子どもがトトロにハマった、連日繰り返し見るのだが、不思議なことにボクも飽きずに見ていられる。
じゃあ、何かストーリー展開があるのか、というと実は、終盤にメイちゃんが行方不明→探す→見つかる、ぐらいしかない。
では、何を見ているのか、それは「サツキとメイが楽しそうに遊んでいる様子」、つまり二人のわちゃわちゃしているところを見ているのだ。
楽しそうに部屋を探検する二人の仲の良さそうな姿、それが見るものに幸福感をもたらし、その幸福感を求めて、ボクらは中毒患者のように何度も何度も金曜ロードショーで放送されるたびにトトロを見てしまうのではないだろうか。
今回はこの映画の肝となっている「わちゃわちゃ」について書いてみたいと思う。
実は同類作品
そういう視点で見ると、意外とこういう「物語の展開よりも出演している人たちのやりとりが楽しい」作品というのは多い。
・水曜どうでしょう
・バイプレーヤーズ
・アンナチュラル
・モヤモヤさま〜ず
・路線バスの旅
といずれも名作が並ぶ。もちろん、事件は起きているし、ストーリーはあるんだけど、それよりも出演者の会話のやりとり、「わちゃわちゃ感」が見ていて楽しい。
それは作り手側も意識していると思う。
バイプレーヤーズの意図したわちゃわちゃ感
バイプレーヤーズの続編が始まる時、松重豊は「いわゆるドラマファンの皆様、申し訳ない。ただただオッさん5人でわちゃわちゃしているだけのドラマです」とコメントしている。
また、脚本を担当する、ふじきみつ彦さんは番組の軸について「おじさんたちが“わちゃわちゃ”している感じを出していけばいいんだと。ご本人役ということで、虚実を交えていけばいいという部分も含め、ドラマの方向性が定まったと思います」と語っていることからも、「わちゃわちゃ」がこのドラマのキーになっていたことがわかる。
人気脚本家も取り入れた?わちゃわちゃの力
こう考えると「アンナチュラル」の脚本家である野木亜紀子さんもそれを意図的に取り入れていると思う。
「重版出来」「逃げ恥」「アンナチュラル」と名作を作り続けている彼女だが、優れたストーリー展開とは別に「逃げ恥」では藤井隆と古田新太のやりとりが、アンナチュラルではさらに一歩進んで、石原さとみと市川実日子を中心に、井浦新、窪田正孝の4人の絡みが、「UDIラボ楽しそう!」と思わせた。作品を追うごとに、わちゃわちゃ度が増している様に感じるのは私だけだろうか。
そういえば、岩井俊二の「花とアリス」という映画もストーリーよりも女子二人が楽しそうにしている様子が印象に残っている。
アニメの「ゆるキャン△」もキャンプという軸がありながら、ベースは女子のわちゃわちゃを描いている。
どうやら、女の子のわちゃわちゃとおっさんのわちゃわちゃ、この辺が癒しに繋がるように思える。
「わちゃわちゃ系」の共通点とは
この「わちゃわちゃ系」の作品群に共通しているのは以下の点だ。
・ストーリーよりも、やりとりが楽しい
・ずっと見てられる
・たまにケンカとかするけど、基本は仲が良い
・中毒性が高く、繰り返しの鑑賞に耐えうる
これは作り手側からすれば最強のコンテンツと言えるだろう。
大掛かりな仕掛けはいらず、仲の良い出演者のやりとりだけで成立するなら、こんなやりやすいものはない。
なぜボクらは仲の良い人を見てしまうのか
サンドイッチマンが人気の理由に「仲が良いのが伝わってくるから」というのがある。
他の会社を訪問していて、「あぁこの会社良いな」と思うのは、社員同士の仲が良さそうな様子を見た時だったりする。
なぜそんな気分になるのか。それは現実が過酷だからだろう。
幸せだと考えられていた、お金持ちの不幸、結婚の不幸が語られたり、告白して振られたらLINEのやりとりを晒されたり、虐待や貧困があったりと、現実は辛く、ギスギスしている。
かつて地元の友達や、会社はずっと続くものだった、そうなるとみんな仲良くやるしかない。でも、今は引っ越せばいい、転職すればいい、という気持ちがあるので、仲良しを裏切るのも平気になっている。縁を切れば良いのだから。
一方、テレビでは「●●さんに成人病の危険が!!」なんて、恐怖心を煽っている。
現実社会もテレビも不幸な話が多く、みんな孤独になっている。
そんな危うい時代だからこそ癒しとして「わちゃわちゃ系」が機能するのかもしれない。
そんなことを大泉洋と藤村Dがゲラゲラと笑う「水曜どうでしょう」を一気見しながら、考えてみた。
あ〜水曜どうでしょう、面白い。ずっと見てられる。対決列島が一番好き。
ネトフリにいっぱいあるので、未見の方はぜひ。
配信終了とかもあるのでDVDの方が確実です。