Netflixで2016年8月12日から、70年代後半のヒップホップ黎明期を描いたオリジナルドラマ『ゲットダウン』の配信が始まった。
現在、全13話のうち6話が配信されている(残りは来年らしい)。
ヒップホップ好きにとっては資料的にも当時を知るうえでも素晴らしい内容だったので感想としては「ぜひ見てください!」の一言で終わりなのだが、見ている中で、もう少しこういうことを知っていた方が楽しめるかも、という部分もあったので、その辺りを補足情報として追加してお伝えしてみようと思う。
題して『ゲットダウン』を10倍楽しむために知っておきたいこと。
なぜブロンクスで放火が多発したのか?
物語の舞台となるブロンクスは、NYの最北端に位置する地域である。面積は148.7平方キロメートルなので、世田谷区(58.08平方キロメートル)の約3倍の広さである。
このブロンクスの中でも最も治安が悪かった、サウス・ブロンクスでは1973年から1977年のあいだに3万件の放火があったという。
もっとも多かった1975年6月のある日は、3時間に40件の放火があった。
この放火は犯罪ではなく、アパートの大家が人を雇って燃やしていたのだ。
なぜなら、家賃収入よりも放火して保険金をもらった方が儲かるからだ。
一つの街で1時間に10件以上の火事が起きている状態。しかも金のために。
日本では想像できない世界である。
さらに市は貧困による犯罪と放火が相次ぐ、サウスブロンクスに対して「見捨てる」方向に舵を切っていた。消防署や学校などの公共サービスを次々と打ち切ったのだった。
そして、地域の若者はブロック(地域)ごとにギャングとなっていた。彼らの多くは貧困層である。万引き、ドラッグ、そして殺人が日常の中にあった。
すべては繋がっていた。この悪い連鎖から抜け出る手段など無いように思えた。
そんな閉塞感に満ちた街こそが、サウスブロンクスだったのである。
しかし、その閉塞感こそが、ヒップヒップを生むバックボーンとなったと言っても過言ではない。
貧富の差が生んだ青少年の1/3は高校中退という現実
ブロンクスは、第一次世界大戦の後に一気に発展したが、1970年代には都市の劣化が進み、 プエルトリコとドミニカの移民が増え、さらに荒廃が進行し、犯罪率も高まっていた。
ちなみに、1950年代頃から1980年ごろまでのアメリカ各地の主要都市では、都市部にいた白人が郊外に流出して、黒人が急増する都会と、白人や富裕層が増えた郊外という構図になっていた。
例えばデトロイトでは、第二次大戦直後は150万人が白人だったが、1990年には80%が黒人となり、白人は20万人にまで減っていたという。
これの一番の問題は、教育費に差が出る点にあった。裕福な郊外の生徒一人に対する予算が1万1,455ドルだったのに対して、市内は約半分の6,584ドルしかなかったという。その結果、18歳の青少年の1/3は高校を中退していた。
もしも日本で高校生の1/3が中退して、ぶらぶらしている街があったら、どうなってしまうかを想像してもらえば、少しは当時のブロンクスが想像できるだろうか。
劇中に登場する歴史上の人物について
本作では、ヒップホップの歴史において重要な役割を果たした実在の人物が登場する。
その代表的な存在が、主人公たちが師匠とあがめる男、グランドマスターフラッシュだろう。このジャージを着たクールな男は、まさにヒップホップにおいてレジェンドと言える人物である。
グランドマスターフラッシュの本名はジョセフ・サドラー。1958年生まれのため、2016年現在は58歳となる。
彼はもともとブロンクスで活動をしていたDJクール・ハークのもとでDJプレイを学び、クール・ハークからDJの基本を学んだが、その際に「ハークはテンポの遅い曲の後に、アップテンポの曲をかけるが、そこで一瞬音が途切れて、客が戸惑うんだ」と彼の欠点を語り、そのうえで3年間自宅の寝室にこもって、スキルを磨き続けた。
特に彼の親戚のグランドウィザード・セオドアが発見した「スクラッチ」という技術を、音楽的な技法に昇華させた点では、現在のDJの元祖とも言える存在だった。
彼の代表曲であり、テーマ曲がこちらのアパッチだ。
このグランドマスターフラッシュは、地元ではとてつもない人気を誇っていたが、レコードを作らないか?というオファーに対しては「アンダーグランドのままでいいじゃないか。こんな音楽はブロンクス以外では誰も聞きたがらないんだから」と語っていた。
その後、ヒップホップがチャートをにぎわすようになると、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴとして「The Message」という政治色の強い、ヒップホップの歴史に残る名曲を残している。
さらに、ヒップホップの歴史を語るうえで、欠かせない人物がクール・ハークである。
1955年生まれのクールハークがジャマイカからNYに移ったのは、1967年、12歳の時だった。
彼は最初、普通にディスコの曲をかけるDJとして妹の誕生パーティーなどでプレイしていたが、次第にダンサーたちが「歌が無いドラムの部分で盛り上がる」ことを発見する。
そこで「盛り上がる部分だけをかけ続ければもっと盛り上がるのでは」と考えた彼は2枚の同じレコードと、2台のターンテーブルを用意して、片方の盛り上がる部分が終わりそうになったら、もう片方の盛り上がる部分をかける、という方法で「ずっと盛り上がる部分」が流れるようにした。それが「ブレイクビーツ」の誕生だった。
さらに彼はジャマイカで幼い頃に見たジャマイカの「サウンドシステム」を使って、公園などでパーティーを行うようになる。サウンドシステムとは車にスピーカーとターンテーブルを積んだ移動式のディスコのことだ。これを始めたのが1972年のことだった。
その後、1973年にアフリカ・バンバータがハークのプレイを目にし、1975年にグランドマスターフラッシュが彼のDJスタイルを学び始めた。
ヒップホップ黎明期の3大DJは、クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータの三人だが、上記のように、残りの二人がクールハークのプレイから、活動を始めたことから、クール・ハークこそヒップホップの生みの親であり、だからこそ彼が「グランドファザー」と呼ばれているのである。
しかし、彼は次第にテクニックの面で時代遅れとなり、1980年には引退して、南ブロンクス地区のレコード店で働くようになる。
その後、復活を遂げるが、現在は腎臓結石などの病気により、自宅静養をしている。
さて、最後の重要人物が、アフリカ・バンバータである。
彼は現在、配信中の6話の中では名前しか登場していない。しかし、先述のように彼は ヒップホップ黎明期の3大DJの一人であり、クールハークがブレイクビーツを発明し、グランドマスターフラッシュがDJとしての技術を確立させたとすれば、アフリカ・バンバータは、文化としてのヒップホップを確立した人物だと言えるだろう。
それまで別々であった、ラップ、DJ、グラフィティ、ダンスをヒップホップの四大要素だと提案し、さらに「ヒップホップ」と名付けた人物が、アフリカバンバータである。だからこそ彼は「ヒップホップの祖父」と呼ばれているのである。
ちなみに、アフリカバンバータは、元ブロンクスのギャングのリーダーである。日本でいえば、暴走族の総長がミュージシャンになるような話である。これだけで成りあがった本が書けそうな感じである。
この3人こそが、ヒップホップ黎明期の重要人物であり、誰か一人が欠けても、ヒップホップはいまの形とは違っていただろう。
監督選びが正解だった
最後に重要なのが、本作の監督を務めているバズ・ラーマンの存在である。
彼の代表作は『華麗なるギャツビー』『ムーラン・ルージュ』など。古典的で絢爛豪華な世界を描くことが多い監督だ。
その彼に Netflixがオファーを出したのはきっと「時代の再現性の高さ」に期待したからだろう。
この作品で描く世界は、1970年代とそれほど古くは無いが、現代では想像ができないほど荒れ果てた、そしてその中に宝が眠っている独特の時代だ。そこをきっちり描くうえで彼が採用したのが実際のニュース映像の多用だった。
ドラマのところどころで、当時のニュース映像を入れることによって、作品にリアリティを生んでいるのだ。これについて ラーマンは「コラージュこそがヒップホップだ、だから今回はニュース映像とドラマをコラージュした」と語っている。
NYの停電の夜など、ドラマの映像だけではチープになってしまうが、実際の当時のニュース映像を流すことで、すべてがリアルに見えてしまうのだ。
この起用はばっちり当たったと言えるだろう。ニュース映像だけでも見る価値がある映像に仕上がっているのだ。
ということで、知っておいた方が面白いであろう情報をまとめてみた。
Netflixについては、これまで「火花」や「ストレンジャー・シングス」についても書いてきたが、本当にオリジナル作品が素晴らしい。
この二つを見るだけでも加入する価値があると思う。
無料期間もあるので、ぜひ作品を楽しんでみて欲しい。
[speech_bubble type=”drop” subtype=”L1″ icon=”kinakonan.png” name=”きなこなん”] このドラマでディスコミュージックに興味を持った人は下のサイトに名作のまとめがありました[/speech_bubble]
ヒップホップはアメリカを変えたか?―もうひとつのカルチュラル・スタディーズ