モンスターハウスで「水曜日のダウンタウン」は何を見せようとしているのか?

まだ終わってないシリーズの話をするの良くないが「水曜日のダウンタウン」のモンスターハウスがすごい。これはテラスハウスのように男女が一つの家で暮らす企画。だが、違うのはそのうちの一人がクロちゃんという稀代のモンスターである、という点にある。僕は毎回「クロちゃんヤバイ」しか言ってない。たむけんがいうように「新感覚ホラー」になっている。

一方でネット上では、やらせ疑惑がある。どこまでがやらせで、どこからが演出かという話をする気はないが、この件について1つ具体的な話をしたいと思う。

最初の方で若い男の子(たいがくん)と、らんちゃんがデートをしてキスをしたシーンがあった。いかにも、テラスハウスっぽい場面である。

このデートをしたお店と、キスをした場所が、たまたま私の職場の近くだったので昼休みに実際に歩いてみたのだ。

デートで使ったお店は原宿で、キスをしていたのは青山墓地のあたりである。とてもとてもデートで歩く距離ではない。だいたい40分はかかるのだ。

では本人が車で移動したのか、それはない。最初のお店でお酒を飲んでいるからだ。そうなると、タクシーで移動したのか? なぜ青山墓地でタクシーをおりるのか? あの辺にはデートで使えそうな店やスポットはない

そう考えると、最初からスタッフがおしゃれな店と、キスしても不自然でないロケーションを用意して、そこをロケバスで移動した、と考える方が自然だと思う。

そこから分かることは、このモンスターハウスには演出が存在しているということ。

演出があるということは、そこには意図があるのだ。それは何なのか。それをこの文章では書いてみたいと思う。

番組はどこまでやっているのか?

ということで、あの「モンスターハウス」には台本が存在すると思う。

例えば、クロちゃんとらんちゃんがキスをしたシーンで、さのけんさんがクロちゃんの異常性を認識しながら、女性と二人きりにしたのは不自然であったし、新たな女性が追加されたタイミングで女性陣が「女子部屋の案内するね」と男性陣だけにしたのも不自然であった。

また、ちょこちょこ挟まれるクロちゃんと友人の飲みの席で、その時々のクロちゃんの本音が聞けるのも演出のひとつだろう。

ただそれらは「ここでクロちゃんに感想を聞く」「ここで部屋を出ていく」などのざっくりとした台本だけで、その場で出てくる反応や言葉はガチだと思う。キスをする、しないの判断も本人任せだろう。

要するに、番組は「お膳立て」の演出はしている、だがそこで動き回る「モンスター」としてのクロちゃんはガチなのだ。

では改めて問いたい。何を見せられているのかと。

藤井健太郎の考える裏テーマとは

企画の出発点は「テラスハウスのフォーマットにクロちゃんを入れたらどうなるのか?」という単純な話だったと思う。

なので、前半はテラスハウスっぽいそれぞれの男女のデートの流れを番組側で用意した。

その一方で、クロちゃんだけは終始ガチであり、泳がせていた。

いったい「水曜日のダウンタウン」、もっといえばプロデューサーの藤井健太郎は何を見せようとしているのか。

そのヒントとなるのが、番組放送後などに藤井さんによってつぶやかれる以下の発言である。

クロちゃんがキスをした回の直後。

 

クロちゃんがくじ引きで自分が選択権を得た回の直後

選択権を行使して一人脱落させて、自分のことを好きな女性が加わった後のコメント。

 

当初僕はこの企画について「これはクロちゃんと言うクズがもっともクズな瞬間、つまり恋愛における裏での動きを、まざまざと見せつける」ことが目的だと思っていた。

だが、藤井さんがキスシーンを批判するのは「外見差別」だというように、イケメンであれば成立する場面もたくさんある。

では、何をやりたいのか。それは藤井さんがクロちゃんについて「誰もが持ってる「欲」や「みっともなかったりカッコ悪かったりする部分」が過剰に表に出ちゃっている人。だから、その一番の異常性は「他人からどう見られるか」を完全に無視できる所だと思う。だけど、それってどこか羨ましくあったりもする」と語っているのがヒントになる。

放送日にゲストで出ていたT-Pablowが「クロちゃんさん、言ってることはすごく良くないですか?」と言っていたが、実はその通りだと思う。

女性の「キモイ」という言葉は、男性にとって最強の攻撃力を誇るから、男はそれを防ぐために努力をしたり、最初から言われないためにキモイと自覚している人は女性と接しなかったりする。

でも、クロちゃんはキモイと言われても、前に進むのだ。

そして、キモイのはキモイけど、男から見てもプレゼントの選び方とか、場所のセレクトとか良いと思う。女性に対する言葉のチョイスも良い。それを二人に言っているからだめなだけなのだ。

良い作品の共通点

ちょっと話が逸れるが、僕は現代芸術にハマった時期があった。インスタレーションと呼ばれる空間芸術や電話ボックスに入って、知らない人と話す作品もある。帰り道にいつも「良い現代芸術ってなんだろう」と思っていた。

それで僕なりに定義したのは「見終わった後に、これまでと世界の見方が変わったら、それは良い作品」ということにした。

良い作品にはそれがあるのだ。年寄りは穏やかというイメージを覆す、やなぎみわの派手な老人の写真など、見終わった後に自分の世界の見え方が変わってしまう作品。それこそが良い作品なのだ。

そして、それはどの世界にも当てはまると思う。中田が出てくる前の日本サッカーは上手いが最上位にあった。だが、中田後は「強い」が上手いよりも上位になったのだ。定義を変えてしまった。だから中田はいまだに特別な存在なのである。

さて、クロちゃんだ。彼の恋愛は我々に何を見せてくれるのか。それは美男美女の美しい恋愛を見慣れた我々が初めて目撃する、キモイ人の恋愛という未知な光景である。

「ただしイケメンに限る」という価値観が跋扈する時代に、自分がキモイと言われていることを自覚しながらあの手この手で戦い続けるクロちゃんの姿は、間違えなく正攻法ではなく、ゲリラ戦ではある。

だが、だからこそ映像に残し、後世に伝えるべき戦法ともいえるのだ。

「ただしイケメンに限る」時代に抗うゲリラ兵の戦いの軌跡。

果たして我々はそれを笑うことが本当にできるのだろうか。

それこそが「水曜日のダウンタウン」が見せたかった、モンスターハウスのテーマなのかもしれない。

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