戦後最大のフィクサー児玉誉士夫を語る時に「村上春樹の『羊をめぐる冒険』の先生みたいな人」という例えがある。
だが、フィクサーマニアである僕は児玉誉士夫関連の本を読みまくって、色々と調べたりしているだが、その視点で読み返すと「いや、もうそのままじゃん、よく書いたな」と震えてしまった。
なぜ震えたのか。それは小説の中の出来事と同じように、この作品をこの世から全て消されてもおかしくないぐらい、ほぼありのままに書かれていたからだ。
例えば、佐高信さんは児玉についてこう語っている。
「’71年に竹森久朝さんが『ブラック・マネー』という本で児玉のことを書きましたが、販売直前に児玉の手下が乗り込んできて、販売中止に追い込まれた。当時はまだ声を出して児玉について語れる時代ではなかったのです。恐ろしい、闇の存在でした」
僕の昔の会社の顧問が元総会屋(いまはニコニコしたじいさん)で、その人の活動は企業の暗部を書いた新聞を作って総務に行って「これが発行されていいのか、定期購読で買い取ってくれ」と机の下の方を蹴って、何百万をもらう人だったが、その人によると児玉は一総会屋レベルでは、とても近づける存在ではなく、その手先レベルがようやく会える人物で、当時の株取引の現場では「コダマが動いた」の噂だけで株価が大きく動いたという。
それぐらいやばいタブーな人物が児玉だったのだ。
さすがにタブーをそのまま書くのはまずい。村上春樹はどれぐらいぼかして登場させたのかを見てみようと思う。
小説の先生
・北海道出身で、右翼の大物。
・12歳の時に家を出て朝鮮にわたり、上手くいかず、東京に戻り、転々と職を変えて右翼団体に入る。
・一度だけ刑務所に入った。
・刑務所から出て満州に移った
・関東軍の参謀クラスと仲良くなって、謀略関係の組織を作る。
・その組織では麻薬を扱っていて、中国大陸を荒らしまくる
・ソ連参戦の2週間前に抱えきれない貴金属をもって駆逐艦に乗って帰ってきた。
・A級戦犯で逮捕されるが、調査は途中で打ち切られる。理由はうやむやだが、おそらく米軍との間に取引があったんだろう。
・巣鴨の刑務所から出ると、隠しておいた財宝をふたつに分けて、半分で保守党の派閥をまるごと買い取り、あとの半分で広告業界を買い取った。
・資金源は株。株式操作、買い占め、乗っ取りを行う。脅迫まがいのこともやる。
・政治家、情報産業、株を押さえている。
上の流れを見ると、明らかに違うのは2点。
出身地が福島から北海道に変えられていること、帰国したのは駆逐艦ではなく、朝日新聞の飛行機だったことぐらい。
刑務所に入った回数とか、朝鮮に渡った年齢とか、その辺は違うけど、誤差の範囲で、児玉が死の床で「俺はCIAの工作員だった」と語ったのは、のちに判明したことだけど、この時点で「アメリカと取引があった」と書いている。
つまり、小説でありながら、ほぼ完全に児玉のことを書いているのだ。
ちなみに「羊をめぐる冒険」が発表されたのは、1982年。児玉は1984年に亡くなっているが、このころは、ちょうどロッキード事件で証人喚問をされるも病気を理由に出廷せず、自宅療養していた時期にあたる。
羊じゃなくて何が児玉を変えたのか
児玉誉士夫の経歴を見ると、国内、満州、帰国後で確かに大きく変わっている。
国内時代は天皇に直訴とかして、ちょこちょこ捕まったり、北一輝、大川周明、頭山満の息子とか、大物の周りをウロウロとしているけど、せいぜい捕まって箔がついたぐらいの小物の中で目立つやつ程度の存在だったと思う。というのも、北一機も大川周明も児玉について言及してないからだ。
満州に行った直後も大したことなく、現地で出していた日本の新聞にいちゃもんをつけて乗り込んだりしていたが、当時の新聞社の人の印象は「軍上層部との関係をたてに偉そうにしている右翼」程度だったという。
ところが帰国後は、内閣の相談役になったり、右翼と暴力団をまとめて、学生運動に対抗したり、株の取引きでは、中曽根さん、ナベツネあたりと組んで動いたりと、ド派手な活動が目立つ。
何が彼を変えただろうか。
その秘密は満州での日々にある。児玉の満州での役割は、物資の調達だった。
戦時中に鉄が足りなくて、お寺の鐘が溶かされた話は有名だが、戦争には物資がいる。だが、日本は資源国ではない。どこにあるのか、それは中国だった。とはいえ、普通の取引では、物資は入手できない。無理やり強奪すれば、向こうは人数が多いから袋叩きに遭う。
その結果、児玉が行ったのが、中国でヘロインと物資を交換することだった。それは日本政府の指示だと思うが、国が表立ってできることではない。裏の組織である「児玉機関」が日本政府の代行をして、中国の奥地まで行って、物資の調達を行っていたのだ。
非合法と言えば、非合法だが、国のためにやっているんだ、という気持ちもあったと思う。
そして、大量の貴金属は、お金ではなく、物々交換のやりとりの中で入手し、蓄えたものだった。
ちなみに児玉は、その後、インドネシアのスカルノ大統領に合う女性を、日本のクラブから調達している。それがいまのデヴィ夫人だが、彼女の所有する20カラットのダイヤは児玉が持ち帰ったものだという噂がある。ちなみに児玉が持ち帰ったダイヤは約5万2000カラットあったといわれている。ケタ違いだ。
児玉の著書によると、持ち帰った財宝は日本海軍のものだからと返そうとしたが、日本海軍がもうないから国のために使えと言われて、自民党の設立資金にしたという。
次の総理大臣をだれにするか、などの会議に呼ばれるほど自民党にがっつり入り込んだ児玉は、広告の分野では、電通ではなく、博報堂の方に食い込み。さらに、東スポも児玉の傘下だった。
話を戻して、なぜ児玉は変わったのかの答えは、満州での日々が彼を変えたのだろう、というのが結論になる。
児玉の満州時代の足跡は当時、謎に包まれていたし、羊が入り込んだから、という方がよっぽどしっくりくるかもしれないが、実際は満州の脅したり、懐柔したり、裏から手を回したりしながら、物資を搔き集めた日々を通して「暴力(実際に暴力をふるうのではなく、存在をほのめかす)」と「情報」と「国のトップとのつながり」がどれだけ人に影響を与えるかを学んだ、というのが答えだった。
1982年の児玉誉士夫
「羊をめぐる冒険」が発表された当時の児玉はどんな様子だったのだろうか。
冒頭に書いたように病気療養中で地下に潜っていた時期だったが、実際のところはそうではなかった。
この時期の児玉の家に書生として出入りしていたのが、元日大応援団で芸能界最強伝説をもつ、山本晋也監督。彼はこの時期を振り返って「いろんな大物が出入りするし、活気があった」と語っている。
フィクサーと聞くと、なんだか裏社会に君臨しているイメージがあるが、実際は裏の便利屋であり、調整係である。
政治家の愛人問題が週刊誌に載る!児玉さんどうにかしてくれ。変なやつに会社の株式が買われている児玉さんどうにかして、など次々に相談する人物がやってくる。
それをさばくためにいくつもの応接室があり、多くの人が日々出入りしていたという。
そんな時期に自分がモデルとなった人物が小説の中に登場したとしても、今さら騒ぐこともできなかっただろう。当時はまだ村上春樹も無名だったし。
とはいえ、月日が経っても「羊をめぐる冒険」の先生の凄みは、色あせず、やけにリアリティがあると思っていたが、まさかほぼリアルだったとは驚きだ。小説の中の世界と同じように、全部回収になる可能性もあっただけに、なぜ彼がそんなリスクを冒したのか、という謎は残る。
1個だけ可能性として挙げられるのは、当時彼が戦っていたものを置き換えた可能性がある。
当時彼が戦っていたもの、それは「文壇」と呼ばれる、実態のない作家集団の声だった。
戦っていた、という言い方が妥当かは分からないが、少なくとも村上春樹という存在を文壇は受け入れなかった。村上春樹もそんなところに迎合する気はなかった。
その辺りは明確には語っていない。だが、随所ににじみ出ている。壁から水が漏れるみたいにジワリ、ジワリという感じで。特に村上春樹の原稿が流出したときの声明文などにその辺の心情がよく出ていると思う。
既存の文学界、あるいは文壇と呼ばれる存在と自分との闘いを、戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉を登場させることによって、物語の中に再現したのではないだろうか。
もう一つの説は、業界人なら知っている児玉の存在をありありと書くことで「こいつマジか」と周囲の人たちをビビらせる、という狙いもあったのかもしれない。
いずれにしても、彼の行為は存命中であることを考えるとかなり危険だった。
だいぶ月日が経って、私が児玉誉士夫を調べるために近くの図書館で彼の著書を借りようとしたら、書庫扱いになっていて、さらに借りる時には住所氏名を書かされた思い出がある。
その時は、ああ、これで俺が捕まったら「右翼の本を借りるなど危険思想をもち」と言われるのかなと思った記憶がある。
それぐらい児玉はリスキーな存在なのだ。
その視点でみると「羊をめぐる冒険」が以前よりスリリングに読めるかもしれない。
気になった方はぜひ読んでみてはいかがだろうか。