「ノリコは、、、だから」と松田聖子が本番中に本名を言ってしまい、舌を出した。もう何年も芸能界にいるのに、本名なんて間違えるはずがない。
それに対して本書の中で相倉さんは「だから絶対に計算してるんですよ」と話したうえで、以下のように松田聖子というアイドルの本質を語った。
「みんなは私のこと”ぶりっ子”とか何とか言って軽蔑してるけれども、蒲池法子という普通の女の子がいて、それがたまたまテレビの中で松田聖子という役を演じているだけなのよ。そういうことをあなたたちは読んでいるだろうけど、読んでいる事を私は知っているわよ」そういう複雑な構図なんです。そういう頭の良さです。
相倉久人は、60年代にジャズ評論家として登場し、その後、ジャズ評論家を引退して、25年間レコード大賞の審査員をやっていた人物だ。
つまり、音楽、芸能の裏面をかなり見ていた人だった。
本書は、相倉久人と語る昭和歌謡史ということで、この相倉さんと、松村洋さんがエノケンから、戦時中の歌謡曲、美空ひばり、坂本九、クレイジーキャッツ、アイドル歌謡、ニューミュージック、平成歌謡を語り尽くす内容。
読み終わって思ったのが、こういったテーマの時に、相倉さんほどふさわしい人物はいないということだった。具体的には、以下の3点がすごい。これを備えた人は他にいないと思う。
1、独自の視点がある(外国の音楽をどう日本に土着化させるか)
2、インタビュー経験豊富で、レコ大の舞台裏なども知っている
3、ジャズから芸能まで幅広く歴史をおさえている
その結果、本書は唯一無二の存在となっている。
対談形式で音楽の流れを追う
本書は、松村洋さんと、相倉さんの対談形式で進んでいく。
ジャズが日本にどう入ってきたのか、戦中の音楽はどうなっていたのか、など興味深い話が多いが、やはり一番面白いのは、アイドルの裏側だったり、大物へのインタビュー秘話だった。
中でも興味深い話をいくつかピックアップしてみたいと思う。
・ブームの「島唄」がレコード大賞をとった時に、「宮沢和史みたいな歌が下手なやつになんで賞をやるんだ」という審査員がいて、大ゲンカになった。
・美空ひばりは、大人になってから10代の時の唄を歌って、今の自分の歌い方が合っているかを確認していた。
・これまで300人か400人にインタビューしているけど、一番頭が切れたのは、山口百恵だった。
・松田聖子はバカっぽく見えた方が得だ、ということが分かっている子だった
・松田聖子は、曲ごとに成長していく中森明菜を見て、私は結婚しても変わらない。ぶりっ子を通してやろうと決めた。
なんて話がポンポン出てくる。
ちなみにアイドルの話はそんなに多くは無い、基本は昭和歌謡の流れ全般だ。そこに「歩く音楽史辞書」ともいえる相倉さんが独自の見解を述べていく。
特に、歌謡曲について、「自分を表現しているんじゃなくて、ひとつの役柄があって、それに託して歌っている」という話は、現代の歌との比較として、かなり核心をついていると思う。
アインシュタインの脳は今も保存されているそうだが、それと同じくらい相倉さんの脳は保存しとくべき価値のあるものだったと思う。あの人が見た光景、考えたこと、すべてが後世の財産だと思う。本当にもったいない。
でも、それが実現出来なかった今、本書があることはひとつの救いだ。
あの偉大な批評家の引き出しを一つひとつ丁寧に開けてくれたおかげで、後世の人にとって「昭和歌謡」という物の輪郭がかなりすっきりしたと思う。
邦楽好きなら必読の一冊だと思う。