さいきん地政学や経済などの視点で、日本の歴史を読みなおすという本が多く出版されている
その中でも読みやすくて、発見が多かったのが「エドノミクス」だ。
江戸の大工の収入は大企業のサラリーマンレベルだった
この本を読んで発見がいくつかあったのだが、その中でも面白かったのが、江戸の大工の給料の話。
本書によると「大工のベテランは当時のエリート技術者だった。現在の大企業のサラリーマンレベル。
百俵五人扶持の家柄はかなり上の官僚だが、官僚よりも大工の方が給料が良かった」という。官僚よりも技術者の方が給料が高いなんて、けっこう良い社会だなと思う。
そんな個人の収入以外に興味深かったのが幕府の収支の話だった。
幕府はどうやって収入を得ていたのか
文久3年(1863)の幕府歳入は580万両だったという。
その内訳をみると、年貢収入は96万両しかないという。その一方で貨幣改鋳益金という金額が158万両もある。
ここに江戸幕府の錬金術のカラクリがあったのだ。
そもそも全国を統一したと言っている江戸幕府だが、収入的には一地方の藩レベルしかない。そんな幕府が全国の面倒をみるために編み出したのが「改鋳」だった。
小判に含まれている金や銀の比率を下げて、そのぶん余分にお金を刷って、カネを増やすという方法を採っていたのである。
現代において1万円札の紙の価値は一万円ではない。だが、当時は世界中どこに行っても金1両の価値は1両だった。
それを江戸幕府は金の比率を変えることで、まるで「ポケットの中のビスケット」のようにお金を増やし続けたのである。
さらに面白いのが、武士の給料が米だったことによる弊害だった。武士は大量の米を自分で食べるわけではなく、売りに出す。
もしもインフレでモノの値段が上がっても、もらえる米の量が増えるわけではないため、米の値段があがらず、武士の不満が募り、逆にデフレだと経済が回らなくなって武士が困る。
インフレでもデフレでもダメなそんな綱渡りを260年続けてきたのが江戸幕府なのである。
江戸時代のGDPはアジア圏ではトップだった
もうひとつ興味深かったのは、我々日本人は高度成長期にGDPが上がり続けたと思っているが、実は江戸時代のGDPは、高かったというのだ。
「江戸の繁栄がはじまったのは文政年間(1818~1830)です。この時期の経済成長率は1%程度。産業革命以前の世界では長がつく高度成長だった。
その結果、19世紀半ばの日本の一人当たりの所得はアジア圏ではトップ、南米や東欧にもひけをとらない水準にまで発展したと推計される」とあり、勤勉な日本人が当時あり得ないほどの経済成長をしていたことが分かる。
江戸時代に特に裕福なイメージはないけど、初鰹が8万5800円とか聞くと、すごい羽振りの良さだなぁと思う。
この本を読んでから、落語や江戸の本を読むとまた少し見方が変わるかもしれない。