしまう(談志の芝浜を聞けば、それはしょうがない)。
1984年、17歳で高校を中退し、立川談志に弟子入りしている。
最初は順調に稽古が進んでいったが、ある時談志が稽古をつけてやると言ったら「風邪気味なので」という理由で断ってしまった。談志に風邪をうつさないように、という配慮だったが、これから関係性が一変する。
談志の稽古を断った男として、冷遇されてしまうのだ。
さらにショッキングな事件が起こる。
後輩の志らくに真打昇進を抜かれたのだ。落語の世界に生きる人間において、これは相当な出来事である。
なぜ抜かれるのが大事件なのか?
通常、落語家は、前座、二つ目、真打と昇進していく。いつどのタイミングで昇進するのかは師匠次第のところはあるが、だいたい二つ目から10年で真打ちとなる。
ここで、問題となるのが、落語界に存在する香盤(こうばん)である。これは表に出回っているものではなく、落語界の内部に存在するものだが、落語家の序列のことであり、真打ち昇進の時点でそれが固定される(不祥事などで降格するケースはあるが)。
つまり、一回真打ち昇進を抜かれてしまうと、それは香盤に残されてしまい、後から逆転できないのである。
たとえば春風亭小朝は、史上最高の36人抜きで真打ちに昇進している。これは香盤の序列で36人抜いた、という意味である。また、林家小さんの孫である柳屋花緑が31人抜き、柳屋小三治が17人抜き、笑点でおなじみの春風亭昇太が7人抜きをしている。
そして、この香盤のせいで大事件を起こしたのが談春の師匠、立川談志である。ライバルとされた、古今亭志ん朝が二つ目から真打ちまで、通常の半分のわずか5年で昇進したのである。
これに腹を立てた談志は志ん朝に「断れ!」と迫ったが、志ん朝は断らず、落語協会分裂騒動を起こすが、思った通りにならなかったため、独立し立川流を設立してしまう。
もちろん、色々な人の色々な思惑はあったが「談志は志ん朝に抜かれた香盤をリセットしたくて騒動を起こしたんだ」という意見もある。
つまり、落語協会をぶっ壊すほど、香盤の序列というのは落語家にとって大事だったのである。
悔しさから戦う武器を古典落語に求めた談春
さて、談春に話を戻すと、立川流の場合は、真打ち昇進は、「真打ちトライアル」という試験で決まる。年数は関係ない。とはいえ、抜かれたことは事実である。
これについて談春は「こいつには負けるわけがない、抜かれるはずがない。そう思っていたやつに越されちゃったわけだから、これは挫折ですよ。悔しい。悔しいから戦わなきゃならない。戦うには武器が必要だ。じゃあ、俺の武器って何だ?」と悩んだという。その結果、辿りついたのが、古典落語だった。
ここから立川談春という落語家が誕生した、と言っても過言ではない。
「談志は俺よりも志らくの方が上だと考えた」。この屈辱が彼を大きくしたのだ。
そして、月日は経ち、いま立川談春は「落語界で一番チケットがとれない」男となった。
談春落語の魅力は上手さと度胸
談春の演目は、いわゆる古典落語といわれるものである。その上手さは群を抜いている。
談志が「『包丁』は、おれより上手い」と言ったそうだが、自信家の談志がそう言うということは相当なことである。
そして、上手さに加えて、その度胸も素晴らしいものがある。
談春はもともと競艇選手を目指していたこともあり、その後競艇の連載をもつほどのギャンブラーである。
ギャンブラーといえば「いちかばちかの度胸」である。それを彼はもっている。
笑福亭鶴瓶は、談春のことを「一言でいえば、わやくちゃ(めちゃくちゃという方言)ですよ」とテレビ番組で語っていたが、その部分が一番現れているのが、談志の十八番「芝浜」を、談志との親子会(弟子と師匠の会)でやったことで挙げられる。
師匠の十八番を、弟子が目の前でやるというあり得ない行為だが、本人は「覚悟を見せたかった」からだという。
談春が脂が乗り始めた頃は、談志は病気もあって衰退期に入っていた。いま最高の自分を生きている、世界で唯一認めらたい師匠に見せたい、という気持ちもあったのだろう。
談志は、事前にそれを聞いたときに、談春がやることを拒否したが、それでもやったのである。
さらに彼がもっている力は、演じている自分を俯瞰で見れるところである。
これは生で見たときに感じたが、熱を持ってしっかり演じながら、その一方でふと素に戻って話ができる。
客がついてきてないな、と思ったら補足できる。そういう、談志がもっていた能力を受け継いでいるのだ。
談春のおすすめの落語
談春の魅力はやはり笑って泣ける噺。今回はその中でも聞き終わった後に2時間の素晴らしい映画のような満足感のある2本を選んでみた。
「芝浜」
聞きどころ
談志の芝浜を聞いて落語家になろうと思った談春。その思いをすべてぶつけるように熱演している。ポイントはお金を渡すところ、江戸っ子の心意気なんて言葉通じない現代において、できるだけ納得できるように丁寧に話をすすめている。
「紺屋高尾」
あらすじ
染物屋という江戸時代における最下層ともいえる存在の男が、現代でいえばトップアイドルともいえる、吉原の花魁に恋して会いに行く話。
聞きどころ
花魁を見かけて好きなってしまった男の一途な恋。その思いを伝える熱い告白が聞きどころである。「おいらは、花魁が好きになっちゃったんだ、無理なのは分かっている、身分が違うのも分かる、でも、3年かけてお金を溜めてきたんだ、また3年溜めてここに来るよ」という言葉にジワリと涙がにじんでしまう。
チケットを取るのはなかなか大変だが、せっかく同じ時代に生きているのだ。死んでから「聞いておけばよかった」とならないために、ぜひ一度生で聞いてみてはいかがだろうか。
ニコニコ動画の映像
↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5720662?ref=search_key_video
さらに、その語り口のうまさは、彼の著書『赤めだか』にも生きている。もう談志への愛があふれた、泣ける内容になっている。『火花』か『赤めだか』かっていうぐらい、売れない時代の芸人の苦悩、葛藤が綴られている。こちらもおすすめだ。