ある日、バーで隣に座った初対面の男性と意気投合して、お笑いの話をしていた時にふいにその人が「いや~蛙亭のイワクラの才能は、松本人志に匹敵するでしょう」と言った。
その言葉を聞いた時、思わず息を飲んでしまった。
実は私もまったく同じことを思っていたが、まだ口には出せずにいたからだ。
ずいぶん前にテレビの番組で大泉洋が松本人志に「つまらない」と言われる場面があった。
それに対して大泉洋はこう言い返している。
「あなたがそれを言っちゃだめよ。あなたがお笑いの世界をぜんぶ作り変えたんだから、あなたがつまらないと言ったら本当につまらない人になっちゃう」
そう、松本人志はお笑いの世界を作りかえた男である。
その人の才能に匹敵する、というのはいくら飲みの場でもなかなか口に出せるものではない。
だが、その一方で、たまたま会ったお笑い好きの2人がなぜ同じことを思ったのか。
お笑い第7世代は確かにすごい。
だが、それはダウンタウンになりたかった第6世代の若手たちが到達できないままでいる中で、別のベクトルの笑いを生み出したことに対する、すごいであって、ダウンタウン、特に松本人志と戦って勝てる要素なんて、みんな持ち合わせていなかった。
そのお笑いの歴史の中で、イワクラさんには匹敵するのでは、と思わせる何かがあるだけですごいと思う。
では、なぜそう思ったのか。その答えについて考えてみたいと思う。
何を見てそう思ったのか?
そもそも何を見てそう思ったのか。それは2020年9月にゴッドタンで放送された「自首」というコントだった。現在は、蛙亭の公式Youtubeでも見ることができるネタだ。
このコントの何が特別なのか。
それは一言でいえば「飛躍する力」だ。お笑いの世界では「ぶっ飛んでいる」という誉め言葉があるが、それは思考をただズラすだけではなく、飛距離があることを意味する。
もう少し詳しく説明すると、お笑いにおけるボケを「間違えること、なおかつ面白いこと」と定義した場合、例えば結婚相手のご両親への挨拶で、彼氏が「お父さん、娘さんをください!」と言って「ちょっと待って、私はお母さんです」と言えば、お父さんとお母さんというズラしになる。これは間違えているが、面白くはない。
その一方で「お父さん、娘さんをください」の答えが「いや、ちょっと待ってください、私は通りすがりトレジャーハンターです」と言えば、それはズラしではなく、飛躍となる。
でも、なぜトレジャーハンターが出てきたのかはよく分からない。そこに必然性と連続性は無くなる。つまり、ボケに大切なのは「飛距離」と「着地するポイント」だということが分かる。
そう考えた時に、蛙亭の自首のコントの凄さは、ちょっと飛びぬけていると思う。
まず出だしで、警察官(イワクラさん)がいて、そこに男(中野くん)が「僕を捕まえてください」と自首にやってくる。
ここで見ている人が事件の予感を感じる。「どうしましたか?」と聞く警察官に対して、男は「花と○ックスをしました」と答える。
ここからはほぼ男の一人語りとなる。てっきり花と交わる下品な話が始まるかと思いきや、好きな花を嫉妬させるために別の花と寝たという想像以上に耽美な世界。嫉妬をやかせるために別の花と寝た彼の中には確かに罪悪感があるだろう。だが、それは警察が取り締まる犯罪ではない。
いや、そもそも花と交わるってなんだ。そして、なぜ彼の服は濡れているのだろう。
警察官のイワクラさんは、そんなクレイジーな彼の言葉を最後まで聞き、彼の言葉を否定するわけでもなく彼の本命であった「紫のアジサイにも謝ってください」と伝え、男は交番を去り、最後は空を見上げ「雨が上がっている」という。
つまり、彼の服が濡れていたのはそれまで降っていた雨のせいであり、アジサイが最もキレイに咲く梅雨時の6月に彼は花と交わったことが分かる。
どうでしょう。この作品性の高さ。ある種の文学性さえ感じさせる。
私と隣に座ったお笑い好きの方が見終わった後に「松本人志に匹敵する才能」と感じたのがこのコントだったのだ。
警察、自首という設定の先に「花と○ックス」が出てくる飛躍力。
それこそが蛙亭の凄さだと思う。
蛙亭の凄さは「転」にある
その視点で蛙亭のコントを見た場合、登場の時点で笑いをとるケースもあるが、それよりも起承転結の「転」の強さが際立っていると思う。
その中でも特に特別だと思うのが「罪」というコントだ。
罪の中身は以下の通りだ。
悪そうな男(中野君)がたばこをポイ捨て
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警察官登場
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「何が悪いの?捕まえる?」と悪びれない男
↓
警察官がいきなりピストルを撃つ
↓
「何するんだ」と男
↓
実は警察官は「蟻の生まれ変わりで、お前のポイ捨てで両親が焼かれて神様にお願いして人間に生まれ変わって復讐に来た」と告げる
↓
男がびびる
↓
本物の警察が来て、蟻の生まれ変わりは「いつも見てますからね」と告げて去る
↓
男が残りされて「ポイ捨てアカン」と言って終わる
通常だと警察官がピストルを撃ったところが「転」になる。
物語にピストルが登場すれば、それは撃たれなければならない、というドラマの鉄則の通り、ピストルは放たれる。そして物語が展開するかと思いきや、本当の「転」は警察官だと思った人が「元蟻」だったともう一度展開する。
これだけの跳躍力は、他の芸人を見渡しても匹敵する人はいないと思う。
同様に凄いのが「スポブラ」というコントだと思う。
女の子が男の子に「スポブラって知ってる?」と聞く
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動揺する男
↓
「見せてあげる」と言って服をまくるとそこにはダイナマイトがあり、担任と母親が不倫をしているから、教室ごと吹っ飛ばすと女の子
↓
固唾を飲む男の子
↓
「いいからスポブラ見せろよ!」と叫ぶ男の子
↓
スポブラを見せてもらい、「これが僕と妻との出会いだった」という締め
個人的には、これが蛙亭の最高傑作だと思う。
ダイナマイトと男の性への興味なら、性への興味が勝つ。それをこれほど明快に表現したコントはない。
そして、拳銃、ダイナマイトという仕掛けの登場により、物語を展開させたと思わせておいてから、もうひと展開させる力は本当に特別だと思う。
蛙亭のコントはぜひ「転」の跳躍力に注目して見て欲しい。
中野くんという逸材
次にネタを書いてない方のツッコミの中野くんについて書いてみたいと思う。
少し中野くんから話は逸れるが、僕は中学生の時にバスケ部だった。
その時に伸長が185センチというだけでレギュラーの人がいた。下手くそだし、練習しても成果が出ないタイプだったがずっとレギュラーだった。
バスケの才能があったわけではない。だが、バスケに必要な高身長という要素は兼ね備えていた。存在そのものに価値があったのだ。
それと同じことが蛙亭の中野くんにも言える。ラジオやYoutubeなど蛙亭の素が見える部分を全部見ているので、もう結論を出していいと思うけど、中野くんは別に面白い人でもないし、面白いことをしようとも思っていない。いわゆるお笑いIQが高い人でも天然の人でもない。
だが、その特別な声とフォルム(特に裸)。そして最近の「爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!」で明らかになったのは、ネタはイワクラさんが作っているが、実はほぼ設定だけに近く、セリフなどの細かい演技は中野くんのアドリブで生まれている。つまり、エチュード(設定だけあってアドリブで演技すること)の能力が飛びぬけて高い、ということである。
その結果、中野くんという人間そのものは面白くなくても、声の出し方や裸の奇妙さによってステージにいるだけで笑いが起きたり、キャラを入れた演技で笑いが起きるなど、面白いことをやろうとして失敗する人よりもよっぽど大きな笑いを得ることができるのだ。
中野くんのお笑いIQは高くないかもしれないが、その代わり見た目、声、演技という部分でお笑いの神に愛される要素は満載なのだ。
かつて「バファリンの半分はやさしさでできている」という言葉がTVCMで流れ、その「やさしさ」とは抽象的な言葉ではなく、実は「胃が荒れるのを緩和する薬だった」という話があるが、蛙亭のすごさがイワクラさんの書くネタにあることは確かだが、その毒の成分が強いネタを中和して、多くの人に届くポップさを付与しているのは、中野くんの存在にあることは間違いないだろう。
松本人志と蛙亭のイワクラの話
さて、冒頭に戻って、蛙亭イワクラさんの才能は、本当に松本人志に匹敵するのか、について考えてみたい。
それを考えるためには、松本人志の笑いについて考える必要がある。
「ごっつええ感じ」を見ていた人なら分かると思うが、松本人志の作るコントは確かにすごかったが、その一方で出発点は、既存のフォーマットを使ったものが多かった。
それは例えば、料理番組の調理台、アシスタントの女子、若くて調子の良い男性、そしてプロの料理人、というフォーマットの中の料理人がぶっ飛んでいるキャッシー塚本が一番分かりやすいと思う。視聴者からすれば見慣れた場面、設定の中にぶっ飛んだ人がいる。
子連れ狼やボクシングの国歌斉唱など、あるあるの光景が破壊されている様を見せつける、その圧倒的な破壊力こそが、松本人志のコントが持つ魅力だった。
一方のイワクラさんは、ナイツのラジオに出た際に、憧れの芸人の名前で、ダウンタウンを挙げず、「吉本新喜劇で見た芸人さんたち」と答えており、影響を受けていなそうな様子。
つまり、松本人志の影響などを受けずに、オリジナルであの世界を作り上げているのだ。
その源泉となっているものは、一体なんなんだろうか。
蛙亭と空気階段に共通すること
その理由の一つは、作品がメッセージを伝えることから始まっている点にあると思う。
「罪」でいえばそれは「ポイ捨てあかん」であり、「摘む人」であれば「女性は騙されないように気を付けよう」というのがメッセージとなる。
摘む人は、女性の部屋に入り込んだ下心のある男が「あれ、この部屋が盗撮されている動画を見たことがある、僕の部屋に逃げよう」と言って女性を連れだすが、実は全部男が考えたウソというコントである。
これはイワクラさんが同じ話をテレビで見て、女性が騙されないように注意してもらおうという注意喚起のために作ったという。
このメッセージありきでコントを作るのは、蛙亭と同じぐらいブレイクしている空気階段についてもいえる。
彼らの有名なクローゼットというネタは「浮気はダメ」というメッセージから始まっているし、キングオブコント決勝のネタである「定時制高校」は、終わった直後に水川かたまりが「愛のすばらしさを伝えるために作りました」と語ったように、メッセージありきでコントが作られているのが、その特徴だ。
つまり、世の中にメッセージを伝えることが目的であり、コントが手段なのだ。
そして、そのメッセージを伝えるコントの中に「切なさとか色々な感情を込めたい」とイワクラさんはいう。
だからこそ彼らはネタ中に笑いを取るための無駄なふざけ合いのようなことをしない。
それは笑いを取るためには必要かもしれないが、メッセージを伝えるうえではノイズとなるからだ。
それが良いか悪いかは分からない。ただ、その結果、演技に集中して、作品性が高まり、それが特別な印象として多くの人の心に残っているのだろう。
さて、冒頭の質問である、蛙亭イワクラさんは松本人志に匹敵するのか、という問いだが、その答えはNoであり、Yesともいえる。
お笑い芸人、テレビスターとしての力量でいえば、圧倒的にかなわないだろう。
だが、コントにおける飛躍力という意味では、ひょっとすると凌駕できるのかもしれない。
現状では、あの「自首」における輝きは一瞬のきらめきだけかもしれない。だが、この先の話でいえば、まだ可能性はあると思っている。
まだ掘り切れないイワクラさんのヤバさを蛙亭のラジオで垣間見る
なぜそう思うのか。それは蛙亭のラジオやYoutubeでの素のトークを聞けば聞くほど、イワクラさんのヤバさは、まだまだ深いところにあると感じるからだ。
特に凄かったのが、ポッドキャストで配信しているラジオである。
当初のラジオのコーナーで「絶対いけるけど行ってはいけない女」というものがあり、最初はイワクラさんが読者のメールに対して「ああ、こういう女はダメですね、絶対ヤバいです、行っちゃだめです」と言っていた普通のコーナーだった。
だが、ある時、なぜこんなに行ってはいけない女が分かるのか、という話から実は自分自身が行ってはいけない女であり、行ってはいけない女=イワクラであることが判明。
そこから芋づる式に、イワクラさんがいわゆる「重い女性」であることが明らかになっていったのだ。
現在はコーナー名も「イワクラ」になり、男性に対して重すぎる女の人の投稿が次々に届く恐ろしいコーナーになり、イワクラさんはそれに対して「これはイワクラですね」「これはイワクラじゃないです」と謎の仕分けをしている。
中野君は、このコーナーを「怖い、怖い」と言っているが、僕はこのコーナーを聞きながらワクワクしている。
イワクラさんが異性に対して、異常なほど突っ走れる力は、ある種の客観性の無さであり、それは世間の常識からすると危険だが、笑いを作っていく、という作業においては、このバランス感覚の欠如こそが、独創性に繋がるのだ。
これまで「ヤバいやつのふり」をしながら、実はまともな芸人はたくさんいた。
だが、彼女の場合は、どうやら本当にヤバいようだ。それでいて、家庭環境などの育ちは普通であり、お笑いマニア的なところも無いので、非常に常識的なところもあり、その結果が「ポイ捨てやめよう」などの驚くほど普通の着地点になっているんだと思う。
「普通」と聞くと、悪いように感じる人もいるかもしれないが決してそんなことはない。実はこれはいま売れるために非常に重要な要素なのである。
その例としてマジカルラブリーのM-1優勝をあげてよう。
僕は前回の出場時が不評で、今回優勝できたのは、導入の普通さが要因だと思っている。
前回は「野田ミュージカル始まるよ~」という奇妙な出だしで観客を置いてけぼりにしたが、今回は「フレンチのマナーを学びたい」「満員電車が揺れる」など、そこそこオーソドックスな導入だったことで、とりあえず、みんな入口には入ってくれたと思う。
個人的には、見る側が昔より異物を受け入れる力が落ちているように思うが、だが、そんな現代の笑いにおいては起承転結の「起承」のあたりは普通な方が、お客さんは安心して見ていられると思う。
そこから急に展開する、その展開力こそが重要であり、その点で展開力に優れた蛙亭が今の時代に評価されるのは当然だといえるだろう。
終わりに
この蛙亭の文章は、冒頭のバーの一件があった2020年9月には書き始めていたが、まったく終わらず、出来上がったのは2021年4月になってしまった。
最初はイワクラさんが「ヤバい」「ぶっ飛んでる」「すごい」ということを書いていたが、そこには意味が無いと思い、ずーっと観察した結果、やっぱり「転」の力が凄いのでは、と思って、そこを中心に掘り下げてみた。
最初は仮説であったが、「爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!」で、即興でコントをやった後にイワクラさんが「もう少し起承転結の転の部分で『実は超能力が使える』みたいな展開ができればよかった」と語っていた時に、やはり「転」を強く意識しているんだな、と確信を持ったから書けたと言える。
2021年4月現在、お笑いファン的には、蛙亭は「注目のコンビ」ぐらいの位置づけだと思う。
ここから伝説まで到達できるかは、次の3つの要素だと思う。1つはキングオブコントで結果を残すこと、もう1つは伝説になる単独ライブをやれるか、あとはラジオスターになれるかだと思う。
もはや座組コントで伝説を作る時代ではなくなった。上記の3つを足掛かりに、どうか長く長く蛙亭のコントが楽しめる世界になって欲しいと思う。
とりあえず、ラジオと公式のYoutubeはいつでも聞けるので、気になった方は、ぜひそこから楽しんでみてはいかがだろうか。