なぜフリースタイルダンジョンで人気のラッパーR-指定は童貞を前面に出すのか?

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10代の頃から日本語のヒップホップが好きだった。そんな僕が最近聴いているのが、R‐指定とDJ松永による、Creepy Nutsというコンビの「たりないふたり」というアルバムだ。

 

気になったので、発売記念で渋谷で行われたフリーライブに行ってみた。

 

すると、R-指定はずっと「童貞」の話ばっかりしていた。フリースタイルのコツとかそういうのじゃなくて、ひたすら「童貞」を前面に出してくる。なんでなんだろう。

 

しばらく考えるうちにこれはマーケティング分析に基づいた、セルフブランディングなんじゃないかと思えてきたので、そのことについて書いてみたいと思う。

ヒップホップは本来持たざるものの音楽だった

ヒップホップといえば「ウェーイ」と言って、ダボダボの服を着て、きれいな女の子を連れて、という認識がある人もいるだろう。

 

それは実はある種の「イメージ戦略」に過ぎない。そもそもCDが売れてないのに稼げるわけがない。

 

キングカズがJリーグ元年に、なぜ高級車に乗って赤いスーツを着たのか、それは日本におけるサッカーの地位を上げようとしたからだ。

 

それと同じように、ヒップヒップとは良い女とお金を得るものだと、見せるためのイメージ戦略だったのだ。

 

じゃあ、実際はどうなのか。

 

僕がヒップホップを聞き始めた10代の頃、ダンスフロアには鮮やかな光が射し、人々がDA・YO・NE!とか言っている裏で、ハードコアなラップをする人々はこんなラップをしていた。

 

「来る日も来る日も皿洗いながら待つは月末のわずかなギャラ」(ライムスター/耳ヲ貸スベキ)

彼らがこういうラップをしていた時代。当時は、みんなラップで飯など食えず、バイトで稼いで「日本語のラップださい」と言われながら、何人か、何グループかで集まって、みんなでイベントやってラップをしていた。ヒップホップ冬の時代だ。94~96年頃。そういう時代があった。

 

僕がこの辺りの音楽を聞いていたのは97年頃からだ。高校生だった僕は、池袋の「WAVE」「HMV」「タワレコ」をぐるぐる回りながら、試聴機でずっとラップを聞いていた。

 

時代は変わりつつあった。冬の時代が終わり。実りの秋を迎えていた。

 

プチブレイクのようなものがあり、みんなで集まってなんとか集客できていた人たちが、次第に売れ始めた。

 

あの頃から見ていた人はジブラが売れるってみんな思っていたし、ライムスターが売れるってみんな分かっていた。

 

みんなで「一点突破、行くぜヒップホッパー」と言いながら同じエレベーターに乗っていると思ってた。

 

でも、チンって鳴ってドアが開いたら最上階までたどり着いた人はほんのわずかで多くの人は取り残されてしまった。

 

気付くとまた「ヒップホップ冬の時代」がやってきた。ずっと続く冬はもはや氷河期だった。

 

ジブラはテレビに出ているが、曲が大ヒットしてチャートを独占しているわけではない。

 

売れてない若手が、ゲットマネーしているラップをしても、みんな嘘だと分かっている。もう強いふりはやめるべきだ。虚像から実像に戻ろう。それこそがリアルだろう。

 

そんな時に発売されたのがCreepy Nutsの「たりないふたり」だった。

童貞というポジションでヒップホップをするという違和感

 

この二人は、弱者は弱者だが、また違った立ち位置で出てきた。それが「童貞」というポジションだった。

 

MCの24歳のR-指定は「彼女がいる」と明言しているので、さすがにもう童貞ではないだろうが、メンタリティは童貞のまま。そしてDJ松永の方は25歳で童貞である(いずれも2016年頭にテレビやライブのトークで言っていたことから)。

 

R-指定といえば「フリースタイルダンジョン」というテレビ番組で、いま人気急上昇中のラッパーである。

 

「たりないふたり」がデビュー作ではない。過去にも作品を出している。だが、それらの曲では、別に普通だった。童貞を前面に出してない。

 

しかし、2015年に見た渋谷のフリーライブでは、童貞に関するトークをずっとしていた。

 

なぜ彼らは「童貞」という立ち位置から世界を見ようとするのだろうか。

 

そこがすごく引っかかった。

「童貞をプロデュース。」は何を見せていたのか

松江哲明監督の「童貞をプロデュース。」という伝説のドキュメンタリーがある。

 

池袋ロサという映画館で、年に何日かだけ上映されている。

 

初めて公開された2007年のことはよく覚えている。毎日通う池袋の街に異様な熱気があふれていた。「ロサに長蛇の列ができている」。何が起きたのかと調べたら、その映画がやっていたのだ。

 

あれから月日が流れて、いつまでもDVD化されないその作品を去年やっと見ることができた。どんなものかとドキドキしたが、そこにはただの童貞が映っていた。

 

AVに出演させて、卒業させようとすると、嫌がる童貞。

 

昔のアイドルの写真をひたすらスクラップする童貞。

 

好きな子と二人になって別れ際に吐いてしまう悲しい童貞。

 

みんなにおすすめしたい!とは思わないが、すんごい記憶に残る作品だった。

 

そして登場する童貞が大好きなのが、銀杏BOYZだった。

 

劇中で「BABY BABY」を熱唱するシーンがあるのだ。

 

そこにはカラオケを超えた熱を感じだ。きっと「童貞熱」だろう(そんな言葉無い)。

 

童貞をプロデュースの中で、とある童貞がつくった「穴奴隷」という、どうしようもない妄想の歌を、銀杏BOYZの峯田和伸が商店街で歌うシーンがあった。

 

僕は銀杏BOYZを聞いたことが無かったのだが、興味をもっていくつか曲を聞いてみると、彼らも「童貞フォーク少年、高円寺にて爆死寸前」など、童貞の歌を多くうたっていた。そして、そのメンタリティもやっぱり童貞っぽい。

 

ひょっとして童貞は熱いキーワード。つまり、ホットワードなのだろうか。

童貞というマーケットはあるのか?

Creepy NutsCのR‐指定というラッパーは、いま日本語ラップ界では旬な人だと思う。

 

毎週「フリースタイルダンジョン」を見ているが、明らかに別格である。バトルでは激しく罵倒する彼が、ライブでは一転して童貞を語る。

 

R‐指定がyoutubeにあるバトルで言われてたけど、童貞というテーマでは「大人は乗れない」。それでもあえて「童貞」を打ち出すという、ちょっと変わったイメージ戦略を行っているように思える。

 

これは何かがおかしいぞと思った。

 

R-指定のフリースタイルを聞いていると「頭が切れる」人物であることは間違いない。

 

20代男性の40%が童貞と言われる時代、そこに共感してもらうラップを作ればいける! 彼がもしも童貞というマーケットに気付いて、自らのリアルである「童貞性」を前面に出したセルフブランディングして売り出しているとすれば、それはかなり高度な作戦だと思う。確実にそれが届く層は存在し、競合はいないからだ。

 

さらに童貞の良いところは、みんなかつては童貞だったことだ。「いや〜童貞の経験はないですね」という人はいないのだ。つまり、忘れてはいても、みんな共感できる部分もあるのだ。あのキラキラした妄想の世界をみんな抱えていたのだ。

 

彼がどこまで計算していたか分からない。単純に「俺のリアルってなんだ、童貞性だ、よし、それでラップしよう」とやっているだけかもしれない。計算か天然かは分からないが、これはヒップホップ界にとってもすごく新しい挑戦だと思う。
果たして童貞マーケットは存在するのか。すごい気になる。

 

これからもCreepy Nutsの動向に注目していこうと思う。

 

ちなみに曲もすばらしいので一押しの合法的なトビ方ノススメの映像貼っておきます。

 

Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / 合法的トビ方ノススメ 【MV】 Clean Ver.

 

R-指定の半生をたどった記事も書きました。こちらもぜひどうぞ。

 

アルバムはこちら。全部良い曲だと思います。

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2 件のコメント

  • こんにちは。
    楽しく拝読致しました。Creepy nutsの「童貞ブランディング」、なるほどと思いました。ブランディング、キャラ付けは、オリジナリティを重視するヒップホップの世界では大事ですよね。

    これは解釈の問題というか、どこに注目するかみたいな話なのですが、「毎日磨くスニーカーとスキル」というラインを売れていない当時のヒップホップの担い手たちの貧乏な状況を表すことに用いるのは、ちょっと違うというか、ミスリードのような気がします。
    《耳ヲ貸スベキ》の方は前後の歌詞の文脈的にも貧乏さを表しているものですが、このTwigyのラインはそのような文脈上にないものです。

    むしろ、このラインはお金のなさを表すというより、(まさに)Twigyのブランディングの一つだと思います。

    ヒップホップ文化の中ではスニーカーはひとつの象徴的なアイテムです。ラッパーやダンサーは、足元のお洒落を大切にし、それ故にスニーカーを大切扱います。
    ましてやそれがレアなスニーカーであるなら尚更です。
    確かにスニーカーを磨くことの歴史を辿れば、その原点に貧乏な黒人という側面はありますが、それはオーバーサイズの服がヒップホップファッションになっているのと同じ出自を持つもので、レアな限定品スニーカーであれば、お金の有無に限らず大切に履くこともままあると思います。

    なので、ここのTwigyのラインは、彼が「スニーカーを毎日磨く俺は、本物のヒップホップ文化の一員だぜ」という主張をして、自身に対して「アメリカのヒップホップと文化を共有する、本物のラッパー」というブランディングを行っているということだといえます。(この歌詞が、当時の日本のラップをめぐる状況を偽物であると批判した《証言》の一節であるということを考えれば、尚のことでしょう)

    そのような積極的な意味を持つ文脈の上に乗っているラインであることを考えると、《耳ヲ貸スベキ》とこのラインを同列に並べてしまうのは、少し力業な気がしてしまいました。
    この歌詞は、所得の有無には関係ないもので、更にスニーカーピンプ=本物のヒップホッパーというTwigyのセルフブランディングであると思います。

    長々とすみません!
    他の記事も面白くて、D.L.の記事などもじっくり拝読致しました。
    これからも新しい記事の更新、楽しみにしております。

    • >qqhatoさん
      返信が遅くなりました。すいません。
      読ませていただきました。

      USではなく、日本におけるヒップホップ文化の成り立ちを考えると、おっしゃる通りだと思いました。
      ここは下手に手を入れずに、この部分が無くても成立しますので、ミスリードにならないよう削除するようにします。
      ご指摘ありがとうございます。

      D.Lさんは本当に。毎日100ぐらいうちに来ているんですよね。もう亡くなってだいぶ立つのに。
      ちなみにR-指定は200人来ています。彼の注目度、ニーズに対して情報が足りてないのかな、と思います。
      僕は昭和53年生まれなので、次は53年組についてまとめようかなと思っています。

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