実は和食の滅びの様子が描かれている~英国一家日本を食べる

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外国人が日本に来て美味しいものを食べる旅行記。

そんなありふれたテーマなのに、この本はシリーズも含めて累計15万部と売れに売れて、NHKでアニメ化もされた。

この本のヒットの要因は、よくある日本絶賛本にとどまっておらず、日本人も気付いていなかった和食の滅びの姿を描いたからかもしれない。

フードライターが家族で日本に来て食べまくる話

この本を一言でいえば、イギリスのフードライターが家族連れで日本に来て、歌舞伎町の路地にあるお店から、北海道の魚介類を食べたり、京都で豆腐料理を食べたりと、色々なものを食べる、という内容。

ちなみに僕は2回読んでて、一回目は普通に面白いなぁと思って読んだんだけど、後から頭に残ったのは、辻さんの接待のエピソードだった。

なんであんな話を入れたんだろう、その意図はなんだろうと思って、もう一度読んで改めて気付いたのが、3つの不自然なエピソードだった。

一つ目が、服部料理学校の服部さんが若手の料理人を酷評するシーンだ。

それは主人公が和食の真髄を知ろうと、服部料理学校を訪れたときに起きた。その日はコンテストがあり、プロの料理人が服部さんの前で料理を出し、審査を受けた。

試食中からイライラする服部さん。そして審査の場では「みなさんは出汁(だし)のことが何も分かっていない!」と叱責する。学生ではなく、プロの料理人なのにである。

二つ目が関西の料理学校である辻調理師専門学校を訪れた時のこと。

校長への取材を終えた後に、今日行く料理店を伝えると、それなら私も一緒に行きましょうとなって、二人で料理を食べ、女の子のいるお店に行くシーン。

ここも必要なのだろうか、と思ってしまう。辻さんなりの日本式接待だと思うが、何か余計な気がする。

最後が紹介制のお店で絶品料理を味わう場面。服部さんの紹介で行った「日本一美味しいお店」で震えるほどの感動を味わう。

ただ、帰り際に女将が主人公に向かって「あの人は長くは生きられない。それだけ料理で命を削っている」という趣旨のこと耳打ちするシーンがある。

そのセリフからは本物の料理が「持続可能」ではない可能性を予感させる。

あり得ないほど美味しい和食は、命を削らないと生まれないのだ。

日本人は過去の遺産に生きている

ずいぶん前に本田圭祐のインタビューで気になる発言があった。

外国人が日本にきて、サービスや料理を褒める。

それは日本人として嬉しいんだけど、実際のところはそれは過去の人(僕らの祖父や祖母の世代)が作り上げたものであって、いまの若い人の実力ではない、という話だった。

確かにいま世界の人が絶賛する文化はすべて過去の集積であって、僕ら若い世代がそれをしっかり引き継いでいるかといえば、そうでもない。

特に修業期間が長く、若い時にはぜんぜん稼げない和食の世界は、実は終焉に向かっていて、いまは過去の人たちが積み上げた遺産で今のポジションをキープしているだけかもしれない。

それを予感させるのが、次世代の和食を担う人材を育成する、二つの料理学校で和食の明るい未来を感じることはできず、さらにいま日本で最高の和食はもうすぐ無くなることが予見されているのだ。

毎日外食をしても食べきれないほどのお店が存在する日本で、和食という文化は正統性を保ったまま生き残れるのか。

もちろん我々の普段の食事だって和食だし、料理として滅びることは決して無いんだけど、でも、和食の頂点のところはすでに砂のお城のように、さらさらと日々消えているのかもしれない――。

本書は美味しい、美味しいと日本食を食べる一方で、和食の滅びの姿「退廃美」が低重奏のように流れているように感じる。だからこそ異例のヒットに結びついたのかもしれない。

ゲラゲラ笑って読める一方で、そうした深読みもできる、本書は日本食賛美の本の中でもスペシャルな作品だと思う。

外国人観光客が増える今だからこそ読んでおきたい一冊だ。

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